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【自己紹介】年商1億円を達成して分かったお金より大切なこと①〜極貧地獄編〜

出会えたことに感謝します。
どうも竜馬です!

サラリーマン時代、営業の仕事をしており、その時に年商1億円を達成しました。(年収とはまた別)

そこで分かったのは、
"お金よりも大切なことがある”

ということでした。

愛、家族、友情、健康ではない、僕なりの回答とそこに辿り着くまでの軌跡を当時の自分に向けてシェアします。

少しでも自分の経験が参考になれば嬉しいです。

①年商1億円稼いで分かった、お金より大切なこと〜極貧地獄編〜
②年商1億円稼いで分かった、お金より大切なこと〜立身出世編〜
③年商1億円稼いで分かった、お金より大切なこと〜終わりの始まり編〜
④年商1億円稼いで分かった、お金より大切なこと〜リスタート編〜


高校3年生、センター前日。父親が部屋に来た。

激励のコトバをかけられるのかと思いきや、
「会社が倒産した。家族のために進学せずに働いてくれ。」

唖然とした。
そこそこの進学校に通っていて、周囲は当然大学進学。

今までは何も考えず、両親に守られただ生きていたが、一気に人生のリアルさを体感した。

腹が立って、机を殴った。
その痛みは今でも覚えてる。


そして、一番辛かったことは、受験シーズン後の教室だ。

志望校に受かった人間は、努力が実った嬉しさと、4月からの華のキャンパスライフに胸躍らせていた。

浪人する人間も多くいたがそいつらはそいつらで、絶対に受かってやる。と目に闘志を燃やしていた。

喜びと反骨心入り混じる教室の中で、ただただ自分の親を恨んだ。

「なんで俺だけ。」

もちろん毎日弁当を作ってくれた母さんや、夜遅くまで働いていてくれた父さんへの感謝の思いはあったが、どうにもやり切れない気持ちに苛まれた。

お世話になった先生にも今後の報告も満足もせずに、ただ腐っていた。

家ではお金のことで両親のケンカが絶えず、会社が上手くいっていた時は立地の良い、高級マンションに住んでいたが、家族4人川の字になって寝るボロアポートに引っ越した。

お金が無くて、チョコスティックと薄めたインスタントコーヒーが主食だった。

18歳の育ちざかりの当時の自分には辛かった。

家族の家計と自分のお腹を満たすべく高校卒業後、仕方なく働き口を見つけた。たまたま空いていた早朝のカフェのバイト、派遣の引っ越しのバイトを掛け持ちした。

バイトの面接では「浪人してます。」と言ったが、いつ進学できるかの目処は立っていなかった。

そして、毎日腹ペコになりながらバイトをした。


早朝のカフェでは社員の人間がお客さんに対してちょっとしたことでキレるタイプで、時折その矛先が自分に向いて、バックルームで包丁を腹の先5cmの所まで近づけてきて、

「殺すぞ。」

とドスの効いた声で言わていたこと以外は、廃棄のサンドイッチをこっそり食べられるからカフェのバイトは楽しかった。

ただ、引越しのバイトは厳しかった。4トントラックに荷物を積んで、社員と思わしき30代くらいのドライバーと、バイトの40代のおじさん、そして自分。

3人1組でいつも現場を回った。

30代のおじさんは「いばらぎ」と言うと必ず、「いばらき」な、と訂正される茨城愛ととにかく腕っぷしが強い人で、読み終わったジャンプをいつも貸してくれた。

一方40代のおじさんは、現実世界にカイジがあったらレスポワールという名の船に乗っていそうな、うだつが上がらないが、優しい人だった。

色々なものを運んだ。
いわゆる普通の引越しでテレビやソファ、冷蔵庫も運んだ。だいたい一般家庭の引越しはお客さんのお母さんが気を利かせて、引越し配達員によく冷えたペットボトルのお茶を用意してくれていた。

特に暑い夏の日の引越し作業では、火照ったカラダに染み渡った。

法人のお客さんの引越しもあった。ビルからビルへのオフィスの引越しもした。この場合は配達員も増員されて一晩で一気にやることもあって大変だった。

そしてどちらの場合も、40代のカイジおじさんは、30代の茨城おじさんに烈火のごとく毎回怒鳴られていた。なぜならよくミスをするからだ。

大きめの間接照明を持ってドアの淵にぶちあてて、新居に傷を付けたり、

小さめの象くらい重いオフィス用のコピー機を3人で運んでいる時に腰を抜かして、30代のおじさんと僕も一緒に崩れ落ちたり、

と残念ながらカイジおじさんはそこでも活躍はできなかった。

小中高という狭い世界で生きていたが、社会というものを知り当時の自分は大きな人格形成がなされた。

それは、

お金が人の価値を決める。

ということだ。
何故なら、19歳のあの時、
お金さえあれば、お腹いっぱい食べられる。

お金さえあれば、良い家に住めていたし、大学にも行けた。

お金さえあれば、キレる包丁ぶん回し社員の相手もしなくてもいい。

お金さえあれば、自分よりも一回り年下の人間に死ぬほど怒られることもない。

当時はホリエモンが活躍しているような、IT系青年実業家がフォーカスされていた時代背景もあり、金がある人はとにかくモテていた。(ように見えていた。)

そうした経験から、

19歳の頃に絶対に「お金を稼ぐ。」と決心した。

目標は1億円を稼ぐ!と漠然と思っていた。

しかし、そんな風には思うもののバイトが忙しかったのもあり、中々勉強もできず「俺はこんなところにいる人間じゃない。大学に行くんだ。」というプライドだけは一人前で、たまたま同じ境遇の幼なじみと傷を舐め合っていた。

ただ友達と一緒に受験やお金ということも忘れて、ゲームをしたり、野球をしたり、馬鹿話をしている時はとても楽しかった。

そして、月日が流れ、バイトのお金や、奨学金も借りながら、ストレートよりも2年遅れて、都内の経営学部のある大学に進学できた。

そして、大学進学したらやりたいことがあった。
それはキャンパスライフを楽しむこと!

