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【自己紹介】年商1億円を達成して分かったお金よりも大切なこと③〜終わりの始まり編〜

前回はこちら。

週100時間働き、数多の涙と犠牲を払って得た
営業の成果、昇進という成果の対価は、

『手取り月収16万円』という驚愕の事実

勿論明確な理由はあった。
元々は成果連動型の報酬で、大きく成果が出た月は月収100万を超えることもあった。

ただ、成果に軸足を置き過ぎたことにより離職率が高くなったことで、社内制度が変わりプロセスも評価されるようになった。

会社自体の業績が厳しいということもあり、結果として、マネージャーの時の手取りが16万円だった。

ここで冷静に考えた。
自分がありたいと考えた姿になっているだろうか?

父親の会社が倒産したことで感じた、「お金=成功」という方程式に照らし合わせた時、自分は成功して幸せなのだろうか?


結局入社前に抱いた、ビジネスでの金銭的な成功を自分自身が達成できていない。
1億円を稼いでいない。

そんな状況で、「目の前の人を喜ばせる」という目標を達成することはできないと思った。


そして、この状況を改善して、個人の収入に跳ね返ってくるようにするには、もっと会社を大きくして、収益を上げる仕組みが必要だと気づいた。

そのためには、「マーケティング」のスキルが必須だと感じた。

しかし、発想として教育の会社でそれを学ぶことは難しかった。
和食の職人が、車作りをするような畑の違いさがあった。

「やることはやった。転職しよう。」


会社には、人材、システム、コンテンツ、そして売上という意味でお金、を残し、育ててもらった恩返しも自分の中では出来たと思った。

引き止められもしたが、丁重にお断りをした。

会社には本当に感謝しているし、最後のボーナスも受け取らなかった。


今までの実績が言える程度にはあったので、転職には困らなかった。
結果として、最大手の広告代理店の営業に転職。
給料も当然上がった。笑

そして、いわゆる誰もが知る一流企業に転職したことで、

「自分のやってきたことは間違いではなかった!」
という自信を得ることにも繋がった。

もちろん、家族や彼女も喜んでくれた。


広告業界自体は未経験ということで、文字通りマーケティングのことを0から勉強した。
1ヶ月目は研修で、2ヶ月目からお客さんを担当した。

8時から26時の実質の勤務時間だった。
(ちなみに元々の見込み残業が176時間付いている。笑)
エゲツないまでに働いた。

「ここでマーケティングを学び実践することで、父親のような人を無くす!ビジネスでの成功を導ける人になるんだ!」と意気込んだ。

そして、前職よりももっと、パワフルな成果主義だった。
結果を出していなければ、生きる資格が無いが如く、めっこり詰められた。

詰められ方も上司、部門長、そしてクライアントと全方位的だった。

何故なら、扱う金額の桁が前職と2桁以上違ったからだ。
クライアントは誰もが知る上場企業で、TVやネット、リアルを組み合わせた
マーケティングモデルを立案し、実行。

