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少し長めの自己紹介

出会えたことに感謝します。
どうも竜馬です!

サラリーマン時代、営業の仕事をしており、その時に年商1億円を達成しました。(年収とはまた別)

そこで分かったのは、
"お金よりも大切なことがある”

ということでした。

自己紹介として、愛、家族、友情、健康ではない、「お金よりも大切なもの」を僕なりの回答とそこに辿り着くまでの軌跡を書き記しておきます。

追記:過去の記事を見やすいように、1記事にまとめました!


高校3年生、センター前日。父親が部屋に来た。

激励のコトバをかけられるのかと思いきや、
「会社が倒産した。家族のために進学せずに働いてくれ。」

唖然とした。
そこそこの進学校に通っていて、周囲は当然大学進学。

今までは何も考えず、両親に守られただ生きていたが、一気に人生のリアルさを体感した。

腹が立って、机を殴った。
その痛みは今でも覚えてる。


そして、一番辛かったことは、受験シーズン後の教室だ。

志望校に受かった人間は、努力が実った嬉しさと、4月からの華のキャンパスライフに胸躍らせていた。

浪人する人間も多くいたがそいつらはそいつらで、絶対に受かってやる。と目に闘志を燃やしていた。

喜びと反骨心入り混じる教室の中で、ただただ自分の親を恨んだ。

「なんで俺だけ。」

もちろん毎日弁当を作ってくれた母さんや、夜遅くまで働いていてくれた父さんへの感謝の思いはあったが、どうにもやり切れない気持ちに苛まれた。

お世話になった先生にも今後の報告も満足もせずに、ただ腐っていた。

家ではお金のことで両親のケンカが絶えず、会社が上手くいっていた時は立地の良い、高級マンションに住んでいたが、家族4人川の字になって寝るボロアポートに引っ越した。

お金が無くて、チョコスティックと薄めたインスタントコーヒーが主食だった。

18歳の育ちざかりの当時の自分には辛かった。

家族の家計と自分のお腹を満たすべく高校卒業後、仕方なく働き口を見つけた。たまたま空いていた早朝のカフェのバイト、派遣の引っ越しのバイトを掛け持ちした。

バイトの面接では「浪人してます。」と言ったが、いつ進学できるかの目処は立っていなかった。

そして、毎日腹ペコになりながらバイトをした。


早朝のカフェでは社員の人間がお客さんに対してちょっとしたことでキレるタイプで、時折その矛先が自分に向いて、バックルームで包丁を腹の先5cmの所まで近づけてきて、

「殺すぞ。」

とドスの効いた声で言わていたこと以外は、廃棄のサンドイッチをこっそり食べられるからカフェのバイトは楽しかった。

ただ、引越しのバイトは厳しかった。4トントラックに荷物を積んで、社員と思わしき30代くらいのドライバーと、バイトの40代のおじさん、そして自分。

3人1組でいつも現場を回った。

30代のおじさんは「いばらぎ」と言うと必ず、「いばらき」な、と訂正される茨城愛ととにかく腕っぷしが強い人で、読み終わったジャンプをいつも貸してくれた。

一方40代のおじさんは、現実世界にカイジがあったらレスポワールという名の船に乗っていそうな、うだつが上がらないが、優しい人だった。

色々なものを運んだ。
いわゆる普通の引越しでテレビやソファ、冷蔵庫も運んだ。だいたい一般家庭の引越しはお客さんのお母さんが気を利かせて、引越し配達員によく冷えたペットボトルのお茶を用意してくれていた。

特に暑い夏の日の引越し作業では、火照ったカラダに染み渡った。

法人のお客さんの引越しもあった。ビルからビルへのオフィスの引越しもした。この場合は配達員も増員されて一晩で一気にやることもあって大変だった。

そしてどちらの場合も、40代のカイジおじさんは、30代の茨城おじさんに烈火のごとく毎回怒鳴られていた。なぜならよくミスをするからだ。

大きめの間接照明を持ってドアの淵にぶちあてて、新居に傷を付けたり、

小さめの象くらい重いオフィス用のコピー機を3人で運んでいる時に腰を抜かして、30代のおじさんと僕も一緒に崩れ落ちたり、

と残念ながらカイジおじさんはそこでも活躍はできなかった。

小中高という狭い世界で生きていたが、社会というものを知り当時の自分は大きな人格形成がなされた。

それは、

お金が人の価値を決める。

ということだ。
何故なら、19歳のあの時、
お金さえあれば、お腹いっぱい食べられる。

お金さえあれば、良い家に住めていたし、大学にも行けた。

お金さえあれば、キレる包丁ぶん回し社員の相手もしなくてもいい。

お金さえあれば、自分よりも一回り年下の人間に死ぬほど怒られることもない。

当時はホリエモンが活躍しているような、IT系青年実業家がフォーカスされていた時代背景もあり、金がある人はとにかくモテていた。(ように見えていた。)

そうした経験から、

19歳の頃に絶対に「お金を稼ぐ。」と決心した。

目標は1億円を稼ぐ!と漠然と思っていた。

しかし、そんな風には思うもののバイトが忙しかったのもあり、中々勉強もできず「俺はこんなところにいる人間じゃない。大学に行くんだ。」というプライドだけは一人前で、たまたま同じ境遇の幼なじみと傷を舐め合っていた。

ただ友達と一緒に受験やお金ということも忘れて、ゲームをしたり、野球をしたり、馬鹿話をしている時はとても楽しかった。

そして、月日が流れ、バイトのお金や、奨学金も借りながら、ストレートよりも2年遅れて、都内の経営学部のある大学に進学できた。

そして、大学進学したらやりたいことがあった。
それはキャンパスライフを楽しむこと!

