誰かの役に立ちたいと思ってるあなたへ。

自分の生き方が

恐ろしくなることがあります。

私は誰かの役に立っているのかな。

生きてる価値はあるのかな

と、寂しくなることがあります。

夫のために、子供のために

義母や義父のために

近所の人のために

やりたい と思うことを我慢して

お家や近所のために動き

朝起きる時間も

夜眠る時間も

自分のペースではなく

家族のために起きて寝る。


そんな

家族にとって理想的な

母であり 妻であり 人であることが

残念ですが

私にはできません。


でも

夫や子供のこと

心から愛しています。

いつも いつでも

何をしているかな?

笑っているかな?

って思いながらお仕事しています。

私は幼い頃から

「お前なんていなければ良かった」

「私は家政婦じゃない」

と、母から言われ続けて育ちました。


「いなければ良かった」件については

もうこの世にいるので

どうしようもないけれど

「家政婦じゃない」件については

「だったら家事なんてやらないでいいのに」

と ずっと思っていました。

着るものが無くなれば自分で洗濯しますし

食事だって

お腹がすけば ご飯を炊いて

食べればいいわけですから。

そのたびにイライラして

ゴルフクラブや布団叩きや掃除機で

殴られたんじゃ身が持ちません。


私はある日

罵られることに耐えられなくなり

母に

「べつにご飯作らなくても
洗濯しなくても
死なないからやらなくていいよ」

と言ったことがありました。

「じゃ、誰がやるのよ」


と言われました。

話にならない、と私は感じました。


大人になり

妊娠しました。

初めての妊娠は結婚前でした。

その後も3回、合計4回妊娠し出産しましたが

一回も「おめでとう」と

両親から言われたことがありません。

言われたことといえば

「みっともない」

「人生めちゃくちゃになる」

「子供なんていなくていい」

「子供なんてくだらない」

よほど辛い子育てだったのでしょう。

本当に申し訳ない。

多分母は

私がいることで

人生の半分以上

我慢をし

心をすり減らして

温かな幸せを感じられなかったのでしょう。


お詫びの気持ちと同時に

私は家族が増えたら

「おめでとう」と「嬉しい」を

感じることができて

伝えることができる人でありたいと

思いました。

子供がいると

やりたいことをやる母親は

罪なのでしょうか?

母親という役目を持った人は

ある程度子供が大きくなるまで

やりたいことを我慢しなければ

いけないのでしょうか?


私の個人的な意見として

私の経験を踏まえて言うと


やりたいことがあるのから

子供がいてもなんでも

目一杯やるべき。


それで わたしが

いや

あなたが

笑顔になれて

感謝できて

大切に誰かを思うことができるのなら

やるべきです。

それが

仕事でも

家事でも

子育てでも

介護でも です。


この世に生まれてきたのは

あなたのためなのですから

あなたが喜ぶことをしないで

誰を幸せにできるのでしょう?

あなたは何をしたいですか?

したいことをする。

したいことなら少々辛くても乗り越えられる。

誰かに褒めてもらうためでも

承認してもらうためでもない

ただ、ただ

あなたの心が喜ぶことをする。


それが本当に

誰かの役に立つこと

なのではないか?

というのがわたしの持論です。


やりたいことがないんです

って思いましたか?

そのような方は

いま、目の前にあることを

とりあえず

コツコツやってみてはいかがでしょうか?

そのうち

見つかります。

あなたの心が喜ぶこと。


カラフルなタピオカを

ひと粒ずつ

試しに食べてみたら

お気に入りが見つかるみたいな…ね。

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