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産後に「ママにはならないことにしました」を読む

しばらく執筆から遠ざかっていた理由を先日の記事で書きましたが、あまりPCを触らない生活をしていたせいでうっかり忘れていたのが、「爪が長いとタイピングしにくい」ということ……。


久々に文章を書こうと思っても、うっかり伸びたジェルネイルを施した爪ではキーボードを打ちづらいったらありません。


「早くネイルを予約しなくては……ぼうやを預ける手配をしないと」と思いつつ、爪がキーボードに当たらないよう指の腹をつかってのろのろと文章を打っています。


今からすこし前、生後8ヶ月になるころのこと。

「ママにはならないことにしました」という本を読みました。


「韓国で生きる子なし女性たちの悩みと幸せ」という副題のついたこの本は、子どもを持たないことに決めた女性たちの声を集めたもので、日本よりさらにジェンダー格差が深刻な隣国で子どもを産まないことに決めた女性として生きるって、なかなか大変なことなんだなあと思わされます。


本に登場する女性たちの「子どもを持たない理由」、そのどれもに「まさか自分が出産するなんて思ってなかった頃の私もこう思ってたなあ」とうなずきながら読みました。


自分が妊娠するとは思っていなかったころ、そして妊娠がわかって戸惑いを隠しきれなかったころに私が持っていた「ママになること」へのイメージは第一に「自由じゃなくなる」。

ママになれば一時的にでもとにかく自分のすべてを捧げなければならないのだろう、私がなにより愛するのは自由なのにそれを失うなんて…!と思っていました。


それから、一人の独立した女性・独立した人間ではなく「ママ」と括られてしまうようになることへの不満も、女性ばかりに負担がのしかかりがちと言われるこの社会への憤りも、同じ場所で生きていても男女で見える世界がまるで違うことへの絶望も。


だからママにはならないことにした女性たちの声には「その通りだよね」と思う一方で、この本を読みながら、ママになったことで自分が以前とは変化してしまったことも否応なしに自覚しました。

やっぱりもう、同じほどの真剣さで、同じほどの繊細さと切なさを持ってこのテーマに向き合うことはできないのかも……そう感じました。


子どもを持たないということ。

それは多くの人とは違う選択をすることであり、「当たり前」とされがちなことを「当たり前」として受け入れないことであり、(今のところはまだ)少数派でいることでもあるでしょう。

そして、だからこそ感じとることのできるささやかな違和感が、痛みが、切なさがある。


でも私は出産を経験し、赤ちゃんとの暮らしをスタートさせました。

圧倒的にラブリーで、どうしようもなくまばゆいこの生きものを抱きしめながら、センチメンタルにはなれないというものです。

「可愛い~」「きゃわ~」以外の語彙を失い、わが子の可愛さにどっぷり浸かりながらおむつの交換とか抱っことかおっぱいとかあやすとか目の前の赤ちゃんの求めに次から次に対応する生活の中で、「女性の生きづらさ」というものについて深く考えることからいまはちょっと遠ざかってしまっても仕方ないのだろうと思います。

そんな自分が少しさみしいような気もするのでした。とがってる私(?)、結構好きだったな、と。


とくに結論とか主張とかがあるわけではない記事になりましたが、、

前回書いたように、赤子を抱えながら内容の充実を追及しようとすると永遠に記事を公開できないので、ここで終わります。


後日ネイルサロンに行き、無事整えてもらいました。またすぐ伸びそうです


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