サークルに入ったり、夜通し飲んだり、女の子と遊んだり等の THE・ 大学生に憧れていた。

何故なら、高校を卒業し社会に出て、友達も一人しかおらず2年間ほとんど孤独だった僕は、心を通わせられる"友人"が欲しかった。

そしてできれば、自分と同じ志を持った仲間が欲しかった。

入学後、出会う人に、
「君の目標は何だ?この人生をどう生きる?」と聞いて回っていた。

そして、3ヶ月後。

「思っていたのと違う。」

多くの年下の同級生は、良くも悪くも平凡だった。
皆が行くから大学に行って、
皆が行くから良い企業に入って、
皆がするから結婚して子供を産む。

そんなライフプランを思い描いていた、ように見えた。


僕が志していたライフプランとは全く違っていた。
「とにかく、金を稼ぐ!」それが重要だ!と思っていたし、

「精神的向上心の無い者はばかだ。」とどこからか引用した言葉を信じて、疑わなかった。

起業家や経営者の自伝を読んでは、
「こうありたい!」と心を熱くしていた。


そして気がつくと周囲から、誰もいなくなった。
僕は体質的にお酒が全く飲めないので、シラフの状態で聞いて回っていたのもマズかったかもしれない。

2歳年上というのも奇異の目で見られたのかもしれない。

いや、「自分は誰とも心を通わせることができない。」と自分から心のシャッターを下ろしていたのかもしれない。

とにかく、自分の思い描いていた、華のキャンパスライフ、大学デビューは3ヶ月で幕を閉じた。

これは栄光ある孤独なんだと自己肯定し、
なんとか自我を保っていた。

そこからというものの、大学へ行くモチベーションも低下した。
当初の「成功する。お金を稼ぐ。」ということにフォーカスした。

色々なビジネス書を読み、それらを要約すると、
「本当に自分が得意なこと、好きなことを見つけ、それを仕事にすることが成功への近道だ。」と書いてあった。

素直に従い、まずは自分の得意や好きなことを見極めるべく、大学時代は色々な経験をしようと努めた。

以下大学時代の体験を列挙すると

・青春18きっぷで日本一周。カナダへ語学留学ホームステイ。

・関東近郊のアイドル、地下アイドルのライブに出向いて、楽曲、ダンス、ルックス、コンセプト、衣装の評価を付けた総勢80組のアイドル図鑑の作成。
地下アイドル過ぎて5人組のアイドルのライブに行ったら、観客が自分1人で、最早どっちが観ている側なのか分からなかった。

・ニコニコ生放送で女装✖️料理のコンセプトで視聴率1位を獲得しプチバズり。四国在住の1日3Lビールを飲む系インフルエンサーと恋仲になり、親にご挨拶しにいくも、相手の二股が発覚し出会って2回で無事破局。

・1日で3冊の本を読むことを自分に課して、名著やビジネス書などを中心に4,000冊を読破。

・メンズ版コンセプトカフェにキャストとして入店。
「おかえりなさいませ。お嬢様」が恥ずかしくて言えず、3日で脱走。

・弁護士を志すも、六法全書が重すぎて、挫折。
代わりに官僚になろうと志し、参考書を購入するも、参考書で指を切り、それ以来開くのがトラウマになってしまい挫折。

・ゲイバーで、お店の店長と仲良くなる。
「君は宝だ!僕が守ってあげる。」とHなクリスマスイベントにスカウトされ、意味が分からず怖くなり脱走。

・大手学習塾の新規立ち上げメンバーのアルバイトに採用、教室のリーダーに任命され生徒を全員志望校合格。講師の育成にも携わる。

・富士山登頂にチャレンジするも友人とはぐれてしまい、暗闇と吹雪に見舞われ遭難し、命からがら救助隊に助けてもらう。
山小屋に泊まり翌朝を迎え、ご来光のあまりの綺麗さと命があることへの感謝のあまりお漏らし。その後財布を無くしたことに気づき帰れなくなる。

真面目なのものあれば、不真面目なものも。(どちらかと言うと、不真面目なものが多いかも笑)

とにかく、行動することで自分が何が得意で、何が好きなのかを見極めて、自分が打ち込める仕事を見つけたかった一心だった。

どれも全力投球で、どれもとても楽しかった。


そうして、色々な体験をして気づいた自分が没頭できることは、

一言で言えば、
「何かを伝えることを通じて、目の前の人を喜ばせること」だった。

その何かのために必要な知識を吸収することは無限にできた。

あと、可愛い女の子が大好きだった。笑
付き合いたいとかではなく、そっと肩に手を置いて、嬉しい時は一緒に喜び、辛い時は励ます。そんなことが好きだと感じた。

これらを踏まえて、どういった仕事をして1億を稼ぐのかを考え、進路を選択した。



父親の会社の倒産がキッカケとなり極貧地獄を味わい、その苦境を乗り越えるべく、大学生活色々な経験をしていった。

そして大学3年生になり、自分の進路を考えた。どの業界に身を置くか。

「お金を稼ぐなら金融業界が一番手っ取り早い。大富豪、大企業のお金を運用して、その手数料を%で貰えば、額が大きい分稼げる。」

「IT業界では在庫を持たないビジネスであれば、コストがかからず効率が良い。」

「伸びる業界に身を置くことが成功する秘訣だ。」

という本もあり、金融業界、IT業界にも興味を持ち、会社説明会にも行ってみた。
どの業界であれば、1億稼ぐことができるのか。

しかし、全くトキメキがなかった。

何故か。
規模が大きく本当に人の役に立っているのかが見えなかったからだ。

言うなれば、仕事の手触り感。
自分が何かをして、目の前の誰かを喜ばせる。

色々な経験を経て、感じた自分の好きなことは、それだった。

特に、「目の前の人を喜ばせたい!」強く感じた経験は大学2年生から卒業まで経験した、塾講師の経験が自分の中では大きかった。

何十人という受験生を担当させてもらったが一番記憶に残っているのは、数学が苦手な中学2年生のMちゃんだ。

定期テストでは平均が60点のところ、毎回40点ちょっと。

勉強はしているが、点数が取れず数学が楽しくない。
ただ、自分には夢があって、良い高校、良い大学に行きたい。だから今数学の点数を伸ばしたい。

でもできない。という状態だった。


中学数学の場合は基本的には1年生からの積み重ねで、中3の問題が解けるようにできている。
だから、どこかで躓いた経験があると、テスト範囲の勉強をしても点数は取れない。

そこで色々な問題を解くなかで、どこが原因なのかを探っていった。
最初はやる気の無いMちゃん。

難しい内容はやらず、できるところだけ。まずは自信を付ける。
そして、少しでもできたらたっぷり褒める!

意外と自分もできるかもしれない。」という気持ちが何より大切だった。


そして、一歩ずつ難易度を上げていく。
すると中学1年生の内容で一部曖昧な箇所があることが判明。
ここまで来たら、あとはその箇所を丁寧に理解する。

するとあら不思議、今までできなかった問題が解けるように。
Mちゃんも徐々に数学が「きらい」から、「きらいじゃないかも」になっていった。

そして、高校入試の内申点にも関わる運命の期末テスト。
テストが終わり、採点が終わって、テスト返却。

教室にそのテストの答案を持ってきてくれたMちゃん。
出会うや否や、答案を「勝訴!」ばりに広げてくれた。

なんと結果は、80点!(平均点は65点くらいだった)

