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花枝さん Ep7  would be rude

 花枝はなえさん(仮名)67歳(本当は72歳)は私の職場におられる現役最年長パートタイマーだ。

 EP6で書いたように花枝さんは『自称』松原智恵子さん似である。そもそもは若い時にどなたかに言われたのかもしれない。けれど今、そう、今それを言うのなら『自称』であろう。厳密な言葉の意味はさておき…… 決して私が言い出したことでは無い。ここを明確にしておかねばならない(いきさつがわからない方はリンクを辿って読んでください)

『松原智恵子事件』(仮称)は定年退職後に現役世代よりは責任と言う面で多少はのんびりと仕事をさせてもらおう、と思いながら働く私の職場環境を一変させた。

「イヌヅカさ~ん」
 職場の正社員の女性が私を呼ぶ。

「はい、何でしょう?」
「これね、明後日のシフトなんだけど、花枝さんが急なお休みでイヌヅカさんがちょっと残業でフォローしてもらえん?」
「ああ、いいですけど、花枝さん体調不良ですか?」
「なんか所用とからしいのよ。聞いてないです?」
「いや、知りませんよ」
 そんな花枝さんの予定を私が知るわけない。

「いやー、イヌヅカさんなら聞いてるのかと……」
「なんでです?」
「だって花枝さんと仲いいから……」
「聞いてませんけど」
「そう、でもお願いします。花枝さんのためだからね」
「いや、別に花枝さんでなくても協力はしますけど」
「へへへ、まあお願いします」
「はい」

 なんやねん「へへへ」は…… 

 こういう余分な一言が増えたのだ。『花枝さんの為』とか『仲がいい』とか。

 明らかに私が花枝さんを「松原智恵子さん似」でお気に入りで、それを花枝さんも大層喜んでお互いに気が合うみたいな。ひどいのは私が花枝さんに好意をもって接しているような発言まで囁かれていると、同じパート仲間の人から聞いた。『好意』? 『敬意』の間違いだろ。私ごときに日本語を訂正されるなよ。

 その日は随分と気分が悪かった。
勿論、花枝さんが嫌いなわけではない。敬意を持って接しているし、それ以前に仕事仲間である。お互い様なんだから協力できるときはする。それは誰に対しても同じだし、わざわざそんなことを言う必要もない。

 もとはと言えば花枝さんのキャラクターから発生したことである。けれどそんなことは皆わかっている筈だ。社員連中からパートタイマーの色恋ネタみたいに言われるのは本当に不愉快である。今度、面と向かってなにか言われたら本気で注意してやろうと思った。
『それもセクハラじゃないんですか』と。

『昭和リタイア組をなめんなよ』と、心の奥深~くで呟いた。

 そして花枝さんお休みのフォローを済ませた日の翌日、数人の社員と談笑する花枝さんに偶然出くわした。
『お疲れ様です』とだけ、そこにいる人たちに声をかけ通り過ぎようとした私を花枝さんが呼び止めた。

「ああ、イヌヅカさん。昨日はごめんなさいね。アナータに迷惑かけちゃって」
「いえいえ、全然、お互い様なんで気にせんといてください」
「ごめんね。急な用事ができちゃってね。どうしても外せなくてね」
「そういうの、ありますもんね。いいですよ、気にせんといてください」
 その話を横で聞いていた社員の一人がまた、いらんことを言った。

「花枝さん、イヌヅカさんは花枝さんのためやったら何でもしてくれますよ」

 さすがにプチンと音がした。
 私は前述の心の奥深~くにしまい込んでいた怒りをぶつけるべく、そいつの前に引き返した。
そして口を開こうとした矢先。

「アナータ、何言ってるの?」
 花枝さんが表情を一変させ、その社員に聞く。
「え? 花枝さんのためやったら……」
「それ、どういう意味で言ってるの?」
 完全に戦闘モードに入っているドスのきいた花枝さんのセリフに、気温が5℃は下がった

「いや、どういう意味も……」
「アナータ、それ、イヌヅカさんや私に凄く失礼なもの言いだとわかってるの?」

「いや、そんなつもりは……」
「アナータ、わかってないじゃないの。そんなつもりはないと言いたいのでしょ。アナータがそんなつもりなくても、私達にはすごく失礼な言い方よ。いい大人がそんなことがわからないの? アナータ、歳、いくつよ。言ってみなさい」

「32歳です」
(年齢は正確に覚えてない。大体これくらいの歳だったということで)

「アナータ、それでそんなことがわからないの?」

「いや、すみません。つい、ふざけてしもて……」
「私にじゃなくて、イヌヅカさんに謝りなさい!」

「はい、イヌヅカさん、失礼しました。すみません」
「あ、ああ、いいですよ。私は」
 花枝さんの迫力に私の湧き上がっていた怒りまで冷却されて、なんかこっちまで反省させられているようだ。

 で、その場はそれで治めて仕事に戻った。そしてその後に花枝さんにまた偶然出くわす。花枝さんはいつものように技能実習生の女の子たちとキャッキャッと笑っていた。先ほどと同じ様に『お疲れ様でーす』と声を掛け、通り過ぎようとすると、先ほどと同じく花枝さんが呼び止める。

「イヌヅカさん、さっきはごめんなさいね」
「いや、こちらこそ。私が言おうとしたこと先に花枝さんに言われちゃいました」
「ハホホ、アタシね、すぐお湯わいちゃうからねぇ~あの子のこと言えないわ、いい歳してね~」

「いやいや、そんなことは……」
「でも、イヌヅカさんの気持ちは嬉しかったわ。気にしないでね」

「???」

「じゃあ、アタシ、仕事片付けて帰る用意するから」

「???」

 花枝さん、私の気持ちが嬉しいとはどういう意味です?
なんかおかしくないですか? その言い方……
そういうのが誤解されるんですよ。

 しかしその後にこういうことは聞かなくなって、元の職場の雰囲気に戻った。たぶん花枝さんの激おこが社内全体に伝わったのだろう。


花枝さん恐るべしである。


EP8に続く


Paul McCartney & Wings - My Love (Official Music Video)


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