【自己紹介】年商1億円を達成して分かったお金よりも大切なこと④〜リスタート編〜
③の前回の続き。
①年商1億円稼いで分かった、お金より大切なこと〜極貧地獄編〜
②年商1億円稼いで分かった、お金より大切なこと〜立身出世編〜
③年商1億円稼いで分かった、お金より大切なこと〜終わりの始まり編〜
文字通り大切なものを全てを失った。
自分に残っているものを見つける方が難しかった。
そして、失うものは何も無いという境地に達した。
ほんの少しだけあった蓄えの中から、自分の好きなことをした。
手始めに熊本に免許合宿に行った。
その後は、なんとなく面白そうだけを心の指針に、
これらのセミナーに通ったり、本を買って独学で資格を取得した。
毎週パワースポットと呼ばれる場所へ行っては瞑想した。
山奥へ修行しに行ったりもした。
動物園に行って、動物の声を聞いて、話すという練習もした。笑
一番興味があったのは、気功だ。
どうやらスゴ腕の気功師はガンなども病気も治せるんだとか。ということで、レイキと呼ばれる気功のセミナーに通った。
ミランダ・カーやテニス選手のジョコビッチもやっていたり、ロイヤルタッチといって皇室、王室にも伝承されていたり、古くはイエス・キリストが病人を治すという奇跡があったりした。
海外では保険医療となっており、アメリカの大学の医学部などでもカリキュラムとなっているものらしい。
半信半疑というか、9割ウソでしょ!と思っていたが、「ワクワク」に従って物は試し、セミナーに行った。
先生は良くも悪くも本当に普通の3人のお子さんがいらっしゃる40代の女性の方で、物腰柔らかくとってもステキな方だった。
施術をしてもらうと、一発で自分の悪い所を言い当てられるだけではなく、ビリビリと今までに感じたことのない刺激を感じた。
「もしかしたら本当にあるのかも?」と思いつつ、次のステップに進んだ。
結論としては、レイキマスターとなり、生徒さんを持てる最終段階まで学んだ。
家族に対してヒーリングしたり、遠隔で友人にヒーリングすると、「痛みが治った!頭がスッキリした!」と言ってもらえるようになった。
そして、だいたいどこに痛みがあるのか、ということも感覚的にわかるようにもなった。
そして、それ以上に本来のレイキの目的である、自分との繋がりを強める、自分らしく生きる!ということを強くサポートできるようになっていった。
※補足
レイキが本当に存在するのか。
結論、やれば分かる。笑
個人的には「絶対にありまぁす!」と存在の証明に躍起になる気もない。
幸せになれるのであれば、あってもなくてもどっちでも良くない?笑
という立場だ。
かくいう僕も、半信半疑ならぬ、一信九疑だった。
一応紹介しておくと、
自分との繋がりを強めた結果として、病気が治ることはある。
(ハーバード大学医学部でも研究され、実際に現場でも使われている。)
実際には良くなるという結果が先にあって、レイキという手段が効いている。という統計的な後付けしているだけかもしれない。
もちろん、プラシーボ効果という側面もある(一般的に医療や薬でも存在するが。)
こればかりは現代医学とその常識的なもの(天動説と地動説的な)を踏まえて、「良くなります!」と言うには中々言いづらいのはあるが、過去の膨大な事例と、メカニズムを深く理解していけばいくほど、程度はあれど良くなるのは、当たり前と今では思っている。
結論としては、あったらいいなくらいで、どっちに思ってもらって構いません。笑
この時のメンタリティーは「お金を稼いで成功したい!」も、「誰かの役に立ちたい!」というのも無く、純粋な興味だけで生きた。
そんな風に興味があることをしていると、ひょんなことがキッカケで自然にビジネスの相談でお声がけいただくことも増えた。
人とのご縁があって、3人くらいから起業するからネットマーケティングをサポートして欲しいということで、成果報酬でお手伝いするようにもなった。
広告代理店やビジネス研修の講師の経験が役に立った。
色々な事業をお手伝いして、年商5,000万くらいを達成できた。
自分の収入もサラリーマン時代の2倍になり、労働時間は1/5くらいになったので、結果的に10倍の効率で働けるようになった。