「先生のおかげです!ありがとうございます!」
と宝石のようなキラキラした表情で、
Mちゃんは言った。

「人が嬉しい時の表情って、
こんなにステキな表情をするんだ!」

と感じた一瞬だった。

そのことが自分の胸を熱くさせた。

そこから講師という仕事に没頭した。

今で言えば、やりがい搾取というかもしれないが、当時は毎日楽しくて大学そっちのけで、徹夜でカリキュラム作成や、試験の研究するくらい没頭した。

生徒全員の受験会場に行って、門前激励をするなど、冬の風物詩のワンシーンを作っていた。

そんな塾講師の経験から

「何かを伝え、目の前の人を喜ばせる仕事」
をしたいと思った。

勿論そのまま塾講師になるという選択もあったし、実際に社員にならないかという話もあった。

ただ、正直大学受験さえ上手くいけば人生バラ色になるか。
と言われればそんなことはない。

もっと大切なものがあるんじゃないかと思ったし、父親の会社の倒産という実体験からも、「ビジネスやお金での成功」を追い求めていた。

そして、万人にとってもお金やビジネスでの成功の方が、幸せになる道筋なのではないかと思った。

そうして大学3年生の時に進路を
『ビジネスでの成功』✖️『目の前の人を喜ばせる』
という軸で考えた。

その結果、ビジネス教育業界、コンサル系、新規事業を起こす会社に興味を持った。

ビジネス系の研修講師、日系コンサル、リクルート系に絞って、選考を進め、幸いいくつかの企業に内定を貰った。

そして、当時の塾講師時代の恩師とも言える、人に相談をした。この方には大変お世話になったが、そのエピソードはまた今度。

結論としては、

「君はコンサルのような頭の使い方をしてもいいし、
リクルートのような新しい事業を起こすようなことも
きっとできるだろう。

ただ、圧倒的に教育の仕事が君には向いてる。

と背中を押してもらった。

第三者の視点から自分では気がつけないアドバイスを貰ったのは、非常に有り難かった。

自分自身もビジネス系の研修講師か、コンサルで悩んだが、自分が得意なことをしよう!と思って、前者への就職を決めた。


大学を卒業し4月。
同世代よりも2年遅れて、改めて社会人となった。

本当にまぁ色々あった。
一言で言えば、社会の厳しさを知った。

あの時に戻りたいかと言われれば、絶対に戻りたくないが、
最高の体験ができたと思っている。

最初はセールス部門に配属された。

とにかくこの部門は会社の中でも強烈だった。
(会社の名誉のために言うと、その当時は多かれ少なかれどの会社も同じで厳しかった。今はクリーンになってるそうなのでご安心を。)

上からは、
「新卒は何のスキルも無いただの生ける肉の塊だ。早く人間になれ!」
という、具体的に何から手をつけたらいいか分からないアドバイスを頂いたり。

僕がテキストに留めたホッチキスが若干ズレてしまったことに、上司が激昂し、「ホッチキスを留めるという細かい仕事がどのようにビジネスの成果に通ずるのか。」(通称 ホッチキス理論)という、アドバイスを2時間頂いたこともあった。


これくらいは全然可愛い方で、一番辛かったのは「営業研究」という名の半沢直樹もビックリの詰められようだった。

当然営業の成果が出ない日は、具体的な話から心構え、ひいては今までの人生について、アドバイスを頂けるのだが、シチュエーションが辛かった。

部内全員から見えるオフィスの真ん中に一人立たされ、少ないときで1時間、長い時で3時間程度、「君はいかに人として未熟か」をぐうの音も出ないくらい上司から聞かされるのだ。

当時純粋だった僕は、
成果の出ない悔しさと恥ずかしさ、
そして足の疲労で床に突っ伏し、
手で床を叩き号泣したこともあった。

それでも、営業研究は続く。

そのリアクションに対して追い討ちをかけるように、
「もっと冷静にポーカーフェイスを保て!」とアドバイスをされ、

それを意識すると、
「ちゃんと聞いているのか!?感情をもっと出せ!」と言われ、

感情を露わにすると、
「それでも社会人か!!」と、

「私と仕事どっちが大事なの論争」もビックリの無理ゲーだ。
最早何を研究しているのか分からない。


たまにこういうことがあったのではなく、This is 日常だった。笑

自分の得意と好きを見極めて入った業界であり、会社だった。
「できるでしょ!」という色々なことを成し遂げていた自負や自信もあった。


しかし、そんなプライドは木っ端微塵に、グチャグチャになった。
「自分ってなんてダメなんだろう。」と痛感した。

その当時のマネジメントは、「会社色に染め上げる!」というスローガンの名の下、徹底的に今までの考えを否定し、平にしてから「強い社会人としての考え方」を教えるというものだった。

これが本当に辛かった。毎日泣いていた。
目真っ赤にしてお客様へ営業していた。

ただ自分は「これが社会だ。お客様の幸せのために頑張ろう!」と
毎日切り替えて、辛さに絶え、営業研究を乗り越え、8時から23時まで、休日も返上で仕事をしていた。


そんな毎日を過ごし、時が流れ、今までの涙が報われる日が来る。

新卒で社内売上記録を樹立し、有り難いことに全社員の中で年間MVPを受賞した。

ハイアットホテルで行われた全社総会で、全社員の前でスポットライトを浴びてMVPのスピーチもさせて貰った。

壇上では、今まで父親の会社の倒産から、アイドル図鑑を作っていたこと、ニコ生で出会ったインフルエンサーに二股されていたこと、新宿歌舞伎町のHなイベントにスカウトされたこと、富士山で遭難してお漏らししたこと、そして上司からの手厳しい叱責のこと。

