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初冬に思う

蒸し暑かった夏が過ぎ、秋になっても暑い日が続いていたと思ったら、あっという間に冬支度…時の流れが速すぎて追いつけない。

 新しい話題が無かった訳ではないけど、何かこう…疲れが抜けないとか、用事が重なってるとか、書きかけでほったらかしなヤツとか、まだ公開されてないものも幾つかあるのですよ…で、先日、書き始めたことが、ふと気が付いたら、いつの間にか「雪囲い」の話題になっているんで、いっそのこと「雪囲い」ネタを一つ書いてしまった方が収まりがいいだろう、ということになりました(笑)

骨組みはこんな感じ


 実家から離れて生活し始めて、けっこうな年数を過ごしているのですが、雪囲い設置の作業は自分が続けてます。
 実家の庭には祖父が植えたと思われる木があって、そっちの雪囲いはそれほど重労働ではないので、母が暇を見て作業してるんです。問題は、季節風の方向に何も遮るものが無いんで、その方向に防雪柵的なものを組む作業なのですな。
 それもなかなかに面倒なので、最近はスチール製の単管パイプなどで通年設置したままにしておいて、冬だけ風除けネットを付けたり、それすら通年付けたままで、劣化してボロボロになったら都度交換という家もあったりするこの頃なのです。

反対方向から

 そもそも断熱性と気密性が高い最近の建築物では、そもそも雪囲いをする必要すら無いのでは?と思ったりもしますな。
 何せ伝統的日本家屋ときたら、やたらと通気性と通風性が良くて、気温高めで湿度の高いところの建築方法をもとに発展してきたようなつくりなんですね。だから夏なんて、全部開けっ放しにしていると冷房要らずで、意外に快適なのです。自然の涼しさというか、爽やかさというか…ね。
 その代わり、冬の時期に強風なんて吹きすさぶ日には冷え込みが厳しいのです。だから周囲に風除けをしないと凍えそうになる(笑)
 実際、昔、日本に来たモンゴルの方が、伝統的日本家屋で一冬過ごしたら体調崩して風邪をひいたという話があるぐらい。ちなみにモンゴルの高原地帯の冷え込みは厳しいのですよ?氷点下当たり前です。ただ湿度が低いんで、カラッとした感じらしいのですが。で、あのモンゴルの伝統的な「ゲル」というテントのような簡易家屋、定住しない遊牧民が組み立てしやすく、解体しやすい造りのアレ、真ん中で火を焚くと、かなり暖かいのだそうです。
 「伝統的日本家屋」は寒い!
 たぶん、ご先祖様たちは、もっと暖かい地域に住んでいた人たちなんでしょうね。だから日本文化は南とか西から広がっていったことは間違いないんですな。北から広がっていったのなら、あんな造りにはならないんです。
 そんなわけで(どんなわけだ?)最近の建築物は断熱性と気密性が高まっていて、冷暖房の無駄を無くす方向になってますね。
 実断熱性と気密性が高く、冬は暖かく夏は涼しい、冷暖房も効率よく効くし、暮らしやすい…なんだ、良いこと尽くめじゃないか…と、ふと考えたりもします。
 ただ、近代建築って基本は「欧風建築」なのです。
 欧州って地図で見るとわかるんですが、かなり高緯度なんですわ。基本「寒い」のです。だから気密性が高くなるのは当たり前なんですね。湿度を逃がすとか、通風性を高めることは、あまり考えてなかったんだと思うのですね。
 では、それが日本の気候風土に合っているかというと、それもまた違うような気もしたり…どこかで落としどころを考えねばならんのよね。
 それについての正解は無いので、自分のライフスタイルに合わせるしかないのでしょう。

 話が脱線してしまった…住宅建築の文化的背景とかエコ住宅の隆盛の是非については、また別の機会にしよう。
 防雪のための雪囲いの話だった。
 これがまた重労働なのです。「長木(ながき)」と呼んでる3~5メートルほどの一本木、たぶん杉の間伐材なのだろうけど、これを使って高さ3メートルほどの柵を組んで行くのだけど、まあこれが大変なのです。
一本一本太さも長さも違うし、真っすぐですらない。上手く組み合わせないと真っすぐにならない上に倒れたりするンす。
 ここ数年は、これを一人で組んでます。まあ年老いた母に重い物を運ばせて、腰抜かされても自分が困ってしまうので…それが原因で要介護者になってしまったら、それこそ自分の首を絞めてしまう。
 小さい頃は全部を長木で組んでいたのですが、横を通る農道が舗装になったころから、一部をスチールの単管パイプで組むようになったんで、その分は楽かな?あの単管も30年ぐらい使ってるかも…うんエコだ(笑)

