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長女と長男の後ろ ~大人になり切れない子ら~

歌会始が始まりましたよ。楽しみにしていた敬宮様の姿はなく、何故なのかも今は分かりません。何故なんでしょうか?

今日は佳子さんについて話したい。
私は秋篠宮家の子供らには、格別の関心を持っている。
天皇家の敬宮様と、どうしても対比せざるを得ない立場の子供たちだが、幸せそう に見えないのはどうしてだろうか。

特に私は次女さんに注目している。
彼女の幼いころの表情は、いつも眉を八の字にして瞳は暗いのだ。
就学前の子供の表情としては、何時も違和感を持っていた、それが秋篠宮のDVに原因があったのはよく知られた話で、眞子さんも佳子さんも成年の会見で「父は導火線が短い」発言をしていた。

佳子内親王殿下ご成年をお迎えになるに当たっての記者会見 - 宮内庁

www.kunaicho.go.jp

また、週刊文春はDV疑惑を報じたこともあったが、今はこの記事を探すことはできない。
下記の文は皇室新聞から一部抜粋したものである。

【「秋篠宮さまは、お姉さま方と悠仁さまとで接し方が異なるといいます。お姉さま方が幼いころは、しつけが厳しく、時には手が出ることもあった。対照的に悠仁さまを叱ることはめったになかったのです」(皇室ジャーナリスト)そんな様子を見て、佳子さまは、「なぜ私ばかり……」そう嘆き、友人たちにも「イヤな父親」と漏らされることもあったという。
「週刊文春」(2022年2月10日号)】

秋篠宮家の妃殿下は昨日、母子愛育会の会に参加されたと記事が上がっていたが、ご自分の家族との関係はどうだったのだろうか?

紀子さんと言えば公務を必死に、たくさんおやりになり皇太子妃殿下が療養されている時も孤軍奮闘されたかのように言う方たちがいる。

そんなに出歩かれて子育ては誰が?

着替えや食事は職員がするのだろう。しかし、躾はどうされていたのだろうか?躾は問題が起きたその時でないと難しい。私も働いていたので、子育てで難しいのは躾であろうと感じるのだ。それと、子供とのコミュニケーション。
働いている母親が必ず一度は自問自答するであろう、愛情不足ではないのか?の不安。

妃殿下は多分そうしたことは考えられなかったのではないか?
ただひたすら、尊敬する方に近づこうと脇目も降らず、ラッセル車のように驀進した?
妃殿下自身が共働きの家庭環境にあった様子なので、多分、ご自身の中に親に対する愛情飢餓が根底にあったのでは? それが過剰な隠居婦人への傾倒に繋がってはいないだろうか?もちろん自分の地位の保全もあったろうが・・・

長女さんは、小さい時から隠居婦人の偏愛を受け、両親はそれを知ってるからあまりきつくは当たらなかっただろう、しかし次女さんは違う。私は何かで、愛情不足の子は弁が立つと、というようなことを読んだ記憶がある。

私は心理学を専門に習ったわけではないから、ほとんど推測でしかないのだが、秋篠宮は弁の立つ娘に力で解決を図ったのではないか?それでも娘たちは甘えたい気持ちや、親を求めていたのではないのかしら。それが成年式の「導火線」ではなかったのか?

決定的なのは悠仁さんが生まれたことだと思う。これで傷ついたのは真子さんのように私には思える。佳子さんは学生時代はやんちゃに遊んで歩いたようだし、親との距離感も真子さんよりは冷めた目で見ていただろうと思うのだ。

子育て時代の紀子さんの役割が、私にはどうも見えてこない、娘の側に立つでもなく、夫の側に立つでもないように見えるのだ。

でも娘たちは母親を見ていたと思うのですよ。子供時代に埋めておくべき親との関係、信頼と安心を得られない子は、不安を隠す方法として背伸びしないだろうか?人生の岐路を落ち着いて考えず、反抗で乗り切ろうとしないだろうか?

佳子さんは冷静な部分もありながら計算もしていると思いますよ。親との駆け引きで自分の価値を確かめたいと、そういう行動をとっても不思議でないように思う。

この姉弟の中で、幼年期から深い傷と愛情への飢えを抱えているのは佳子さんのように私には思えるし、この3人に共通しているのは大人になり切れない、自己分析ができていないと感じること。

最も紀子さん自身に、大人としての価値観や人生についてなどの深い洞察力が備わっていないからだと思うのですがね。この方の中心にあるのは、家と地位にしか見えません。
何より、秋篠宮の自由感が罪深い。不自由の中にこそ自由がある、そうやって市井の人々は楽しんでいることをご存じないのだから・・・

   今日はここまで

        今日も読んでいただき有難うございます。❤️

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