辛い思い出も、努力した思い出も走馬灯のようにフラッシュバックした。

「俺は頑張ったんだ。」
と一つの満足感に浸った。

今までの苦労を"倍返し"できたのではないかと思う。

ここからの社会人生活については長くなってしまうのでその後を事実ベースで伝えると、

東海地方の新しい事業所の立ち上げメンバーに抜擢。

部内平均成約率30%のところ、成約率75%を達成。

営業と兼任で講師にも選ばれ、上場企業での企業研修を担当。

採用活動を担当し、映像コンテンツや教材の作成。

トップセールスとなり、マネージャーへ昇格。

部下を全員トップセールスにする。

プライベートなことで言えば、年上の女社長と出会い、長くお付き合いすることになった。

勿論、最初から上手くいったのではない。

オフィスのど真ん中で泣き伏せていたただのプライドグチャグチャの肉の塊が、お客様や上司に恵まれ、数多の失敗の上で達成できた。

激しいマネジメントの成果なのかと言われれば、疑問が残る。
多くの人間が退職し、たまたま諦めの悪く残っただけかもしれない。

仕事で失敗をして、絶望の淵に立たされトータル167回は会社を辞めようと真剣に考えた。

その都度、自分の中でできることは全部やってから辞めようと思い、たくさん努力をした。

誰よりも早く出社し、誰よりも遅く帰社した。

週100時間働くことを目標にした。

仕事のノートは30冊を超えた。

東海地方の70の市と区を観光して周り、どこに住んでいる方とでも共通の地元の話をできるようにした。

読書やボイトレ、エステやオーダーメイドのスーツ、セミナーも含めて自己投資に1,000万以上費やした。

自分の営業や研修トークを動画で撮影し、何度も何度も最適な言い回しや雰囲気をトレーニングした。

本当にできることは、考えうる限りなんでもやった。

ただこの努力によって一番得られた嬉しかったことは、結果が出て昇進したことではない。


名古屋から本社に戻るとなった最後の出社日のことだ。

今まで担当したお客様が100人近く集まって、終業後のセミナールームを貸し切って、2時間にも渡るサプライズお別れ会をしてくれた。

全員社会人で立場がある方にも関わらず、僕だけのために時間を作って、集まってくれた。わざわざオーストラリアから参加してくれた方もいた。

竜馬をネタにした漫才や、本社でお世話になった人からのビデオレターというコンテンツを用意してくれた。

そして100人近くの人が、一人一人が思い思いに、感謝のコトバと、自分と出会ったことでいかに人生が変わったのかを熱く語ってくれた。

20代の若い女の子もいれば、既婚者男性で40代の管理職の方まで、幅広く愛して頂いた。

多くのプレゼントと愛を貰った。

そのサプライズお別れ会で2時間ずっーと、

「こんなのズルいよ」と

僕は感謝のあまり号泣していた。

その涙は、
オフィスの中で怒られていた時に
流した涙とは、違う味がした。

たかが一人の人間が、異動するにあたって、こんなにも社内社外問わず、多くの人が感謝や愛を表現してくれる、そんなの聞いたことない。

うちの会社にそういう文化は全く無いし、完全に皆さんの中からの自発的なものだった。


そこで初めて、今までやっていたことが、本当の意味で報われた気がした。

これらの体験で唯一自分の中で誇れることは、入社前から思っていた、
「ビジネスでの成功」と「お客様の幸せ」という気持ちを誰よりも持ち続けられたことだ。


ここまでで良い感じの雰囲気で「人とのつながり。」的な感じで、タイトルを回収しそうな雰囲気だが、結論はちょっとだけ先だ。

何故なら、この時には年商としては1億には未だ届かないレベルだったからだ。

そして最も恐ろしいことに、
本社に戻りマネージャーに昇進した時の
手取り月収はなんと16万だった。笑

単位は、ドルでも、ユーロでもなく、もちろん円だった。笑
思わず7度見した。

この色々達成したこと、頑張ったことをたくさん挙げたのは、このことをどうしても強調したかったからだ。笑

16万円!
こんだけ努力をして、色々成し遂げたとしても、ビックリ手取りだった。

誰だよ!
「本当に自分が得意なこと、好きなことを見つけ、それを仕事にすることが成功への近道だ。」とか言ったやつ!

このままではマズい。
1億を稼ぐにはどうしたらいいのか?
そして次なる選択をするも、それは「終わりの始まり」だった。


週100時間働き、数多の涙と犠牲を払って得た
営業の成果、昇進という成果の対価は、

『手取り月収16万円』という驚愕の事実

勿論明確な理由はあった。
元々は成果連動型の報酬で、大きく成果が出た月は月収100万を超えることもあった。

ただ、成果に軸足を置き過ぎたことにより離職率が高くなったことで、社内制度が変わりプロセスも評価されるようになった。

会社自体の業績が厳しいということもあり、結果として、マネージャーの時の手取りが16万円だった。

ここで冷静に考えた。
自分がありたいと考えた姿になっているだろうか?

父親の会社が倒産したことで感じた、「お金=成功」という方程式に照らし合わせた時、自分は成功して幸せなのだろうか?


結局入社前に抱いた、ビジネスでの金銭的な成功を自分自身が達成できていない。
1億円を稼いでいない。

そんな状況で、「目の前の人を喜ばせる」という目標を達成することはできないと思った。


そして、この状況を改善して、個人の収入に跳ね返ってくるようにするには、もっと会社を大きくして、収益を上げる仕組みが必要だと気づいた。

そのためには、「マーケティング」のスキルが必須だと感じた。

しかし、発想として教育の会社でそれを学ぶことは難しかった。
和食の職人が、車作りをするような畑の違いさがあった。

「やることはやった。転職しよう。」


会社には、人材、システム、コンテンツ、そして売上という意味でお金、を残し、育ててもらった恩返しも自分の中では出来たと思った。

引き止められもしたが、丁重にお断りをした。

会社には本当に感謝しているし、最後のボーナスも受け取らなかった。


今までの実績が言える程度にはあったので、転職には困らなかった。
結果として、最大手の広告代理店の営業に転職。
給料も当然上がった。笑

そして、いわゆる誰もが知る一流企業に転職したことで、

「自分のやってきたことは間違いではなかった!」
という自信を得ることにも繋がった。

もちろん、家族や彼女も喜んでくれた。


広告業界自体は未経験ということで、文字通りマーケティングのことを0から勉強した。
1ヶ月目は研修で、2ヶ月目からお客さんを担当した。

8時から26時の実質の勤務時間だった。
(ちなみに元々の見込み残業が176時間付いている。笑)
エゲツないまでに働いた。

「ここでマーケティングを学び実践することで、父親のような人を無くす!ビジネスでの成功を導ける人になるんだ!」と意気込んだ。

そして、前職よりももっと、パワフルな成果主義だった。
結果を出していなければ、生きる資格が無いが如く、めっこり詰められた。

詰められ方も上司、部門長、そしてクライアントと全方位的だった。

何故なら、扱う金額の桁が前職と2桁以上違ったからだ。
クライアントは誰もが知る上場企業で、TVやネット、リアルを組み合わせた
マーケティングモデルを立案し、実行。