こんな感じで組んでいきます


 単管パイプで高さを決めて、それを基準に横に伸ばしていって全体を組む、手順としてはそんなもん。
 長木は縄で組んでいくのだけど、この方法、なかなか良いなと思ってます。適度な「逃げ」があるので、あまり材料が痛まないし、強風を受け流すために木材のしなりも活かせるのですね。これをガチガチにしてしまうと、壊れるのも早いのです。うん、構造体の勉強になるなぁ。
 何事もそうだけど、「余裕」と「逃げ」は必要だね。それは無駄じゃないし、弱さじゃない。しなやかな「強さ」なんだな…なんでも発見と学びの対象になる。古いからって駄目なわけではないのよ。
 んでね、なんで一人でやってるかってぇーと、手伝ってもらうと真っすぐにならんのです。以前、母が気を利かせて自分の手の届く範囲の縄を、全部縛ってくれたことがあるんですが、縛り方もゆるゆるで、グラグラするものだから、結局全部解いて、アタシがやり直し…二度手間になってしまったのですね。好意自体は嬉しいんだけど、ありがた迷惑なのです…微妙な感じ、「あーありがとね~でも次からはやんなくていいから…うん」てヤツ、わかります?

二段目から決めていきます


 やり方のわからない人に手伝ってもらっても同じ、下手すると作業を終わらせることを優先したりするから、かなり適当。
入院してて出来なかったときに、金払って組んでもらったことがあるんだけど、春先に解くときにがっかりしたもん。「えぇ~金貰ってこれかよ」みたいな…人件費で時間換算だからねぇ、わかるよー4人でやれば4人分×時間とか、日額×4人分だよね。でも、あれに金払うなら自分でやる。その分、自分の体を休めるのに金使ったほうがいい。「時間を金で買う」ってことなんだけどさ、どうせ払うなら「払う価値がある」って思えるところに払いたいよね。対価をもらうってそういうこと。お金貰って仕事をする人はさ、「この人に頼んで良かった」って思えるような仕事をしてほしいのね。お金をケチって「安かろう悪かろう」みたいなところに金払ってるとさ、全体が落ち込むのよ。「値切る」のは駆け引きだけど、それは相手に損をさせないギリギリを探るゲームであって、相手に損をさせてまで支払いをケチる行為ではないと思うんだな…
 アタシはかなり適当でいい加減で、どうでもいい人間なんだけど、自分が自分のことをやるんならいいのよ、それで納得してるから。だから他人のために何かをするってのは苦手なんです。だって、いい加減なことはできないからですよ。自分の持ってるものを全て注ぎ込んでも、相手が求めるものに及ばないことも多々あるわけで、そんなときに手加減なんぞ出来ませんわ。その折り合いをつけるのが、すごく苦手…というか、やりたくないことなのです。

四段目までやりました

 あらら、結局脱線していまうのね…雪囲いの話に戻そう(笑)
 単管パイプを基準に、長木を縄で縛って組んでいって、風の吹く方向と反対側に斜めの支え、本体にもところどころ斜めに筋交いを入れて骨組みは完了!
 あとは上下に葦簀(よしず)を付け、竹竿で抑えれば完成です。
 ここでの縄の結び方も、通称「男結び」という方法でやるんですが、これが出来ない人も多いらしいです。昔は、農家の方がいろんなシチュエーションで使ってたので、我々の親世代はテキパキやっちゃうんですが、アタシらの世代は、まあ出来る人が少ないですね。アタシは慣れました。正しいかどうかはわかりませんが、いちいち長さを合わせて縄とか紐を切らずに結べるので、かなり重宝します。
 うん、暮らしの知恵だな、これも。
 こういう暮らしの中で伝承していく技、みたいなのも廃れていってるんだなぁと感じるのですよ。
 それを考えると、たかが雪囲いではあるけど、簡単には止められないんだなと思うのです。
 余談ですが、実家の庭にあるツゲの木は、金沢の兼六園でやるみたいに「雪吊り」するんです。これは母がやってるんだけど、本職みたいな仕上がりなのですよ。さすがに年の功だなと感心します。
 この景色が「冬の風物詩」なのだと思うと、やっぱり継承していかなきゃならんのだろうなぁ。
 全国どこに行っても同じような機密住宅だらけで、同じような風景だったら面白くないじゃないですか。
 同じようなショッピングモールに、同じようなチェーン店にコンビニじゃ、街歩きの楽しみも旅行のワクワクも無いですよね?
 「地域に伝承されているものを残す」というのは、今を生きる人たちの務めなんじゃないかと、アタシは思うのです。


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