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政治も好きにしたかった?~「私の60年・・・」って言うけど③

冷たい雨が降っている週末です。
一雨ごとに寒くなります。まさに「一雨一度」気温が下がります。
さあ、冬がそこに来てます。


美智子様の言う「私の60年は何だったんでしょう」の言葉の意味
何を忍耐し何を努力し目的は何だったのかをこの間、振り返りながら考えてきました。前回あげた記事で天皇の葬儀について書いてみて、美智子さまが合葬を拒否したということから、この結婚は正田の家と宗教がらみの政略だったと私には思えました。


美智子様に好きな方がいたかどうかはわかりませんが、婚約された方がいたのは国会で論じられていますから事実だと思います。しかし、自分の意志と関係なく皇室との縁が結ばれ、日本に二人といない最高位の地位と経済的安定を得られることは、美智子さまの気質を大いに刺激し皇太子との結婚に向かわせたのではないかと思うのです。

多分、美智子さまはこう考えたのではないかと思います。 「大きな犠牲を払って(自分の意志とは違う)結婚する私、国民のためなのだから(家のため)許される自由は好きなようにしよう」これが衣装道楽への道だったのでは?

ああまた私の悪いクセ、横道、妄想、…すみません。
元に戻って

私は二つの問題を考えました。
一つは政治介入問題
一つは誕生日文書から統一教会との関係です。


私が思うには、前回書いた退位や譲位、あれって憲法違反ではないかということ。
象徴天皇は死ぬまで天皇で、だから特例法を作って退位を認めたということです。

何のための我儘か知りませんが、憲法をも変えてやろうという上皇夫婦の並々ならぬ意志でしょう。
というか、憲法を軽く見た?
明仁天皇は終戦後の教育で民主主義と憲法順守を叩き込まれたのに?

下記は憲法における天皇の規定です。

天皇の地位・行為

天皇の地位及び行為に関しては次のとおりである。

  • 天皇は日本国及び日本国民統合の象徴である(1条)。

  • 天皇の地位は世襲である(2条)。

  • 天皇の権限は憲法の定める国事に関する行為に限定される(4条1項)。

  • 天皇は国政に関する権能を有しない(4条1項)。

「国事に関する行為」(4条)は国事行為と呼ばれる。国事行為とは、国家の政治や統治に関係しない形式的・儀礼的行為を指し、6条及び7条に規定されている。また、天皇が国事行為を行うには、内閣の助言と承認が必要である(3条)。

  

  憲法には天皇の性別に関する規定はありません。

皇位の継承は、皇室典範という法律で定められています。1889年~現在
第一条  皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。
により、“法律的に何故、男である”ことが必要となります。
その他にも、継承順位を定めたり、
第二条  皇位は、左の順序により、皇族に、これを伝える。
一  皇長子
二  皇長孫
三  その他の皇長子の子孫
四  皇次子及びその子孫
五  その他の皇子孫
六  皇兄弟及びその子孫
七  皇伯叔父及びその子孫
○2  前項各号の皇族がないときは、皇位は、それ以上で、最近親の系統の皇族に、これを伝える。
○3  前二項の場合においては、長系を先にし、同等内では、長を先にする。

継承順位を変更する方法も定めています。
第三条  皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、前条に定める順序に従つて、皇位継承の順序を変えることができる。 

     
政治に介入したのではと思うもう一つは立後嗣の礼です。
これは国事行為であり政府の了解がないとできないのですが、
当時の皇太子が天皇になったからと言うわけもなく
退位が決まった平成の天皇皇后からの申し入れでしょう。
つまり口出しをしたと考えられます。 
ありえない退位も自ら政府に伝わるようにしましたから

立後嗣は後継者、天皇が退位したら次の天皇としたかったから。
しかし皇太子待遇は望んでも皇太子を望まなかったのは秋篠宮の選択です。それでも次の後継者としたい、立後嗣の礼のお披露目をすることで
立太子を装う狙いがあったでしょう。

それで皇統府に載せるという目的は達成したのでは?
 国民が誤解してくれれば都合がいいくらいの考えで、誤解すると思っていたのでは?
 しかし思わぬ妨害です。
立後嗣の礼が閣議決定されたもののコロナによって延期されました。

天皇退位とそれに伴う立後嗣の礼に天皇の意向を政府に押し付けたのは間違いないでしょう

これは憲法に対しての逸脱行為だったのは間違いないと私は思います。

さて、次の統一教会の件ですが、下の誕生日文書に唐突に拉致問題が出てきたからです。

考えてみると小泉政権下での官房長官は安倍さんでした。
安倍さんは3世代にわたり統一教会とつながりがあることはもう知られた事実です。

下の記事には写真があります。安倍さんの祖父、明仁皇太子、美智子様

しかも当時は女性自身でも危惧の記事を出しています。

【1968年に日本と韓国で発足した政治団体『国際勝共連合』です。初代会長には、統一教会日本法人の会長だった久保木修己氏が就いています。この勝共連合の名誉会長を1972年まで務めたのが笹川氏でした。

笹川氏と岸氏は、ともにA級戦犯容疑者として収監された巣鴨プリズンで親交を深めました。1957年に首相となった岸氏と統一教会の関係を笹川氏が取り持っていたのです」(全国紙政治部デスク)

岸氏が作り上げた自民党と統一教会の蜜月の関係は、半世紀後の現在、孫である安倍元首相の暗殺事件によって再び国民の関心を集めている。

清濁併せ呑む政治手法から“昭和の妖怪”というあだ名で恐れられた岸氏に仲介させて、国民的な人気があった美智子さまへ統一教会が“魔手”を伸ばしたのは、いったいなぜなのか――。】

「女性自身」(2022年9月20日号)

平成13年(2002年)、小泉総理は電撃的に北朝鮮に出かけ、拉致被害者の一部の方を連れ帰ります。私の考えでは、これを可能にしたのは安倍さんの統一教会との人脈ではないかと思います。
そして阿部さんは総理への切符を手にしたのではないかと思うのです。


 誕生日文書で唐突に出された拉致被害者への思いは、裏に安倍さんへの統一教会との関係を忘れないで、という恫喝に近いものがあったのではないかと、これは私の推測です。

 その後拉致問題が進展しないのは、当時何らかの皇室パワーが後ろ盾にあったからではないのかしらと私には思えるのです。

しかし安倍さんは退位については協力者にならず、女性宮家も宙に浮きます。

美智子様の2017年の誕生日文書は、安倍総理とは言ってはいませんが政権に対し感情的で不満を羅列し、ノーベル平和賞に絡めて「報復」と意味ありげに強調しています。 なんだろうと気になります。

振り返ってみると美智子さまは皇統の移動のため、 皇室の神髄を骨抜きにし特権階級(真の皇族ではなく税金をたやすく使い、何をしても文句を言われない似非皇族) つくりのために努力し忍耐をしたということでしょうか?

でも、何もかもうまくいってないようです、長いスパンで見るとそう思えます。それが60年は・・・でしょうか


       今日も読んで頂きありがとうございます❤️



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