健康についても体調はすこぶる良くなって、風邪もほとんど引かなくなった。
筋トレも継続して、BIG3(ベンチプレス、スクワット、デッドリフト)
300kgを達成することもできた。
「猛禽類のようなギラついた顔つきから、柔和なお坊さんのような表情になったね。」と周囲の友人によく言われる。笑
恋愛関係も充実し、理想のパートナーとも運命的に出会うことができた。
家族や友人も健康になり、自分らしく生きる人が増えていった。
など、人生の構成要素について、最適なカタチで全ての問題が解決されていった。
本のキャッチコピーにありそうな美辞麗句が並んでいて、過去の自分が「そんな訳ないやろ!」とツッコミが入るのも分かる。笑
でもそうなんだもん!笑
としか言いようがない。笑
楽しいからやっていった、楽しいことだけで人生の時間をいっぱいにしたら、色々な喜ばしい結果?楽しい毎日になっていった。という感じ。
そういうことを続けていると、人生の捉え方が大きな変化し今後の人生を決定づける、ターニングポイントとなる出来事があった。
いわゆる、一般的に言われている自我は、自分自身を見ることができない。
そのため、周囲からの評価や比較によって、自分の価値を推し量る。
今までの自分は、
「良い大学、良い会社に入った、これくらい稼げてるから自分の価値はこれくらい。」
「周囲から必要とされている、愛されているから自分の価値はこれくらい。」
「フォロワー数が何人で、イイねが何件きてるから、自分の価値はこれくらい。」
と、自分の価値を確認していた。
裏を返せば、
「社会で稼げなかったら、価値が無い」
「周囲から必要とされない、愛されなければ価値が無い」
「SNS上で反応がなければ、価値が無い」
という、自我(=自分)の価値と外部の評価が一緒となっている状態。
過去の自分は、
1億の年商を稼ぐことや、良い会社にいること、誰かに愛されること、大きな仕事をやり遂げること。
といったことで、自我の価値を間接的確かめていたに過ぎない。
だからこそ、健康を害して、これらが全て瓦解したことで、自分の価値を見失ってしまった。
その価値基準を全て捨てて、ワクワクだけを追い求めていった。
そのための方法論として既存の価値観を一つ一つ疑っていった。(哲学の脱構築的な考具を参考に)
そして、たどり着いた純粋なワクワク感。子供のような感覚。
この言葉たちが好きだ。
晩年になってやっと、たどり着いた境地が子供らしい、描きたいように描くという自分を通すということ。
大人になって子供のように生きること、言い換えれば、本来の自分らしく生きることを忘れてしまっていた。
そして、本当の自分という存在、意識の置き所を取り戻すのに時間がかかった。
そして、瞑想やスピリチュアルのエネルギーワークを通じて体感し、そのことに気がつくことができた。
自我を通じて本当の自分を見るということだ。
自我との距離を明確に置く、そんなイメージ。
例えるなら、ポケモンの主人公が自我(自分であるという認識)として考えてみよう。
主人公としてフシギダネ、ヒトカゲ、ゼニガメから1匹を選んで、オーキド博士に導かれるようにポケモンマスターを目指して旅をする。
そこでは、バッヂを8個獲得し、四天王を倒すことが道筋となる。
その道中、新しいポケモンに出会ったり、ジムリーダーやロケット団を倒したりと色々な体験をするだろう。
そこでライバルに負けてしまったとしよう。
手持ちのポケモンはもういない。目の前がまっくらになった。
どう感じるか?
「あーあ。次は勝つぞー。」
と感じるかもしれない。。
まさか「もう自分はポケモンマスターのセンスがない。もうダメだ。」と極端なネガティブ思考に陥ることは殆どないと言っていい。
何故か?
ゲームだからだ。
もっと言えば、ゲームの中にある主人公(=自我=自分という認識)の勝ち負けは、一つの体験に過ぎず、自分の価値は負けたことでは下がらない。
ただゲームにのめり込めばのめり込むほど、ゲームでの勝った負けたで自分の価値への作用が大きくなる。
このように、今この人生における自我をゲームの主人公とし、社会的な評価や事象をゲームの中の出来事(ポケモンで言えば、ポケモンマスターになることなど)とするならば、本当の自分はどこにいるか?