たった1%の違いが、数千万から億単位の売り上げに跳ね返ってくる仕事だった。

それほど責任が大きく、またプレッシャーが大きかった。
クライアントからも早朝、深夜に関わらず電話がかかってきた。

「やるの?やれないの?どっち?やれないなら⚪︎ぬってことでいい?」
みたいなやり取りが普通だった。

電話越しに謝罪をしている最中、隣の席に目をやると北海道出身の新卒の可愛いらしい女の子は、月商1億だった。

空いた口が塞がらない。

なんだこの世界は。。
前職では自分の目標を達成するために死ぬ物狂いで働いていたのに、それを一回りも違う若い女の子がたったの1ヶ月で。。


ということを考えるも束の間、仕事という大波に飲まれ、考える時間も寝る時間も何もなく、ただ流されていった。

気がついたら前職の年商を、1ヶ月で稼ぐようになっていた。
そして、入社して数ヶ月で部下を持つことになった。

仕事ができるようになるにつれ、時間や思考は奪われたが、収入は上がっていった。

会社に近い赤坂の高級マンションを借りた。

少しでも睡眠時間を確保するためだ。


しかし仕事のハードさはドンドン加速していく。
成果が上がって、クライアントの売上が1億円伸びても、

「で?次はどうすんの?やる気ある?」という世界。

必要であれば始発で東京から大阪まで行って、クライアントとミーティング。

東京に戻り、日中仕事をして、夜は会食という名の接待を。
その後また残した仕事をして、泥のように眠り、また朝を迎える。

毎日、上司、同僚、クライアントから、成果や期日について詰められる。
自由も時間もなければ、喜びに浸る時間も、感謝をされることも無い。

PCを鬼の形相で睨み、祈り、1%の数字変動に神経を尖らせていた。

気がついたら、口グセが「申し訳ございません。」になっていた。

怒られ過ぎて、どんなことにも「申し訳ございません。」
「はい、、申し訳ございません。。」が相槌になっていた。

遂に、目標である年商1億円を達成した。

それと引き換えに、
夜が終わらなくなった。

仕事が終わり「明日のために早く寝なきゃ」と思っても、動悸がして、目が冴えて、布団の中で仕事のことを考えた。

いつまで経っても寝れず、夜が終わらない。

一睡も出来ずに、目にクマができて出勤し、仕事中気がついたら意識を失っていたこともあった。

レッドブルをキメて、また仕事をする。
意識を失ったら、追いレッドブルをしていた。

翼が生えるのも時間の問題だった。


夜が来ても、夜が終わらない。

人間寝ないとますます効率が下がる。

仕事でミスが増え、また責められ、謝り、仕事が増える。
そして夜が終わらない。

気がつくと涙が流れていた。

完全なる負の連鎖に入った。


学生時代から目標にしていた、年商1億を達成した。
お金もあった。

それと引き換えに、人権や時間は無く、人間らしい生活から遠ざかった。

自分のために仕事をするのではなく、会社のために仕事をしている状態。


そして、とある日の早朝。
電話が鳴る。身体がこわばる。

スマホを見るとクライアントから。
憂鬱だ。

話を聞くと、「昨日依頼した内容はどうなっているのか?」という確認の電話というか、クレームだった。

意識が遠い。
生返事をして電話を切った。


プツン。

ピーンと張り詰めていた緊張の糸が切れる音がした。

「もうダメだ。」

上司に電話し、クレームがあったことを報告し怒られるも、
「もうできません。」と一言だけ言って、電話を切った。

そして会社の人事に連絡し、産業医の先生と繋げてもらい、面談。

産業医の先生から「病院に行ってみてください。」と言われ、その日中に心療内科へ。

クリニックの先生からの診察経て、
「重度のうつ病一歩手前です。病名は適応障害。診断書書いとくので、会社に提出してお休みしてください。睡眠薬も出しときます。」とのこと。

「良かった。あの地獄から抜け出せる。」と安心した。
その日は安心感から久しぶりにゆっくり眠れた。


たしかに自分の目標だった、ビジネスでの成功、年商1億円を達成することでひとまず成功と言えた。

しかし、それと引き換えに、自分の健康や自由な考えや時間を失った。

当然仕事も行けないので、しばらく休職となりその後半年で退職となった。

そして、結婚の話もしていた5年間付き合った彼女ともお別れすることになった。

・・・

文字通り全てを失った。
赤坂のマンションを解約し、実家に逃げるように戻った。

年商1億達成したところで、それ以外のものを疎かにしたら何も意味がないと気がついた。

成功という名の幻想を、夢を、ずっと追いかけていた20代だった。
いざ手にしてみたら儚いものであった。


お金も稼げず、5年付き合った最愛の人も失った。
「自分ってなんて価値が無い人間なんだろうか。」と毎日咽び泣いた。

外が怖い。
2週間に1回の病院以外は、実家のリビングに布団を敷いて、寝た。
数少ない友達とも自然と疎遠になった。

コロナにもなり、帯状疱疹に罹った。
カラダもメンタルもボロボロ。

気がつくと涙が止まらない。
ずっと頑張っていたはずなのに。。

健康なし、職なし、金なし、コネなし、彼女なし。
なしなしなしの数え役満だった。

文字通り人生の底を見た。
あの時の辛さは、父親の会社の倒産を遥かに上回る絶望だった。

あまりに失ったものが多すぎるし、大きすぎる。

なまじ仕事で成果を出して、一流企業への転職を果たし、成功体験を得ていたために余計にダメージが大きかった。

クリニックに行っても
「薬飲んで、休みなさい。」しか言われず、心理療法的な施しも何も無かった。


高い所に登って、下を見下ろしたこともあった。
「楽になりたい。」ただその一心だった。

全てを否定された気がした。
「生きている意味が分からない。」この気持ちがカラダを巡っていた。

死なないことに必死で、正直、当時のことをよく覚えていない。
どれくらい続いたのかも分からない。

どれほどの涙を流したか分からない。
1リットルじゃきかないくらい泣いたと思う。


いわゆるニートの状態が1年ほど続いただろうか。
その間、家族は何も言わず、見守ってくれていた。

流す涙も枯れたのか、少しずつ、外に出るようになった。
家の近くにジムがあり、ヒマつぶしの為に通うようになった。


「自分って、何が好きだったんだっけ?」
自分という輪郭を取り戻す作業を始めた。

まずは衰えた筋肉を鍛えた。
久しぶりにカラダを動かす。

痛みを感じた。
生きている感じがした。

そして、この時一番のよりどころとなっていたのは、本だ。
クリニックに行っても「薬飲んで、寝ろ」しか言われなかった。

もっと何かあるはずだ!と思い、一体何が原因で、自分がこうなったのか、どうすれば良くなるのか、あの時どうしたら良かったのかを精神医学や、哲学などを勉強し始めた。


そしていつも通り本屋に行くと、
今までは興味の無かったスピリチュアル系の棚が気になった。

宇宙、瞑想、チャクラ、氣、波動といったキーワードが並んでいた。
どうも何かここにヒントがあるんじゃないか。と直感的に感じた。

この手の話は実証できない、目に見えないもので、元々論理的に考える理系タイプだった自分としては、一番縁遠い世界だった。

ただ勉強していみると、どうも面白い。

今まで胡散臭いと敬遠していたが、天使がなんだとか、オーラがなんだとか、魂がうんぬんというのは分からないけど、8割くらいはまともなこと言ってると感じた。

またこういった精神世界の話が量子力学等の現代科学の発達によって、「確からしい」ということが徐々に判明しているらしいというのは、理系の自分にとっては、より興味をそそられるものだった。

何よりその当時悩みを抱えている自分にとっては、真偽はともかく心をラクにしてくれるものだった。

そして、どの本にも共通して、書いてあったのは、
「自分の心のワクワクは全てを知っている。ワクワクに従おう!」ということだった。


全てを失った自分に、もう失うものは無かった。
「どうせ何も失うものなんて無いんだ。騙されたと思ってワクワクして生きたらどうなるのか。やってみよう!」と決めた。


1億円を稼いだ。
その代償に

健康的な肉体やメンタル
5年間付き合った彼女や、過去の友人
大企業社員、トップセールス、管理職という
肩書や社会的地位

を失った。

文字通り大切なものを全てを失った。
自分に残っているものを見つける方が難しかった。

失うものは何も無いという境地に達した。
唯一スピリチュアルや哲学の本を読むことが自分の生を繋ぎとめる方法だった。

ほんの少しだけあった蓄えの中から、自分の好きなことをした。
手始めに熊本に免許合宿に行った。

その後は、なんとなく面白そうだけを心の指針に、

・気功(レイキヒーリング)
・瞑想
・心理カウンセラー
・チャクラヒーリング
・カラーセラピスト
・ヨガインストラクター
・アロマセラピスト
・ホロスコープ(占星術)
・オラクルカード
・アカシックレコード
・チャネリング

