るーぶる

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私の中の11歳の私がいなくなった話

26のときに、精神科の予約をした。 当時はとにかく悩んでいた。 仕事では自分のキャパオーバーの立場で、わけのわからん猛獣みたいなおっさんたちを指導しないといけなかったし、何より実家住まいで親(特に母親)との関係に悩んでいた。 母親からは毎日いかに社会人としての生活ができていないかについて叱責され、感情をぶつけ合っていた。 実際に私の部屋はゴミ屋敷のようになっていたし、生活もままなっていなかった。 自分はなぜ普通にできないのか。 もしかして発達障害なのかもしれない。 発達

    • 母と私

      私は子どもの頃、母を喜ばせたくて嘘をついていた。 晩御飯を作る母の背中にむかって話す学校のことは だいたい6割が嘘だった。 残りの4割も事実を膨らませて膨らませて話をしていた。 私が道化になってふざければ、母はケラケラと笑った。 私は母との沈黙が怖くてマシンガンのように喋り続けた。 母と出掛ける際は、道中の電車の中での話題を何日も前から用意したりもした。 ただ、勉強は全然できなくて、だらしがなかったので毎日怒られていたし、兄弟の中では嫌われていたと思う。 それに

      • 今さら、映画「ナラタージュ」をみました。

        Netflixで今さら、有村架純主演のナラタージュをみました。 興奮覚めやらぬただのかんそうです。 ネタバレあります。 とにかく有村架純はすげえ女優だし 坂口健太郎ヤバすぎだし 松潤がんばったな以上。

        • 母のこと。

          みなさんは、お母さんと仲がいいですか? お母さんのこと好きですか? 私はお母さんのこと、嫌いにはなりたくないけど 苦手です。 あんまり関わりたくないなあ、と思って生きてます。 30年近く、実家でくらしていたのですが、 最後の方は両親との関係がギクシャクして、 毎日、両親を「◯してやろうか」という怨みの感情に支配されてしまっていました。 ある日、 「いかん!このままやとガチで殺人犯になってしまう!」 と思い、 事後報告で部屋を探して独り暮らしを始めました。 今は

        私の中の11歳の私がいなくなった話

          父より母に長生きしてほしい

          私の父は、風呂上がりのぱんつさえ自分で用意できない。 自分で食べた食器をさげることはない。 洗剤の種類とかもわかってないし 洗濯機の使い方も怪しい。 しかし、そう育てたのは母である。 父には甲斐性があったし、母は専業主婦で、子どもたちも不自由なく育ててもらった。 時代としても、ギリギリそれが許される年だったのではないかなと思う。 父には感謝している。 経済力のある家庭に生まれ育ったおかげで、なんとかまともな生活をおくれているようなきがするから。 だが、私は父が嫌

          父より母に長生きしてほしい