たった1%の違いが、数千万から億単位の売り上げに跳ね返ってくる仕事だった。

それほど責任が大きく、またプレッシャーが大きかった。
クライアントからも早朝、深夜に関わらず電話がかかってきた。

「やるの?やれないの?どっち?やれないなら⚪︎ぬってことでいい?」
みたいなやり取りが普通だった。

いつも通りオフィスで電話越しに謝罪をしている最中、隣の席に目をやると北海道出身の新卒の可愛いらしい女の子は、月商1億だった。

空いた口が塞がらない。

なんだこの世界は。。
前職では自分の目標を達成するために死ぬ物狂いで働いていたのに、それを一回りも違う若い女の子がたったの1ヶ月で。。


ということを考えるも束の間、仕事という大波に飲まれ、考える時間も寝る時間も何もなく、ただ流されていった。

気がついたら前職の年商を、1ヶ月で稼ぐようになっていた。
そして、入社して数ヶ月で部下を持つことになった。

仕事ができるようになるにつれ、時間や思考は奪われたが、収入は上がっていった。

会社に近い赤坂の高級マンションを借りた。

少しでも睡眠時間を確保するためだ。


しかし仕事のハードさはドンドン加速していく。
成果が上がって、クライアントの売上が1億円伸びても、

「で?次はどうすんの?やる気ある?」という世界。

必要であれば始発で東京から大阪まで行って、クライアントとミーティング。

東京に戻り、日中仕事をして、夜は会食という名の接待を。
その後また残した仕事をして、泥のように眠り、また朝を迎える。

毎日、上司、同僚、クライアントから、成果や期日について詰められる。
自由も時間もなければ、喜びに浸る時間も、感謝をされることも無い。

PCを鬼の形相で睨み、祈り、1%の数字変動に神経を尖らせていた。

気がついたら、口グセが「申し訳ございません。」になっていた。

怒られ過ぎて、どんなことにも「申し訳ございません。」
「はい、、申し訳ございません。。」が相槌になっていた。

遂に、目標である年商1億円を達成した。

それと引き換えに、
夜が終わらなくなった。

仕事が終わり「明日のために早く寝なきゃ」と思っても、動悸がして、目が冴えて、布団の中で仕事のことを考えた。

いつまで経っても寝れず、夜が終わらない。

一睡も出来ずに、目にクマができて出勤し、仕事中気がついたら意識を失っていたこともあった。

レッドブルをキメて、また仕事をする。
意識を失ったら、追いレッドブルをしていた。

翼が生えるのも時間の問題だった。


夜が来ても、夜が終わらない。

人間寝ないとますます効率が下がる。

仕事でミスが増え、また責められ、謝り、仕事が増える。
そして夜が終わらない。

気がつくと涙が流れていた。

完全なる負の連鎖に入った。


学生時代から目標にしていた、年商1億を達成した。
お金もあった。

それと引き換えに、人権や時間は無く、人間らしい生活から遠ざかった。

自分のために仕事をするのではなく、会社のために仕事をしている状態。


そして、とある日の早朝。
電話が鳴る。身体がこわばる。

スマホを見るとクライアントから。
憂鬱だ。

話を聞くと、「昨日依頼した内容はどうなっているのか?」という確認の電話というか、クレームだった。

意識が遠い。
生返事をして電話を切った。


プツン。

ピーンと張り詰めていた緊張の糸が切れる音がした。

「もうダメだ。」

上司に電話し、クレームがあったことを報告し怒られるも、
「もうできません。」と一言だけ言って、電話を切った。

そして会社の人事に連絡し、産業医の先生と繋げてもらい、面談。

産業医の先生から「病院に行ってみてください。」と言われ、その日中に心療内科へ。

クリニックの先生からの診察経て、
「重度のうつ病一歩手前です。病名は適応障害。診断書書いとくので、会社に提出してお休みしてください。睡眠薬も出しときます。」とのこと。

「良かった。あの地獄から抜け出せる。」と安心した。
その日は安心感から久しぶりにゆっくり眠れた。

たしかに自分の目標だった、ビジネスでの成功、年商1億円を達成することでひとまず成功と言えた。

しかし、それと引き換えに、自分の健康や自由な考えや時間を失った。

当然仕事も行けないので、しばらく休職となりその後半年で退職となった。

そして、結婚の話もしていた5年間付き合った彼女ともお別れすることになった。

・・・

文字通り全てを失った。
赤坂のマンションを解約し、実家に逃げるように戻った。

年商1億達成したところで、それ以外のものを疎かにしたら何も意味がないと気がついた。

成功という名の幻想を、夢を、ずっと追いかけていた20代だった。
いざ手にしてみたら儚いものであった。


お金も稼げず、5年付き合った最愛の人も失った。
「自分ってなんて価値が無い人間なんだろうか。」と毎日泣いた。

外が怖い。
2週間に1回の病院以外は、実家のリビングに布団を敷いて、寝た。
数少ない友達とも自然と疎遠になった。

コロナにもなり、帯状疱疹に罹った。
カラダもメンタルもボロボロ。

気がつくと涙が止まらない。
ずっと頑張っていたはずなのに。。

健康なし、職なし、金なし、コネなし、彼女なし。
なしなしなしの数え役満だった。

文字通り人生の底を見た。
あの時の辛さは、父親の会社の倒産を遥かに上回る絶望だった。

あまりに失ったものが多すぎるし、大きすぎる。

なまじ仕事で成果を出して、一流企業への転職を果たし、成功体験を得ていたために余計にダメージが大きかった。

クリニックに行っても
「薬飲んで、休みなさい。」しか言われず、心理療法的な施しも何も無かった。


高い所に登って、下を見下ろしたこともあった。
「楽になりたい。」ただその一心だった。

全てを否定された気がした。
「生きている意味が分からない。」この気持ちがカラダを巡っていた。

死なないことに必死で、正直、当時のことをよく覚えていない。
どれくらい続いたのかも分からない。

どれほどの涙を流したか分からない。


ニートの状態が1年ほど続いただろうか。
その間、家族は何も言わず、見守ってくれていた。

流す涙も枯れたのか、少しずつ、外に出るようになった。
家の近くにジムがあり、ヒマつぶしの為に通うようになった。


「自分って、何が好きだったんだっけ?」
自分という輪郭を取り戻す作業を始めた。

まずは衰えた筋肉を鍛えた。
久しぶりにカラダを動かす。

痛みを感じた。
生きている感じがした。

そして、この時一番のよりどころとなっていたのは、本だ。
クリニックに行っても「薬飲んで、寝ろ」しか言われなかった。

もっと何かあるはずだ!と思い、一体何が原因で、自分がこうなったのか、どうすれば良くなるのか、あの時どうしたら良かったのかを精神医学や、哲学などを勉強し始めた。


そしていつも通り本屋に行くと、
今までは興味の無かったスピリチュアル系の棚が気になった。

宇宙、瞑想、チャクラ、氣、波動といったキーワードが並んでいた。
どうも何かここにヒントがあるんじゃないか。と直感的に感じた。

この手の話は実証できない、目に見えないもので、元々論理的に考える理系タイプだった自分としては、一番縁遠い世界だった。

ただ勉強していみると、どうも面白い。

今まで胡散臭いと敬遠していたが、天使がなんだとか、オーラがなんだとか、魂がうんぬんというのは分からないけど、8割くらいはまともなこと言ってると感じた。

またこういった精神世界の話が量子力学等の現代科学の発達によって、「確からしい」ということが徐々に判明しているらしいというのは、理系の自分にとっては、より興味をそそられるものだった。

何よりその当時悩みを抱えている自分にとっては、真偽はともかく心をラクにしてくれるものだった。

そして、どの本にも共通して、書いてあったのは、
「自分の心のワクワクは全てを知っている。ワクワクに従おう!」ということだった。


全てを失った自分に、もう失うものは無かった。
「どうせ何も失うものなんて無いんだ。騙されたと思ってワクワクして生きたらどうなるのか。やってみよう!」と決めた。


前回までのnoteはこちら。

年商1億円を達成して分かったお金よりも大切なこと①〜極貧地獄編〜!
年商1億円を達成して分かったお金よりも大切なこと②〜立身出世編〜!


次回、年商1億円を達成して分かったお金よりも大切なこと④〜リスタート編〜!


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それでは、出会えたことに感謝。

良き日をお過ごしください。


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