これらのセミナーに通ったり、本を買って独学で資格を取得した。
毎週パワースポットと呼ばれる場所へ行っては瞑想したり、山奥へ修行しに行ったりした。

一番興味があったのは、気功だ。どうやらスゴ腕の気功師はガンなども病気も治せるんだとか。ということで、レイキと呼ばれる気功のセミナーに通った。

海外では保険医療となっており、アメリカの大学の医学部などでもカリキュラムとなっているものらしい。

半信半疑というか、9割ウソでしょ!と思っていたが、「ワクワク」に従って物は試し、セミナーに行った。

先生は良くも悪くも普通の3人のお子さんがいらっしゃる40代の女性の方で、大変ステキな方だった。

施術をしてもらうと、一発で自分の悪い所を言い当てられるだけではなく、ビリビリと今までに感じたことのない刺激を感じた。
「もしかしたら本当にあるのかも?」と思いつつ、次のステップに進んだ。

結論としては、レイキマスターとなり、生徒さんを持てる最終段階まで学んだ。
家族に対してヒーリングしたり、遠隔で友人にヒーリングすると、「痛みが治った!頭がスッキリした!」と言ってもらえるようになった。

そして、だいたいどこに痛みがあるのか、ということも感覚的にわかるようにもなった。

そして、それ以上に本来のレイキの目的である、自分との繋がりを強める、自分らしく生きる!ということを強くサポートできるようになっていった。


※補足
レイキの真偽性について。本当に存在するのか。

レイキとは。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%AD


存在するかは体感すれば分かる。笑
個人的には「絶対にありまぁす!」と存在の証明に躍起になる気もない。

幸せになれるのであれば、あってもなくてもどっちでも良くない?笑
という立場だ。

かくいう僕も、半信半疑ならぬ、一信九疑だった。

一応紹介しておくと、
ハーバード大学医学部でも研究され、実際に現場でも使われている。

実際には良くなるという結果が先にあって、レイキという手段が効いている。という統計的な後付けしているだけかもしれない。

もちろん、プラシーボ効果という側面もある(一般的に医療や薬でも存在するが。)

こればかりは現代医学とその常識的なもの(地動説的な)を踏まえて、「良くなります!」と言うには中々言いづらいのはあるが、過去の膨大な事例と、メカニズムを深く理解していけばいくほど、程度はあれど良くなるのは、当たり前と今では思っている。

なので、あるかないは結論あったらいいなくらいで、どっちでも構いません。笑



そんなこんなで、
ゴリゴリのビジネスアスリートから急転直下、
目に見えない神秘の力を扱う、
スピ系おじさんへと転身した。笑


この時のメンタリティーは「お金を稼いで成功したい!」も、「誰かの役に立ちたい!」というのも無く、純粋な興味だけで生きた。

「したいからする。」ただそれだけ。

すると、ドンドンと奇跡とも言えることが起きた。

結果として、意図せずお金を稼いだり、
誰かの役に立つこととなった。

そんな風に興味があることをしていると、ひょんなことがキッカケで自然にビジネスの相談でお声がけいただくことも増えた。

人とのご縁があって、3人くらいから起業するからネットマーケティングをサポートして欲しいということで、成果報酬でお手伝いするようにもなった。

広告代理店やビジネス研修の講師の経験が役に立った。

色々な事業をお手伝いして、年商2,000万くらいを達成できた。
自分の収入もサラリーマン時代の2倍になり、労働時間は1/5くらいになったので、結果的に10倍の効率で働けるようになった。


健康についても体調はすこぶる良くなって、風邪もほとんど引かなくなった。

筋トレも継続して、BIG3(ベンチプレス、スクワット、デッドリフト)
300kgを達成することもできた。

「猛禽類のようなギラついた顔つきから、柔和なお坊さんのような表情になったね。」と周囲の友人によく言われる。笑

恋愛関係も充実し、理想のパートナーとも運命的に出会うことができた。

家族や友人も健康になり、自分らしく生きる人が増えていった。

など、人生の構成要素について、最適なカタチで全ての問題が解決されていった。

本のキャッチコピーにありそうな美辞麗句が並んでいて、過去の自分が「そんな訳ないやろ!」とツッコミが入るのも分かる。笑

でもそうなんだもん!笑
としか言いようがない。笑

楽しいからやっていった、楽しいことだけで人生の時間をいっぱいにしたら、色々な喜ばしい結果?楽しい毎日になっていった。という感じ。


そういうことを続けていると、人生の捉え方が大きな変化し今後の人生を決定づける、ターニングポイントとなる出来事があった。


それは、本来の自分と自我の癒着が切り離されたことだ。

とある日、瞑想をしていた。

呼吸を整え、目を瞑る。
1、2、3…

日課にしていた瞑想のワーク、ルーティンを行う。

1、2、3…

しばらくすると、深い瞑想状態に入っていった。
心地良い。

今日はもう少し深く入れる気がする。

1、2、3…

だんだんと、ゆっくり意識が溶け出していく。

1、2、3…

どれくらいの時が経ったのか分からない。

居心地の良さに身を委ねてみる。


すると突如として、今まで自分だと思って大切にしていた自我と、
本当の自分が一緒ではないことに体感的に気づいた。


そして、本当の自分と世界というのが全て繋がっていることを理解できたのだ。

圧倒的な幸福感が身体を包み込んだ。

その時から新しい自分の時が動き始めた。

ある種の悟りの境地に到達するに至った。
一気に生きるのがラクになった。

いわゆる、一般的に言われている自我は、自分自身を見ることができない。
そのため、周囲からの評価や比較によって、自分の価値を推し量る。

今までの自分は、
「良い大学、良い会社に入った、これくらい稼げてるから自分の価値はこれくらい。」
「周囲から必要とされている、愛されているから自分の価値はこれくらい。」
「フォロワー数が何人で、イイねが何件きてるから、自分の価値はこれくらい。」
と、自分の価値を確認していた。

裏を返せば、
「社会で稼げなかったら、価値が無い」
「周囲から必要とされない、愛されなければ価値が無い」
「SNS上で反応がなければ、価値が無い」
という、自我(=自分)の価値と外部の評価が一緒となっている状態。


過去の自分は、
1億の年商を稼ぐことや、良い会社にいること、誰かに愛されること、大きな仕事をやり遂げること。
といったことで、自我の価値を間接的確かめていたに過ぎない。

だからこそ、健康を害して、これらが全て瓦解したことで、自分の価値を見失ってしまった。

その価値基準を全て捨てて、ワクワクだけを追い求めていった。
そのための方法論として既存の価値観を一つ一つ疑っていった。(哲学の脱構築的な考具を参考に)

そして、たどり着いた純粋なワクワク感。子供のような感覚。

「子どもは誰でも芸術家だ。
問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかだ」

「この歳になってやっと子どもらしい絵が描けるようになった」

パブロ・ピカソ

この言葉たちが好きだ。
晩年になってやっと、たどり着いた境地が子供らしい、描きたいように描くという自分を通すということ。


大人になって子供のように生きること、言い換えれば、本来の自分らしく生きることを忘れてしまっていた。

そして、本当の自分という存在、意識の置き所を取り戻すのに時間がかかった。

そして、瞑想やスピリチュアルのエネルギーワークを通じて体感し、そのことに気がつくことができた。

自我を通じて本当の自分を見るということだ。

自我との距離を明確に置く、そんなイメージ。

・自我→外的評価
自我が外的評価を基準にして、自我の輪郭を確認するように、

・意識→自我→外的評価

外的評価を確認している自我を、意識という視点から見ることで、
自分の本来の位置を理解することができた。

例えるなら、ポケモンの主人公が自我(自分であるという認識)として考えてみよう。

主人公としてフシギダネ、ヒトカゲ、ゼニガメから1匹を選んで、オーキド博士に導かれるようにポケモンマスターを目指して旅をする。

そこでは、バッヂを8個獲得し、四天王を倒すことが道筋となる。
その道中、新しいポケモンに出会ったり、ジムリーダーやロケット団を倒したりと色々な体験をするだろう。

そこでライバルに負けてしまったとしよう。
手持ちのポケモンはもういない。目の前がまっくらになった。

どう感じるか?