サークルに入ったり、夜通し飲んだり、女の子と遊んだり等の THE・ 大学生に憧れていた。

何故なら、高校を卒業し社会に出て、友達も一人しかおらず2年間ほとんど孤独だった僕は、心を通わせられる"友人"が欲しかった。

そしてできれば、自分と同じ志を持った仲間が欲しかった。

入学後、出会う人に、
「君の目標は何だ?この人生をどう生きる?」と聞いて回っていた。

そして、3ヶ月後。

「思っていたのと違う。」

多くの年下の同級生は、良くも悪くも平凡だった。
皆が行くから大学に行って、
皆が行くから良い企業に入って、
皆がするから結婚して子供を産む。

そんなライフプランを思い描いていた、ように見えた。


僕が志していたライフプランとは全く違っていた。
「とにかく、金を稼ぐ!」それが重要だ!と思っていたし、

「精神的向上心の無い者はばかだ。」とどこからか引用した言葉を信じて、疑わなかった。

起業家や経営者の自伝を読んでは、
「こうありたい!」と心を熱くしていた。


そして気がつくと周囲から、誰もいなくなった。
僕は体質的にお酒が全く飲めないので、シラフの状態で聞いて回っていたのもマズかったかもしれない。

2歳年上というのも奇異の目で見られたのかもしれない。

いや、「自分は誰とも心を通わせることができない。」と自分から心のシャッターを下ろしていたのかもしれない。

とにかく、自分の思い描いていた、華のキャンパスライフ、大学デビューは3ヶ月で幕を閉じた。

これは栄光ある孤独なんだと自己肯定し、
なんとか自我を保っていた。

そこからというものの、大学へ行くモチベーションも低下した。
当初の「成功する。お金を稼ぐ。」ということにフォーカスした。

色々なビジネス書を読み、それらを要約すると、
「本当に自分が得意なこと、好きなことを見つけ、それを仕事にすることが成功への近道だ。」と書いてあった。

素直に従い、まずは自分の得意や好きなことを見極めるべく、大学時代は色々な経験をしようと努めた。

以下大学時代の体験を列挙すると

・青春18きっぷで日本一周。カナダへ語学留学ホームステイ。

・関東近郊のアイドル、地下アイドルのライブに出向いて、楽曲、ダンス、ルックス、コンセプト、衣装の評価を付けた総勢80組のアイドル図鑑の作成。
地下アイドル過ぎて5人組のアイドルのライブに行ったら、観客が自分1人で、最早どっちが観ている側なのか分からなかった。

・ニコニコ生放送で女装✖️料理のコンセプトで視聴率1位を獲得しプチバズり。四国在住の1日3Lビールを飲む系インフルエンサーと恋仲になり、親にご挨拶しにいくも、相手の二股が発覚し出会って2回で無事破局。

・1日で3冊の本を読むことを自分に課して、名著やビジネス書などを中心に4,000冊を読破。

・メンズ版コンセプトカフェにキャストとして入店。
「おかえりなさいませ。お嬢様」が恥ずかしくて言えず、3日で脱走。

・弁護士を志すも、六法全書が重すぎて、挫折。
代わりに官僚になろうと志し、参考書を購入するも、参考書で指を切り、それ以来開くのがトラウマになってしまい挫折。

・ゲイバーで、お店の店長と仲良くなる。
「君は宝だ!僕が守ってあげる。」とHなクリスマスイベントにスカウトされ、意味が分からず怖くなり脱走。

・大手学習塾の新規立ち上げメンバーのアルバイトに採用、教室のリーダーに任命され生徒を全員志望校合格。講師の育成にも携わる。

・富士山登頂にチャレンジするも友人とはぐれてしまい、暗闇と吹雪に見舞われ遭難し、命からがら救助隊に助けてもらう。
山小屋に泊まり翌朝を迎え、ご来光のあまりの綺麗さと命があることへの感謝のあまりお漏らし。その後財布を無くしたことに気づき帰れなくなる。

真面目なのものあれば、不真面目なものも。(どちらかと言うと、不真面目なものが多いかも笑)

とにかく、行動することで自分が何が得意で、何が好きなのかを見極めて、自分が打ち込める仕事を見つけたかった一心だった。

どれも全力投球で、どれもとても楽しかった。


そうして、色々な体験をして気づいた自分が没頭できることは、

一言で言えば、
「何かを伝えることを通じて、目の前の人を喜ばせること」だった。

その何かのために必要な知識を吸収することは無限にできた。

あと、可愛い女の子が大好きだった。笑
付き合いたいとかではなく、そっと肩に手を置いて、嬉しい時は一緒に喜び、辛い時は励ます。そんなことが好きだと感じた。

これらを踏まえて、どういった仕事をして1億を稼ぐのかを考え、進路を選択した。

長くなってしまったので、この辺で失礼。

次回、年商1億円を達成して分かったお金よりも大切なこと②〜立身出世編〜


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それでは、出会えたことに感謝。

良き日をお過ごしください。

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