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長男の傷の記録

本の記録や感想は基本、読書メーターでしている。
でも、この件に関しては、本の感想というより、個人的なことに書くことが多くなってしまうので、noteに書こうと思った。
また、noteでは楽しいことだけ書こうと思っていたけど、この時の感情や体験も忘れずにいたいと思い書くことにした。
当時の日記は、感情の乱れが字に表れて混乱している。
少し時間が経った今、客観的に書けると思った。

今年2月に下記三冊の本を読んだ。

『ワンダー 』R・J・パラシオ/著,中井はるの/訳
『知っていますか?ユニークフェイス一問一答』松本学/編著 石井政之/編著 藤井輝明/編著
『顔がたり ユニークフェイスな人びとに流れる時間』石井政之/著

これらの本を読んだのは、ユニークフェイスを自分事として考える必要に迫られたからだ。

1月31日、長男が大怪我をした。
夜、工事中のため砂利ででこぼこの道路を自転車で飛ばしていたところ、段差でタイヤを取られてしまい、自転車から投げ出され、顔面から地面に落ちた。
彼は、ヘルメットを被っていなかった。
それにも関わらず頭が無事だったのが、本当にありがたいことだった。
長男の思考はクリアで、でも顔面と膝から大量に出血している彼は、命の危険を感じ、足を引き摺りながら、転倒した現場の目の前にあった居酒屋に救急車を呼んでもらう様、助けを求めた。
居酒屋の主人は、怪我の酷さに思わず顔を背けたそうだ。
長男が救急車で搬送されている間、私のスマホは、警察と救急隊員の人から大量の着信があったのだが、職場から車で帰宅中の私は全く気付けなかった。
自宅に着いてから、搬送された病院へ向かった。その時、夕方の6時半だった。
医師、看護師の方から状況、容態を説明してもらう。
左膝が骨が見えるくらいざっくり切れているが、それより酷いのは、顔だと言われた。
鼻骨の骨折と、左の鼻翼、いわゆる小鼻がざっくり切れ、皮一枚で繋がっている状態だった。
膝は救急の医師が縫合してくれたが、鼻の縫合は形成外科の先生じゃないと出来ないので、呼び出していると聞かされた。
非番だった形成外科の先生が到着した。
看護師の方から、「お母さん、血とか平気ですか?」と質問された。
これから鼻翼縫合の緊急手術の説明をするから、本人の傷を実際に見て確認しながら説明した方がいいが、傷の状態がひどいから目の当たりにして平気かと確認されたのだ。
私は絶句して、躊躇して、間があってから「…大丈夫です」と言ったので、看護師さんに「やめておきましょう。実際に見ながらじゃなくても、先生から説明を受けれるので」と言われた。
私は、長男のどんな姿も受け入れることが出来ない、母親失格だと思った。
先生からは、まず、鼻翼の現在の状態について説明された。
皮一枚で繋がっていた状態のため、切れた部分に血液が行き渡らず、黒ずんで壊死しかかっている。緊急手術として元の状態になるように縫合するが、鼻翼がこのまま壊死してしまう可能性は非常に高い。その場合、壊死した部分は切除しなくてはならない。片方の鼻がない状態で日常生活は送れないので、その場合は鼻翼再建手術が別途必要になってくる。
私は、体の見えない部分の肉を使って新しい鼻翼を作るのだろうと想像していた。
しかし、実際の方法はそうではなかった。
左鼻翼の横の頬の肉を削り、小鼻を形成するという方法だった。
近い組織の方が、組織が馴染みやすいという理由だった。
この話を聞いた時、私はとてもショックを受けた。
顔の中心に、そんな目立つ傷を負って、この子はこれから生きていかないといけないのかと思った。
鼻の縫合、傷の処置が全て終わり長男と面会が可能になったのは、夜の11時過ぎだった。顔中に包帯を巻いた長男の姿を見て、私は今までにないくらい打ちのめされた。なんて声をかけていいのかわからなかった。
長男は「迷惑かけて、本当にごめん」とベットに横たわりながら言った。
このまま、今日は入院かなと思ったが、一旦帰宅し、明日また診察にくるように言われた。
長男だ履いていたジーパンは血だらけで、(一刻を争う治療のため)ハサミでざっくりと切り裂かれ、コート、手袋、あらゆる着衣が血で染まっていて、それがまた私の心を塞いだ。
12時前に帰宅したが、脳が興奮状態のためかなかなか寝付けず、夕食も食べていないのに、お腹も空いていない状態だった。
処方された薬について調べたり、顔の傷について調べていた。そして、少し眠った。

翌日、仕事を休んで長男を病院へ連れていく。
これから鼻翼の傷の状態を見ていって、移植について判断していくと言われる。
入院ではなく、通院でも可と言われたが、送迎のため頻繁に仕事を休むわけにもいかず、また毎日病院で状況を見てもらえる方が安心できるため、入院を希望し、ラッキーなことに空きもあり、翌日からの入院となった。
この間、私は前述した本を読んだ。
脳の機能に損傷はない、視力や聴力を失ったわけではない。
顔の傷が残ると言うことだった。
顔は、その人の印象を決める重要なパーツだと考える。
大きな傷が顔面にあって、この子は将来就職で差別されないだろうか。
私と夫が一番心配したのはそのことだった。
優しい気質の長男だから、これまでの友人が離れてしまうという心配はしていなかった。どちらかと言えば口下手な長男が、これから出会っていく人々とうまく関係を築いていけるのだろうかと思った。
何かヒントを得たくて、知識を得たくて前述した3冊の本を読んだ。
ユニークフェイスのことは、以前メディアで取り上げられていて知っていた。
これらの本を読みながら、以前長男が赤ちゃんの時に通っていたベビースイミングでのことを思い出していた。
足に青あざがあった女の子がいた。
多分、異所性蒙古斑と言っていたのだと思う。虐待を疑われることがしんどいとそのママは言っていた。
私は、それらの本を読みながら、この状況に慣れていかなければ、こんなことなんともないと強くあらねばと思った。
その一方で、長男が生まれた時の赤ちゃんだった時の写真を眺めては、泣いてしまっていた。
この時の私は情緒不安定で、仕事中は集中して一時忘れていても、車で1人になった時はもうダメだった。
私の通勤路はよく救急車が通るのだが、2月に雪が降り、渋滞も重なり、救急車が立ち往生しているのを見た時は、涙が止まらなかった。

