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ぐうぜんのきろく。

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  • ぐうぜんのキロク

    悲喜こもごも。

最近の記事

ライ。

大事にできなかったもののことをふと思い出した。 子供の頃飼っていた、犬のことである。 どうしても飼いたいとわがままを言って、親がどこかから貰ってきた柴のような雑種。 自分なりに可愛がっていたつもりだったが、散歩は結局母親の仕事になったし、実際のところめんどうをみたということはなかったように思う。 あるあるなのかな?今思い返せば、胸が痛い。 ウチには気に入らないことがある度にわめきながら暴れるタイプの激情型の姉がいて、それはおそらく発達障害のようなものだったのだが誰も気づく

    • くるりのこと。

      数年ぶりにくるりのライブを見た。 急に行けなくなった友達の代打で行くタイプのやつ。 行きたい気持ちと急すぎて躊躇う気持ちの壮絶なバトル。 いいの?お金もないのにそんなキュウなシュッピ大丈夫なの??いやでも、見れる時に見とかないと何がいつどうなるかわからないし見なかった後悔は長く後を引く。。ウジウジウジ。 ちょっと前ならすぐオッケーだった。 フットワーク重くなりすぎた自分。奮起。 いざ列島Zeppリン。 初めてくるりを見たのは15年くらい前。 アンテナのツアーの時でした。

      • ぼくが旅に出る理由はだいたい100個くらいあって。

        夜の高速に久しぶりに乗った。 昔からスピード出したら壊れそうな車に乗っているので自分の運転で高速に乗る事はほぼなく、必然的に人の運転ということになる。 夜の高速は好きだ。 真っ暗で静かで規則正しい。 人の運転なので当然外をぼんやりと眺めることになる。 びゅん。びゅん。びゅん。 いい。その規則正しいリズム、とてもいい。 そしてなんだか、泣きたくなります。すごく心細くなる。どうしてかな。 真っ暗な外を見てると思い出すことがあります(また)。 父親の運転で走る夜の道。 家

        • 痕跡と走馬灯。

          ここ最近、「いつかのできごと」をぼんやりと思い出す。 「いつかのできごと」 なんというのでしょうか。走馬灯? 死ぬのかな? ホントにそんな感じ。 もう死ぬのかな?そんな感じの、やつです。 死にたくないな。当たり前だけど。死にたくない。 だけど死ぬのかもしれないなぁ。 ここ数年、これは死ぬようなことかもしれないなという想いを抱えて生きているので見るのかもしれません、走馬灯。 主に幼稚園くらいの時のこと。今は亡き若かりし頃の母が見えます。夢の中のように、ほの暗い。 後は

        ライ。

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        • ぐうぜんのキロク
          2本

        記事

          プロローグ

          新元号が発表されて、遂に、一つの時代が終わるんだという。 気づけば歳を取り(思えば遠くへ来たもんだ)、衰え、劣化し、いつか訪れる死をリアルに思うようになった。生きるというのはそういう事なんだ。 思い悩んだり、悲観したり、急に楽観的になったり、誰のものでもない自分のこの人生を進めたり振り返ったり、残しておいてもいいんじゃないかと(この世界の片隅に)、そんな事をふと思う(定期的に思うんだけど)。 始めては辞め、辞めては始める、ある種のルーティン。何十回目かの記録をしてみよう

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