いまさらの、カラコンデビュー
「もう手放せない」「〇〇なしの生活はもう考えられない」。
そんなふうに思えるモノとの出会いはそう滅多にあるものではない。
この先一生ともにしたいと思えるモノとのめぐりあいはまぎれもなく貴重で、大きな喜びだと思う。
だけど同時に「これなしでは暮らせない」と思うアイテムが増えるたび、人生という旅にともなう荷物がひとつ増えたような、ほんのすこし、また身軽さから遠ざかってしまったような気にもなる。
今日は人生の旅に携えるアイテムに加えるか検討中の、最近出会ったあるモノについて書こうと思います。
つい先日、唐突に「カラコン、してみたいかも」と思った。
それまでまったく興味がなかったのに、ほんとうに唐突に。
私にとってコンタクトレンズとは視力矯正のためのものでしかなく、高校生でコンタクトレンズデビューしてから十数年、無色透明のレンズしか使ったことはなかった。
「わざわざ瞳の色を変えるだなんて、私には力技が過ぎる」と感じられて、長いことカラコンは遠くから眺めるにとどまっていた。
私だってお化粧は日常的にするし、髪を染めたこともある。
なんでも生まれたままの姿、ありのままの姿がいいと思っているわけではない。
だけれど目の内側にまで手を出すのは、たとえばまぶたの上にアイシャドウをのせるのとは訳が違う。
カラコンを使う人はよっぽど変身願望が強い人なのだろうと勝手に思っていた。
なのに、ふと思ったのだ。
「私もカラコン、してみたいかも」と。
理由はわからない。
自分にすこしの変化を起こしたかったのかもしれない。手っ取り早くいつもと違う自分の姿をみたかったのかもしれない。
半径数十センチの楽しみ
どうして自分をちょっぴり変身させたくなったのか。
私の場合、なんらかの事情で行動範囲が狭まったり遠くに出かけにくくなったりすると、そのぶん興味関心が半径数十センチ以内、つまりは自分自身に向く傾向があるようだ。
これは妊娠中に感じたことで、体調やホルモンバランスの変化で「外に出たい」という欲求がなくなるのと引き換えに、内にこもりたくなった。
そして、美容欲がむくむくと湧き出したのだ。
美容とは外に出ることなしに楽しめて、生活にちょっとした彩りを添えてくれる遊び。
いまの私は、0歳児と四六時中いっしょにいる生活を送っている。
以前のように身軽に、思い立ったらどこへでもすぐ出かけるのがむずかしいというライフスタイルといえる。
それが関係しているかはわからないけれど、私の目線はかつて出かけた遠い場所ではなくすぐ近く、そう、鏡の中の自分自身に焦点があってしまったのだ。
メイクで見た目の印象を変えるには技術がいる。
髪型や髪色を変えるのにはちょっとした決心を要する。
でもカラコンはテクニックも時間も必要ないし、似合わなかったらはずせばいいだけ。
見たことのない私に、簡単に出会えそう。
そう思ってしまったのだ。
それからさっそくカラコンデビューに相応しいレンズを探し始めるものの、はっきりいって種類の多さのわりにひとつひとつの違いはわからない。
各レンズを装着した瞳のアップの写真をスマホで次々眺めるも、どれも似たふうに見えて「作っている当人たちですら、パッケージを隠して並べられたらどれが自社のレンズかわからないのでは?」と思えるくらいだった。
たった直径13~4ミリほどの円(=レンズ)。
そのバリエーションなんてたかが知れているだろうと素人の私は思ってしまうのだけど、そこに広がっているのはほとんど無限と言っていいほどの世界。
カラコン個々の違いを吟味して選ぶというよりは、「どのカラコンのコンセプトやイメージモデルに一番憧れられるかどうか」が決め手なのだな、と悟った。
そんなわけで私も好きな女性タレントがイメージモデルを務めるカラコンの、一番の売れ筋と思われるものを選んで注文した。
カラコンで知る、日本人の美の理想
さっそく翌日には購入したものが届き、いよいよ開封。
さんざん写真で見てきたけれど、実物のカラコンというのは少しばかりグロテスクに感じた。
透明の地にプリントされた、もにょもにょとした虹彩の模様。
これを瞳に入れることで果たして私はどう変わるのか、ドキドキしながら目に入れてみる。
まず思ったことは、「目だけ少女漫画の登場人物になった……!」であった。
あの、目だけで顔の3分の1くらいを占めるような、少女漫画特有のかがやくお目目。
少女漫画のあの瞳、キラキラと細かく丹念に描き込まれたあの瞳そのものに、カラコンを装着した瞬間になったのだ。