長男は、1月に市の「二十歳を祝う集い」へ出席した。
二十歳の記念に写真館で家族写真を撮ろうと、前もって準備していた。
長男は背広、次男は高校の学生服でいいけど、私は着物を着ようなんてうきうきした気分でいた。すると、次男が「自分は学生服がきらいだから着物を着る」と言いだし、そうするとどちらが主役かわからなくなってしまうから、自動的に長男も着物を着ることになった。
呉服屋さんに併設してある写真館だったので、そこで夫以外の着物をすでに選んでいた。
夫と私、両方の両親も一緒に写真を撮ろうと連絡をしていた。
事故が起きて、顔全体を包帯を覆ったまま撮影するわけにはいかないので、写真館には撮影日の延期の連絡をいれた。(当初、中止にしようかと考えたが、写真館側がいつでもいいのでと言ってくれた)
撮影日が近くなり、私は双方の両親へ事情を話さなくてはないないと思っていたがなんと言っていいか分からず出来なかった。
そのタイミングで実家の母から連絡があり、事情を打ち明けた。
母は言葉を失っていた。私はまた、連絡すると言って電話を切った。
長男は、入院中に20歳の誕生日を迎えた。
20歳というのは特別だから、何か記念となる贈り物をと最初考えていた。
長男に何か欲しいものはあるかと聞いたら、「顔の傷を隠すメイクセット」と言われ、辛い気持ちになってしまった。
入院の面会は、1日1回、2名まで、15分間だった。
長男と入院後、話しをした。
今まで、自分はどこか投げやりな気持ち、どうとでもなれという気持ちで生きていたように思う。でも、大怪我をして、「いやだ、死にたくない、生きたい」と強く思った、と言っていた。
当たり前だと思っていたことが失われるかどうかの瀬戸際の時、初めてその価値に気付いたのかなと思い、それは、私も同じだった。
私の毎日は、平凡で平和で、少し退屈だな、もっと刺激が欲しいな、なんてことを考えることがあった。
だけど、神様、こんな刺激は望んでいなかった。
日々、家族が健康でいられることのありがたさをかみしめた。
怪我からしばらく経ち、長男の鼻翼の状態は当初予想していた最悪の状態には至らなかった。
血流がよく、鼻翼の表皮のみが壊死している程度だと先生に聞かされた。
よって、鼻翼全体の切除と移植ではなく、表皮を削りとり、その部分に人口真皮を移植することになった。
同時に、骨折した鼻の位置を戻す処理も、全身麻酔で手術を行うと連絡を受ける。
長男と私たち夫婦で先生から、手術の説明を椅子に座って受けていた。
長男は、自分の身の上にこれから起こることなんだと意識したのか、気分が悪くなったのか、ふらっと体勢を崩してしまった。
先生は、「迷走神経反射だね。横になっていいから」と言った。
手術当日、私は何も出来るわけではないが、一日仕事の休みを取り、待合室でじっと待っていた。
全身麻酔と聞いた時、もし麻酔の量を間違えて、意識が戻らなかったらなんてどうしても悪い方に考えてしまっていた。
手術は無事終わり、人工真皮の皮膚とのなじみ具合を見ながら経過観察しましょうと言われる。
18日間の入院期間だった。

退院し、しばらくは鼻にギプスをしていたので、顔中包帯で、外出する度、他の人から二度見されるのが辛かったと長男は言っていた。
ギプスがとれても、傷跡は依然としてそこにある。
もう無傷の状態には戻れないのだと思い知らされる。
それでも、傷口に肌色のテープをはり、マスクをして、大学やバイトに復帰し、友人とも外出し、旅行に行ったりしていた。
もう、受け入れていくしか無いことを理解しているように見える。
少しずつ状況に慣れていっているというのもある。
傷を負ったのが、娘だったらどうだったろうか?と考える。
きっと、男の子以上に悲観的になるのだろうか。
それは、私の心に男性とは、女性とは、こうあらねばならないという固定観念があるからだろうか。
娘だったら、「この子は結婚できないかもしれない。なんてかわいそうなんだろう」と思ってしまうかもしれない。
普段は、こういう考え方は嫌いなはずなのに。
いざ自分が当事者になったら、冷静に理性的に考えるのは難しいことだった。
私の中にも、偏見があるのだと気付いた。
でも、長男がそんな風に周りから扱われたり、偏見の目の中で生きていくことは絶対にいやだ。
わたしも、当事者としての経験と知識から新しい視点を知った。
自分だけが大変な訳ではないのは十分わかっているつもりだ。
これから、長男も私も面の皮が厚くなっていくだろう。
だけど、人の繊細な気持ちを慮れる視点を持ち続けていきたいと思った。





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