サブスクリプション・ミュージック

もう数年前から音楽はApple Musicで聞いている。月980円の定額制を、CDアルバムを月に1枚以上買うんだったらこっちのほうが安いと感じ、ずっと続けている。実際、音楽は毎日のように聞くので十分元は取っていると思う。


Apple Musicを開くと日々たくさんの曲やアルバムが出てくるので、とっかえひっかえあらゆるアルバムを聴くようになった。購入やレンタルだったら絶対に聞いてないようなミュージシャンと出会うことができるのが良いところだ。例えば日本のミュージシャンでいうと、水曜日のカンパネラとか、DAOKOとか、多分Apple Musicじゃなければ聞くことがなかったんじゃないかと思う。他にもクラシックやジャズ、ロックに至るまで、今までずっと聞いてみたいと思ったけれどなかなか聞く機会がなかった曲や、存在すら知らなかったの試しに聞いてみたりしていろいろと発見や出会いが増えた。


こうした出会いがある一方で、1つ1つのアルバムとの付き合いが希薄になっている気がする。朝の通勤時にあるアルバムを聞いては、帰りの電車では別のアルバムを聞いていたりと、とっかえひっかえにさまざまなアルバムを聴くようになってしまった。自分の中で我慢ができなくなってきたというか、飽きっぽくなったというか、1枚のアルバムを聴き通すことさえ危うい状況になってしまっていた。

かつてCDは高かった

昔はCDアルバムは買うか、TSUTAYAなどのレンタルショップで借りるかしかなかった。特にCDを買う場合など、1枚が非常に高価だった。私が中学生・高校生の頃のアルバム1枚は、2000円から3000円くらいで今とさほど変わらない値段だったので、当時中高生だった自分にとってみれば相当高価な買い物だった。中学生のときの月のお小遣いは確か3000円だったので、CDアルバムの1枚3000円というのは実に高かったのだ。

それだけにアルバムを選ぶということは大変重みのある行為であり、それこそ清水の舞台から飛び降りるほどの思いでCDを購入していた。だからこそ一度買ったアルバムは擦り切れるほどに聞いていたし(もちろんCDだったので擦り切れるということは無いのだけど)、 3000円分の元を取るような気持ちで繰り返し何度も何度もアルバムを聞き続けていたものだ。


このようにディープな付き合いをしていたアルバムとは当然ながら密接な関係性が生まれていった。もちろん全てのアルバムがそうだというわけではないが、いくつかのアルバムたちは今でも私の血肉となっている。こういったどっぷりとハマるような付き合い方をしてきたからこそ、サブスクリプションによってアルバムとの付き合い方が相当希薄になっていることがどうも気になっているのだ。


反復リッスン

たくさんのアルバムを日々聴いてはいるのだが、そのどれもが頭にも体にも染み込んでこないという感覚が出てきてしまい、音楽との付き合い方はこんなものだったのだろうか、これでも音楽を聴いていると言えるものだろうかと自問自答していた。


そこで最近取り入れたのが、1枚のアルバムを繰り返し繰り返し聞くという行為である。アルバムを聴き始めたら、うかつに他のアルバムに浮気せず何度も繰り返し繰り返し聴くようにするのだ。もちろんつまらない音楽を無駄に聞く必要はないので、聴き始めてイマイチだと思ったらすぐ別のアルバムに切り替える。


以前は気に入ったアルバムを見つけても、ついほかのアルバムに目が移ってしまったのだが、今ではいいなと思ったものが見つかったらしばらくはそのアルバムを繰り返し聴き続けることにした。音楽との関係性をもう一度取り戻せないか、とりあえずやってみることにした。

サブスクリプションの音楽というのは、図書館の本のようなものだと思う。図書館に行くと、無料だし読みたい本がいろいろ見つかるので、ついつい何冊も借りてしまう。家には読まなければいけない本が何冊も山積みになっているというのに、図書館に行くと何冊もまた借りてしまう。

結局ほとんど読みもしないで返すこともたびたびある。そのたび罪深い思いでその本たちを返すのだが、サブスクリプションで出会った音楽も似たようなものかもしれない。

とはいえ人生は短い。つまらないもの、気に入らないもの、自分と合わないものに費やす時間などない。なので、これは気に入ったものを見つける行為だと割り切って、いろいろつまみ食い(聞き)をし、その中からこれだというものが見つかったら、それを徹底的に楽しむ。そういうやり方が良いのではないかと、最近は考えている。

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