人生というゲームにあまりにのめり込んでしまい、画面にベッタリと張り付いてしまったが故に、画面の中で起きることと自分の価値が等しくなってしまっていたのだ。
ゲームをスマホに言い換えていいかもしれない。
スマホの画面の中に繰り広げられるSNSでのやり取りに、一喜一憂し、スマホ中に埋没している自我。
自分と他人のルックスを比較したり、いいねやフォロワー数を比較してみたり。
果たして、本当の自分はどこにいるのか。
そう、スマホの世界に自分はいない。
スマホの前にいるのが、本当の自分だ。
いわゆる地球での現実世界を体験している、目鼻口といった五感というフィルターを通して、脳内のスクリーンに写し出されていて、それを感じ取って、自我として体験している。
そのことを意識的に俯瞰してみていく作業。
このように、本当の自分の立ち位置を抽象的に、俯瞰して見られるようになったために、一喜一憂することなく、むしろこの"体験自体"を楽しめるようになったのだ。
ここまでツラツラと自分の人生を語ってきたのも、リアルな体験として自分が感じたことを表現してきた。
特に今まで太字で表現したところは、人生というゲーム(便宜上の表現ではあるが)の中の出来事として体感したことを表している。
成果出て楽しかったことも、お金をたくさん稼いだことも、本当に辛かったことも、色々勉強したことも全ては体験であり、その体験ができるということ自体に勝るものはないと感じた。
このnoteの結論を述べる。
もし自分が肉体を持たない、ただの意識だとしよう。
マトリックスのような状態。
ただの意識の中では基本的にはイレギュラー、ランダムはおき得ない。
自分で全てをコントロールできるが、イメージだけでは中々体感を感じることは難しい。
肉体はリアルな世界というゲーム空間へのアクセス方法だ。
肉体で物理世界にアクセスして、自我(ここでいう自我というのは生理的な反応)という枠組みを通して、本当の自分がこの世界を体験することができる。
そして、当時自分はこんなことを考えていた。
皆さんはどのように考えるだろうか。
過去の自分は、自分の価値=社会的な価値や誰からの評価としていた。
自分の価値は?と聞かれたら、生み出した売上や、自分の月収(20〜100万くらい)としていたかもしれない。
もちろん、これはあくまで思考実験の一つとも言える。
ただ体感として、本当の自分と自我との癒着を取り払うということは、
言い換えれば、『煩悩を捨てる』という表現にも近い。
自我的な、思い悩みを生むような、執着を生むような考えから脱するというこだ。
今思えば、このことに気づくために、辛い経験があったんだなと感じる。
今では、オフィスのど真ん中で半沢直樹顔負けの土下座ムーブも笑い話になる。笑
全てがこれで良かった。
タイトルはひとまずこれで回収した。
自分の体験についてここまで詳細に話すのは初めての経験。
あの感覚、意識の置き所を説明するのが体感ベース過ぎて、語ることでかえって混乱させてしまう可能性があるからだ。
今の自分にできる限り、自分の経験を自己紹介として思っていることを全てさらけ出してみた。
ここまで、お付き合いいただきありがとうございます。
そしてこの感覚はやっとスタートラインに立ったに過ぎず、どのように"生を発露"させるかが真に重要である。
この話には続きがあって、今までの経験を元に自分7.0コーチという、ライフワークを立ち上げていった。
大きな視点の変化を経たことで、ワクワクの矛先は、自分の人生が180度変わった経験を論理的に説明したい、世にある玉石混交のスピリチュアルの真偽性を確かめたいと感じたことだ。
何故なら、
「そんなの普通じゃない!」と自分の体感は実在だとしても、理性として、自我としての自分が納得していなかったからだ。
あの時感じた体感を頼りに、答えは知っているがどのような過程を辿るのかを一歩ずつ埋めていった。
数学の証明問題を解くような感覚。
自分にとって、お金が全てという価値観を持っていたが、全てを失ったことで、お金という物差し、価値基準だけで生きることから抜け出すことができた。
それは、スピリチュアルや心理学の要素を自分の中に取り入れることができたからだ。本当にそれによって、毎日深い幸せと充実感を得られている。
そして、それをもっと深く知りたくなった。
