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Surround me Music, Feel Good #19_1-ジュディカエル・ペロワ ギターリサイタル-

11/18_会場:大名MKホール
使用楽器:グレッグ・スモールマン

会場で配布されたプログラムノートをそのまま撮影

フランスの天才ギタリストとしても、後続への指導者としても確かな地位を築いているという、ジュディカエル・ペロワのリサイタルを聴いたのでそのレポートです。

リュート組曲第3番 BWV995に始まったコンサート。

出音の質がとても良く。和音のバランスが常に整っていて、各声部の見事な立体感。

ヴィルトゥオーソ(砕けて言うと超絶技巧)・ギタリストとして若い頃から評価されてたみたいだけど、あくまで音楽が先で、結果、そういう技巧が使われてるというタイプだなと思った。明瞭かつ流れるようなバッハは、リズムや形式が際立ち、淀むことなく演奏された。

で、めちゃくちゃかっこいい。バッハはかっこいいというイメージより、宗教的な荘厳さや、バロック的な(フーガなどの)複雑な印象を持たせるもの、ひたすらピュアに美しく、クリアな印象で弾かれるものなど色々あると思うけど、ここまでかっこいい組曲として弾き切れる演奏者ってなかなかいないと思う(だからこそ、そういう評価もされているのだろうけど)。「ギターのバッハ」の到達点の一つじゃないかとさえ思う。

続いて前半プログラムでは、チャイコフスキーのピアノ独奏曲から「6月:舟歌」、A.ヴィヴァルディが作曲し、バッハがチェンバロへ編曲したものから、さらにギターへとペロワ自編という変身を遂げた協奏曲 ニ長調 BWV972が演奏された。

編曲ものを中心に据え、かつ、そのオリジナルはいわゆる大作曲家のものばかりである。

セゴビア以降、クラシックギターは近代に独自のジャンルを築けたものの、オーケストラやアンサンブルで用いられるピアノ、ヴァイオリンといったメジャーな器楽ジャンルと並んで評価されているとは言いにくいのも確かで、その背景にはメジャーな作曲家がギターオリジナル曲をあまり書いていないことにも由来していると考えている(あくまで筆者の見解だし、だからこそ尚更、ギターレパートリーを大幅に拡大したセゴビアの功績はとても大きいとも言える)。

ペロワ氏のような存在が、チャイコフスキーやヴィヴァルディでさえ、ピアノ曲や協奏曲でさえ、ギターでも音楽的に演奏可能ということを示している瞬間に立ち会えることは、現代でクラシックギターのコンサートを聴きに行くことの楽しみであり、高い価値であると感じた。

後半プログラムでは、ギターオリジナル曲であるハンガリー幻想曲に始まるが、中でも、スクリャービン作曲左手の為の前奏曲Op.9が一番感動した時間だったかもしれない。

初めて聞いた曲だったが、一般的に「親しみやすい」であるとか、「美しい」「明るい」とはあまり言われなさそうな曲かなと思う。

が、独特ではあるものの、とても綺麗で、かっこいい響きだと感じたし、このような曲への気付き・共有の機会を一般人に与えてくれるから、「芸術家」なんだろうなと思う。

難しそうだけど、自分もあの響きを弾いてみたいと思った。

また、続くギターオリジナル曲であるタンスマンのスクリャービンの主題による変奏曲は、初めて実演で聴けたし、音源や動画で聞いた経験では特に良い曲と思っていなかったことに反して、渋いけどこんなドラマチックな変奏曲なんだなと深い印象を与えてくれた。

さらに世界観広く、過去の大ギタリストによる編曲ものでゴヤのマハセビーリャが弾かれたが、これらからは、クラシックギターの世界では、ギタリスト(演奏者)が編曲をするという、独自的で創作的な文化の魅力を改めて強く感じることができた。

「クラシック音楽」の世界では、伝統やアカデミズムが重んじられるのも確かな事実であり、このような試みは、たとえ実績のあるギタリストの仕事であっても忌避される部分でもあるように思う。(そもそもギター編にあたって移調されること自体「気持ち悪い」「全く別物」という見解もある。)

が、筆者は単なる聴衆の一人として、自分が良いと思えば良いものとして聴くし、実際、ラッセル編、バルエコ編共に頻繁に聞けるものかというと音源でも演奏会でも、決して頻繁に扱われているものてはないので、その解釈や響きを披露してくれる瞬間はとても楽しみな時間だ。

終演に向かっては、A.ピアソラの数少ないギターオリジナル曲5つの小品からの抜粋で第4番の悲しみが選ばれており、この後ラストを飾ったS.アサド編のリベルタンゴとの緩急としても、それ自体の音楽的な表現力としても、高次元の領域にあるギター演奏を届けてくれ、アンコールではまたバッハの組曲に回帰し、さらには唯一の古典派レパートリーとして、ジュリアーニの名曲ヘンデルの主題による変奏曲を見事な、他にこんな演奏を聴ける機会はそうそう訪れないであろうと感じさせる姿で披露してくれ、十分な時間、(ギター)音楽の豊かさに浸らせてくれた。

クラシックギター世界最高峰の演奏を存分に味わうことができ、率直に良い演奏が聴けたという印象だけでなく、その深い教養を共有してくれているような、そんなアウトプットのコンサートになっていた。

筆者はこれまで、自分なりに様々なクラシックギターの演奏家によるコンサートを聴いてきているつもり。

その上での実感として、ジャンル内で進化し続けているだけでなく、ジャンル外にも影響し得るポテンシャルがどんどん高まっており、鑑賞し、現在地点を知ることが即、喜びや新たな興味に繋がるような状況にあると確信の強まる体験だった。


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