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芸術鑑賞とSNS鑑賞に関する考察

前書き

この記事は、かねてより個人的に違和感があったことで、どうしても言葉にまとめられずにいたことを、思考の整理も兼ねてまとめたものである。

目的

SNSを表現の場とすることが一般的となった現代社会において、鑑賞者に求められる作者への関わり方および作品を創作する作者としての心構えを考える。

比較・対象

歴史上有名な作曲家および小説家や歌人とnoteクリエイター








なんちゃってね(= '艸')ムププ

論文形式でやってみるのも面白いかと思ったのですが、ばかばかしくて笑いが堪えきれなくなってきたのでやめます!

半分冗談で、論文形式は面白いと感じてくださる方ももちろんいらっしゃるでしょうけど、体が拒否反応起こす方もいらっしゃるかなと思うので、通常モードの私の独断と偏見で進めましょう。

せっかくだから創作活動をされる方にも、読み専アカウントの方にも読んでいただきたいですからね。

おっ、いつもとまた違うじゃん! って掴みとしてはいかがでしたか?


……マニア向けかもしれませんね (´‐` ;)ソ・・ソンナァ


書き始めのきっかけは前書きの通りなのですが、例えば松尾芭蕉とか正岡子規とか、それよりもっと昔の百人一首になっているような人たちの句や、ベートーヴェンやショパンなどの音楽を紐解く……みたいな番組あるいは彼らをモチーフにした映像作品などを見るときに思うことがあります。


「〇〇はこのときの心情をこう謳っています」


「〇〇を失った絶望を表現した作品となっています」


このようなナレーションに、うっかり「へぇ〜、確かに〜」などと思いながら見るのですが、「本人の手記とかで残っている確かな情報なのかしら? 後世の者たちの思い込みが挿入されてはいないのかな? 」なんてふと思うのです。

芸術家が存命中に評価されるより、没後に評価される理由もここにあるのではないかなと考えます。
生きて作品を出せば、周囲から「感想」「評価」があるはずではないですか?

例えば「うまく悲しみが表現されていますね」と評価されたとして、本人は「違う! 怒りの表現だ! 」みたいに、作者と鑑賞者の捉え方の違いって少なからずあったんじゃないかなと思うのです。
だから、存命中に評価されなかったのかな? と。
現代では「悲しみ」として評価されて伝承されていても、異を唱える本人はいないし、実は作者の意図は全く違うってことが分かったら、見る目、聴く耳が変わるかもしれません。

noteでの創作活動でこんな経験ないですか?
そんなつもりで書いていないのに、何か勘違いされてしまうこと。

私の記事はほとんどがエッセイなので、届いたコメントに困ることは少ないのですが、時々、フィクションだと思って読み進めていった作品のコメント欄に「あれ? これは実体験の話として読めちゃうのかな? 」というコメントを見かけることがあります。
実体験をもとにした作品もあると思うので、一概に是非を問いたいわけではないのですが、noteは色々なスタイルで記事投稿出来ること、そして交流が出来ることで、想定外の方向に進んでいってしまうこともあるように思います。

これって、表現力の至らなさなのか、読解力の至らなさなのか、どちらだと思いますか??

私は、どちらが足りないってことではないと思うのですよね。

作者の、創作にかける思いと、読者の読みにズレがあるというのは当然あり得ること、むしろ、作者と読者が完全シンクロする方が稀なのかもしれません。

作品に対するコメントの難しさとして、作者の意図と違う、的外れなことを言って気分を害してしまわないか? と考えたこともあるのですが、こうして整理して考えてみたら「読んだ私はこう感じた」は、それはそれで正解なんだろうなと……。

それが、作者の意図と合えば、なんの問題も生じない。けれど……、
違ったとき、作者は「そんなつもりで書いていない」と、こころよく思わないかもしれないけれど、「そう読み取った人がいる」という事実も大切にしてみたら良いのかなと思ったりして。


昔の芸術家と比較しましたけど、現代においても買った本を読んで直接ファンレターとして感想を送ったとしても、その読解で正しいかどうかなど作者から反応が返ってくるわけではありません。

レビューを見て、凄く面白い(あるいはつまらない)と書いてあっても、自分自身の読後感は真逆のことだってあるわけですから。


SNSを利用して作品を生み出す人は、どんな思いで創作をしているのか。
自分の気持ちを伝えたくてという人もいるでしょう。
自分の気持ちを落ち着けたくてという人もいるでしょう。
誰かのためにと思う人もいるかもしれません。

また、SNS上の読み手はどうなのでしょうね?
作者の気持ちになったつもりで読む人もいるでしょう。
自分の経験に置き換えて読む人もいるでしょう。
その人の言葉に救いを求めている人もいるかもしれません。

でも、お互い全く知らない相手。

SNSは、やり取りができることで、相手を分かった風になりがちですが、本当に分かるのか?

発信する側であっても受信する側であっても、一部分を見て全て分かったという思い込みは避けたいなと感じる今日この頃です。

そんなことを考えるようになると、誰かのことを言ってるのかな? 誰かと何かあったのかな? と思わせる内容の記事に対して私は「作品作品。これは作品。」と思うようにしています。

私に伝えたいことや聞いて欲しいことを記事にするなら、ハッシュタグにでも #ひーさんへ とか、#ひーさん聞いて  って入れておいてくださいね😉
なんちゃって。


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