まずスピリチュアルの原点、源流となるものは何かを考えた。
それは、宗教的な要素だ。
というのも、色々な考えがあるので一概には言えないが、現代で言われているスピリチュアル系の話(引き寄せの法則などを含む)は、1970年代に盛んになったアメリカのヒッピー文化から来ていることが多い。
そして、そのヒッピー文化の下敷きとなっているのは、1800年代後半から始まった『神智学』と呼ばれる、キリスト教を基に発展させていった学問だ。
この神智学に、東洋思想(仏教やヒンドゥー教など)を混ぜたものがヒッピー文化における、スピリチュアル的思想の源流になる。
つまりは、元々スピリチュアルというのはキリスト教や仏教などの宗教的な考えが時代に合わせて、変化させてできているということだ。
最先端の現代科学、哲学、スピリチュアルも宗教の考えや教えを応用して、信仰心を省いたものも多い。
例えば、一般的に受け入れられている考えとしては、現代であればマインドフルネス(瞑想)だ。元はと言えば、仏教などの修行の方法を現代版に神という存在を切り抜いて、活用して医療に応用している。
また、心理カウンセラーとして脳科学や精神医学の勉強をすると、心理療法と呼ばれる手法は、元々仏教などの考え方を応用しているものも多いことに気がついた。
あれもこれも、キリスト教のエッセンスや、仏教的な話にあるよなーと思ったり。(無宗教だが宗教というものに興味があり趣味で勉強したことがあったので、色々と知っていた。)
そこから更に、学問として、人を幸せに導くことを目的として作られた宗教学を勉強することを通じて、宗教的な要素のどこに人を変容させるのかというメカニズムを脳科学的な観点から色々と勉強していった。
そして至った結論は、
ただ瞑想をしましょう!というと、キリスト教徒の方からしてみれば、私は仏教ではないので、となってしまうこともあるので、便宜上、「現代医学で分かった幸せになる方法!マインドフルネス!」と言われている場合が多いということだ。
これはほんの一つに過ぎないが、脳科学、哲学、スピリチュアル、宗教の関連性がわかってきて、本質が見えてきた。
それらをまとめたい!とワクワクして、一心不乱に専門書や論文を読んで、自分でも色々な経験をしてみた。
そして、そこに自分のビジネスとしての経験も付与していったら、人生の悩みをほとんど解決できるんじゃないか?と思い浮かんだ。
そして、それらを色々組み合わせていった。
期間にして3年くらいかけて。
そして出来上がったのが自分7.0コーチングだ。
長くなってしまったので、時系列をまとめるとこんな感じ。
今までの過程はあくまで自分がワクワクすること!笑
楽しいから色々勉強したり、頼まれてもないのにまとめてみたりしていた。
自分7.0というのはネーミングの由来は自分という定義を、
3次元空間、時間、他者、並行世界という6次元の上の7次元から俯瞰してみている立場に置くことだ。
そうすることで、自分を癒し、自由に世界を楽しみ、幸せになることに繋がる。
過去の自分を癒すにはどうしたらいいか、7次元視点に導くにはどういうコーチングやワークに何が必要か色々考えてまとめていたら、自分7.0コーチング気がついたらできていた。という感じだ。笑
現在は新規のクライアントを募集はしておらず、友人や紹介だけでこじんまりとやっている。
そして、クライアントである家族や友人から、「絶対その考えを世界に伝えた方が良い!」と5人くらい立て続けに、背中を押されたこともあって、「確かに、何でこれを世界に広めてないんだっけ?笑」と思い直し、いっちょnoteでもやってみるかー!と思っている今日この頃。
そして、有り難いことに周囲の家族や友人がバックアップしてくれるそうなので、ワークショップの開催やYouTubeの動画をあげるようになりそう。
ここまで読んでくれたということは、よっぽどの物好きで、きっと僕に適性があると思うので、ぜひ今後とも仲良くしてください。笑
そんなこんなで自己紹介は以上!
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それでは、出会えたことに感謝。
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