「あーあ。次は勝つぞー。」
と感じるかもしれない。。

まさか「もう自分はポケモンマスターのセンスがない。もうダメだ。」と極端なネガティブ思考に陥ることは殆どないと言っていい。

何故か?
ゲームだからだ。

もっと言えば、ゲームの中にある主人公(=自我=自分という認識)の勝ち負けは、一つの体験に過ぎず、自分の価値は負けたことでは下がらない。

ただゲームにのめり込めばのめり込むほど、ゲームでの勝った負けたで自分の価値への作用が大きくなる。

このように、今この人生における自我をゲームの主人公とし、社会的な評価や事象をゲームの中の出来事(ポケモンで言えば、ポケモンマスターになることなど)とするならば、本当の自分はどこにいるか?

それは、ゲームの画面の前だ。

人生というゲームにあまりにのめり込んでしまい、画面にベッタリと張り付いてしまったが故に、画面の中で起きることと自分の価値が等しくなってしまっていたのだ。

ゲームをスマホに言い換えていいかもしれない。

スマホの画面の中に繰り広げられるSNSでのやり取りに、一喜一憂し、スマホ中に埋没している自我。

自分と他人のルックスを比較したり、いいねやフォロワー数を比較してみたり。

果たして、本当の自分はどこにいるのか。
そう、スマホの世界に自分はいない。

スマホの前にいるのが、本当の自分だ。

そしてその抽象度、次元と言ってもいいかもしれかないが、
それを1つ上げていく。

意識

身体

ゲーム、スマホ


いわゆる地球での現実世界を体験している、目鼻口といった五感というフィルターを通して、脳内のスクリーンに写し出されていて、それを感じ取って、自我として体験している。

そのことを意識的に俯瞰してみていく作業。


このように、本当の自分の立ち位置を抽象的に、俯瞰して見られるようになったために、一喜一憂することなく、むしろこの"体験自体"を楽しめるようになったのだ。

ここまでツラツラと自分の人生を語ってきたのも、リアルな体験として自分が感じたことを表現してきた。

特に今まで太字で表現したところは、人生というゲーム(便宜上の表現ではあるが)の中の出来事として体感したことを表している。

成果出て楽しかったことも、お金をたくさん稼いだことも、本当に辛かったことも、色々勉強したことも全ては体験であり、その体験ができるということ自体に勝るものはないと感じた。

このnoteの結論を述べる。

年商1億円を達成して分かったことは、
お金より大切なことは、 "体験"それ自体である。

全てが無くなったと思っていたが、全てを体験できる本当の自分がそこにあった。

その事実に歓喜した。



もし自分が肉体を持たない、ただの意識だとしよう。
マトリックスのような状態。

ただの意識の中では基本的にはイレギュラー、ランダムはおき得ない。
自分で全てをコントロールできるが、イメージだけでは中々体感を感じることは難しい。

肉体はリアルな世界というゲーム空間へのアクセス方法だ。

肉体で物理世界にアクセスして、自我(ここでいう自我というのは生理的な反応)という枠組みを通して、本当の自分がこの世界を体験することができる。

夏場、力仕事で疲れたカラダに染み渡る、
冷えた緑茶の味の美味しさも

春の桜の美しさに胸を打たれるのも

夏の訪れに心躍るのも

秋の夜長に思いを耽るのも

冬の寒さに誰かと肩を寄せ合い暖をとるのも

目標を達成して喜ぶことも

失敗して落ち込むことも

恋人や友人と心を通わせることも

全ては肉体があるからだ。
つまり、肉体は魂の乗り物である。


そして、当時自分はこんなことを考えていた。


この肉体で世界を体感することができることは、
どれほどの価値があるか?

皆さんはどのように考えるだろうか。

過去の自分は、自分の価値=社会的な価値や誰からの評価としていた。

自分の価値は?と聞かれたら、生み出した売上や、自分の月収(20〜100万くらい)としていたかもしれない。

言い換えれば、
人生に対してどのような価値や意味を付与するか。


そして自分は、
この体感、経験ができること自体それに価値がある。
と感じた。


どんなこともただ在ることが
楽しい、面白い、愛おしいと思える。

もちろん、これはあくまで思考実験の一つとも言える。


ただ体感として、本当の自分と自我との癒着を取り払うということは、
言い換えれば、『煩悩を捨てる』という表現にも近い。

自我的な、思い悩みを生むような、執着を生むような考えから脱するというこだ。

それは、人生という真っ白なキャンバスに、
本当の『生』という色で、自由を描くこと。

今思えば、このことに気づくために、辛い経験があったんだなと感じる。

今では、オフィスのど真ん中で半沢直樹顔負けの土下座ムーブも笑い話になる。笑

全てがこれで良かった。

年商1億円を達成して分かったことは、
お金より大切なことは、 "体験"それ自体である。


タイトルはひとまずこれで回収した。

自分の体験についてここまで詳細に話すのは初めての経験。
あの感覚、意識の置き所を説明するのが体感ベース過ぎて、語ることでかえって混乱させてしまう可能性があるからだ。

今の自分にできる限り、自分の経験を自己紹介として思っていることを全てさらけ出してみた。


ここまで、お付き合いいただきありがとうございます。

一応この話には続きがあって、今までの経験を元に自分7.0コーチという、ライフワークを立ち上げていった。


大きな視点の変化を経たことで、ワクワクの矛先は、自分の人生が180度変わった経験を論理的に説明したい、世にある玉石混交のスピリチュアルの真偽性を確かめたいと感じたことだ。

何故なら、
「そんなの普通じゃない!」と自分の体感は実在だとしても、理性として、自我としての自分が納得していなかったからだ。

あの時感じた体感を頼りに、答えは知っているがどのような過程を辿るのかを一歩ずつ埋めていった。

数学の証明問題を解くような感覚。

手がかりとなるアプローチは2つ。

①スピリチュアルの原点、源流
②現代の最先端の学問とされる脳科学

の観点から追求していった。

自分にとって、お金が全てという価値観を持っていたが、全てを失ったことで、お金という物差し、価値基準だけで生きることから抜け出すことができた。

それは、スピリチュアルや心理学の要素を自分の中に取り入れることができたからだ。本当にそれによって、毎日深い幸せと充実感を得られている。

そして、それをもっと深く知りたくなった。
まずスピリチュアルの原点、源流となるものは何かを考えた。

それは、宗教的な要素だ。
というのも、色々な考えがあるので一概には言えないが、現代で言われているスピリチュアル系の話(引き寄せの法則などを含む)は、1970年代に盛んになったアメリカのヒッピー文化から来ていることが多い。