私は鏡のなかの自分と見つめあいながら、不思議と納得していた。
日本人が目指す美の究極の到達点のルーツって、少女漫画にあったのか……と腑に落ちるような感覚があった。
幼いころからアニメや少女漫画的な可愛さに慣れ親しんだ私たちは、黒目がちできゅるるんと光を宿し、細かく模様の施されている、あの目を「可愛い」「キレイ」の一つの頂点として目指しているところがあるのではないかと思った。
鏡の前を通るたびに自分の顔を覗き込んではそわそわと落ち着かない気持ちを味わいながら、彼が起きるのを待った。
起きるやいなや、まだ寝ぼけている彼にさっそく「見て見て、カラコン入れてみたの」と目をぱちぱちさせてみる。
男性は一般にファッションやメイクに関してナチュラル志向というか、女性よりは保守的と言われている。
だから正直なところ、微妙な反応が返ってくると思っていた。
「ちょっとすごすぎるよね?」とおそるおそる聞く私に「あ、いつもと違うね~でも別に変じゃないよ?」と、彼の反応は意外にも普通。
「え、そうかなあ?でもこの漫画みたいな目に慣れちゃって、裸眼でいるのが落ち着かなくなったらどうしようって思ってるの」と言う私に、
彼は
「別にカラコンが裸眼の上位互換ってわけじゃないからいいんじゃない?単にバリエーションが増えただけで」と言った。
「上位互換」という言葉はソフトウェア製品などについて使われる用語らしく、機械にうとい私には馴染みがない。
だけどカラコンをつけた状態がレベルが上で、裸眼だったり透明のレンズをつけた状態が下というわけではない、シンプルに瞳のバリエーションが増えただけにすぎない、という彼の感想を私は好ましく受け取った。
カラコンを装着してみて違和感を感じつつも、じつはこんな思いが私の頭をよぎっていたのだ。
もしこの瞳に見慣れてしまったら、そしてもし今後カラコンなしの目がお粗末に感じられて、カラコンをつけずには人前に出られない私になってしまったらどうしよう……と。
実際世の中には、カラコンをつけずに人と会うことイコールすっぴんをさらすのと同じ、と感じる女子が結構な数いるらしい。
対して「カラコンも無色のコンタクトもどちらもいい」という彼のシンプルな感想に、「カラコンなしでいられない自分になってしまったら窮屈だな」と身構えていた心がゆるんだ。
お化粧を始めたころは「これでもうすっぴんで外に出られなくなる」だなんて窮屈そうに未来を憂えたりしなかったのに、
カラコンに関してはなぜか「これなしでいられなくなることはなんだか嫌だな」と警戒してしまう不思議。
(私の「人生という旅の荷物・美容部門」はもうキャパシティを超えそうということか)
裸眼でいることは丸腰で戦うようなもの?
それにしても、カラコンもそれにまつわる情報も一切視界に入らなかった頃とは打って変わり、いまの私は誰がどのメーカーのレンズをしているかがとても気になる。
私が普段SNSで見ているあの有名人もあのモデルもあのインフルエンサーも、とにかくたいていの今どき美女はカラコンを愛用しているようなのだ。
SNS上の美女の投稿にはよく「カラコン何をつけていますか?」と、カラコンを装着している前提での質問がついている。
私がカラコンと聞くと思い浮かべていた、「顔立ちは思いっきり日本人なのに瞳の色だけ欧米風」というちぐはぐな女の子はもはや絶滅してしまったようで、今はみんなカラコンを入れて「盛った」瞳をごく自然に自分のものにしている。
カラコンをつけた状態がデフォルトだなんて。
それまでカラコンのカの字も頭になかった私としては、今まで武器を持たずに丸腰で戦っていた(なにと?)ような気にさせられる。
*
じつは冒頭の書き出しから3週間ほど経って、いま続きとしてこれを書いている。
今のところ私は当初懸念していたようなカラコン依存にはならず、今まで通り無色透明のレンズも愛用している。
「カラコンは上位互換ではなく、瞳のバリエーションを増やしてくれたに過ぎない」という彼の言葉のおかげで、カラコンをつけていない自分を「”盛れて”ない」「可愛くない」と思わずに済んでいるからだ。
手頃な価格帯なこともあってすでに3種類のカラコンを取りそろえ、すこし気分を変えたいとき、洋服を着替えるような気分で愛用している。
「カラコンと一生ともにするぞ」なんて意気込むことをせず気楽に楽しめばいいのだと、ごく当たり前の気持ちである。
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