そして、そのヒッピー文化の下敷きとなっているのは、1800年代後半から始まった『神智学』と呼ばれる、キリスト教を基に発展させていった学問だ。

この神智学に、東洋思想(仏教やヒンドゥー教など)を混ぜたものがヒッピー文化における、スピリチュアル的思想の源流になる。

つまりは、元々スピリチュアルというのはキリスト教や仏教などの宗教的な考えが時代に合わせて、変化させてできているということだ。

最先端の現代科学、哲学、スピリチュアルも宗教の考えや教えを応用して、信仰心を省いたものも多い。

例えば、一般的に受け入れられている考えとしては、現代であればマインドフルネス(瞑想)だ。元はと言えば、仏教などの修行の方法を現代版に神という存在を切り抜いて、活用して医療に応用している。


また、心理カウンセラーとして脳科学や精神医学の勉強をすると、心理療法と呼ばれる手法は、元々仏教などの考え方を応用しているものも多いことに気がついた。

あれもこれも、キリスト教のエッセンスや、仏教的な話にあるよなーと思ったり。(無宗教だが宗教というものに興味があり趣味で勉強したことがあったので、色々と知っていた。)

そこから更に、学問として、人を幸せに導くことを目的として作られた宗教学を勉強することを通じて、宗教的な要素のどこに人を変容させるのかというメカニズムを脳科学的な観点から色々と勉強していった。

そして至った結論は、

大胆な言い方をすれば、
同じ行為に対して、心理療法と名の下にあるのか、
スピリチュアルや宗教と名の下にあるのかの
違いであることも多い。

要はやっていることの目的(人を幸せにする)や、
そのメカニズム(脳機能的な観点において)は、
現代脳科学も、スピリチュアルも、宗教も
さほど変わらないということが分かった。


ただ瞑想をしましょう!というと、キリスト教徒の方からしてみれば、私は仏教ではないので、となってしまうこともあるので、便宜上、「現代医学で分かった幸せになる方法!マインドフルネス!」と言われている場合が多いということだ。

他にも祈りについても科学的な効果は証明されている。

これはほんの一つに過ぎないが、脳科学、哲学、スピリチュアル、宗教の関連性がわかってきて、本質が見えてきた。

それらをまとめたい!とワクワクして、一心不乱に専門書や論文を読んで、自分でも色々な経験をしてみた。

そして、そこに自分のビジネスとしての経験も付与していったら、人生の悩みをほとんど解決できるんじゃないか?と思い浮かんだ。

そして、それらを色々組み合わせていった。
期間にして3年くらいかけて。

そして出来上がったのが自分7.0コーチングだ。

長くなってしまったので、時系列をまとめるとこんな感じ。

ビジネス頑張って結果出す!もメンタル病んで、人生ドン底。

スピリチュアルや哲学を勉強して救われる。

どういう仕組みで人は幸せになるのか、あの時どうしていれば救われたのかを研究する。

あれ?脳科学、哲学、スピリチュアルを勉強すると宗教的な要素がたくさん入っている。

逆輸入的に宗教的な行為によって、どうして人は幸せになるのか?というのを脳科学やスピリチュアル的に勉強する。

あー、脳科学も、スピリチュアルも、宗教もやっていることは一緒で名前が違うだけなんだ!と気づく。

ていうことは、共通する本質的な部分を抽出して、まとめてみたら今までに無いものがつくれるんじゃないか!?と名案が浮かぶ。

数多の専門書と論文にあたる。

健康やメンタル面だけでなく、お金や人間関係も幸せに生きていく上でやっぱり必要。そういえば、それ今までめちゃくちゃやってきたじゃん!ということに気づく。笑

10年間の教育者としてコーチング経験、リーダーシップなどのコミュニケーションの講師経験、広告代理店でのマーケティング経験などで学んできた膨大な知識と経験もこのメソッドに付与する。

ワークを作成する。身近な人に実験する。

自分7.0コーチングの完成!

効果がありそうだから、困っている人に使ってもらったらいいな!
(←今ココ)

今までの過程はあくまで自分がワクワクすること!笑
楽しいから色々勉強したり、頼まれてもないのにまとめてみたりしていた。


自分7.0コーチングの中には、
脳科学、スピリチュアル、宗教、哲学、コミュニケーション、マネジメント、スピーチ、セールス、マーケティング、ブランディング、コーチング、気功(レイキヒーリング)、瞑想、心理カウンセラー、チャクラヒーリング、カラーセラピスト、ヨガインストラクター、アロマセラピスト、ホロスコープ(占星術)、オラクルカード、アカシックレコード、チャネリングなど…

1,500万以上のお金と時間をかけて、今まで学んだこと、経験したことの集大成を詰め込んで、

健康、メンタル、人間関係、お金、仕事といった幸せな人生を送るためのコーチンングメソッドを既存の学問の上に組み上げていった。

従来のコーチングはビジネスやスポーツの世界でもっと活躍するために使われることが多く、あくまで目標達成をするということが主眼に置かれている。

自分7.0コーチングではそもそも自分にとって幸せってなんだっけ?という所から考えて、目標までの道中ですら幸せを実感できるようにしていく。

従来のコーチング「目標を達成するための手法」
自分7.0コーチング「幸せになるためのメソッド」

といえる。

自分7.0コーチングが出来上がって感じた目的は、

「自分の愛に気づき、愛を輝かせ、
世界と自分を喜ばせる人を増やす」

ということをしてみたい。


自分7.0というのはネーミングの由来は自分という定義を、
3次元空間、時間、他者、並行世界という6次元の上の7次元から俯瞰してみている立場に置くことだ。

そうすることで、自分を癒し、自由に世界を楽しみ、幸せになることに繋がる。

過去の自分を癒すにはどうしたらいいか、7次元視点に導くにはどういうコーチングやワークに何が必要か色々考えてまとめていたら、自分7.0コーチング気がついたらできていた。という感じだ。笑

現在は新規のクライアントを募集はしておらず、友人や紹介だけでこじんまりとやっている。

そして、クライアントである家族や友人から、「絶対その考えを世界に伝えた方が良い!」と5人くらい立て続けに、背中を押されたこともあって、「確かに、何でこれを世界に広めてないんだっけ?笑」と思い直し、いっちょnoteでもやってみるかー!と思っている今日この頃。

そして、有り難いことに周囲の家族や友人がバックアップしてくれるそうなので、ワークショップの開催やYouTubeの動画をあげるようになりそう。

ここまで読んでくれたということは、よっぽどの物好きで、きっと僕に適性があると思うので、ぜひ今後とも仲良くしてください。笑

そんなこんなで自己紹介は以上!

ぜひこのnoteが面白いと感じた方は、フォロー、スキしてくれると嬉しいです!

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それでは、出会えたことに感謝。

良き日をお過ごしください。


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