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ヨハン・ユスト・シューシャルト(Johann Just Schuchart :London. ca.1741-1753))破損したテナージョイントの修復記録 6

修復についてのまとめ(覚書)

リードのお話の前に、まず今回の修復をするにあたってのコンセプト、そして作業を大きく進めるのに役立った「2つの重要な気づき」についてお話します。そのまえにこの楽器についての情報をもう一度まとめておきます

楽器の由来・歴史的背景


・1980年サザビーのオークションに出品されたもの
・堂阪清高氏が落札

・製作年について
シューシャートの製作活動は1741-1754とされるが、以下の資料より1740年より前であった可能性がある
この楽器が使用されたヘンデルのソナタ集のCDブックレットには1730と記載されている

マシュー・ダートの研究論文「バロック・ファゴット:形式、構造、音響、そしてプレーの質」にも記載あり

楽器の状態について

・ウイングジョイント下部は高ピッチ対応のためカットされ、その後元通りに延長してあった
・ウイングジョイントの内径は上部と下部のえぐれがひどく使用不能
・サヴァリーのウイングジョイントを使ってヘンデルのCDなどに使用(*使用ボーカルあり #1)
・その後、サヴァリーのテナージョイントを付けてA=415で使った
・短いボーカルでA=430でも使えた
・サヴァリーを付けたときのバランスは大変良好であった(このセットは何度も吹かせてもらった)(*別のボーカルあり #2)
・現在はサヴァリーのジョイントはかなり傷んでいて使用不能

修復のコンセプト「A=415でコンサートに使用できること」

完全にオリジナルの状態で保存されていた楽器ではなく、師である堂阪清高氏が長年愛用し多くの録音も残している楽器である。
しかし、堂阪氏のヘンデルの録音はサヴァリーのウイングジョイントを使ったもので、その後もサヴァリーのテナージョイントをつけて使っていた。(私が氏と一緒に仕事をしたときもこの状態であった)


・オリジナルの状態を推測し、ボーカル#1,2を使いながら欠損部分と内径・トーンホールの修復を試みる
・当時の想定ピッチはA=400前後と推測するが、実用実績のあるボーカルがあるのでA=415で調整する

最初にオリジナルの楽器に対するアプローチのやり方を示唆している、ポールホワイトの論文が参考になりました。

「アーリーファゴット運指表」 著者:ポール・J・ホワイト
出典ガルパン学会誌、1990年3月号、第43巻(1990年3月)、68-111頁:ガルパン協会

・オリジナルのファゴットで 歴史的に正しい音と反応を再現するには、楽器、ボーカル、そしてそのために設計されたリードが必要。
・オリジナルの奏者のアンブシュア、響き、リードのスタイル、息の支え方のコンセプトを再現することが必要。
・これらの要素のどれかひとつを磨き上げるには、他のすべての要素が安定していなければならない。
・構成要素のどれか1つの歴史的正しさを再発見するためには、それぞれの要素がまず、安定せねばならない。
・オリジナルのリードとボーカルが残っていない
・現存する楽器はその後の時代に変更(改変)された。よって今では技巧と演奏の伝統は失われてしまった。
・多くの不明な点、変数、現代的な先入観のため、初期のファゴットがどこでどのような音色、音程で演奏されたのかというパズルを、どこからつなげていけばいいのかわからない。
・しかし、17世紀半ばから19世紀半ばにかけて出版された約50の運指表が、大きな手がかりである。

このバロックファゴットががほぼオリジナルの状態で残されていたものであれば「その状態で保存する」意義も大きいのでしょうが、残されていたテナージョイントは、この楽器がその後の時代にも長きに渡って使われていたことを示しています。ソケットの反対側、ブーツに差し込む下端はは大胆にカットされており、その後、再度延長されています。つまり制作当初はオリジナルのピッチ(A=420-425)で演奏されていたのでしょうが、高ピッチ時代に対応するために改変、そしてまたピッチを下げる改変がなされているのです。同時にトーンホールや内径にも改変がなされていたはずです。
というわけで、この度の修復は「オリジナルの状態に戻し保存すること」ではなく「現代の演奏ピッチA=415で演奏可能」が目的です。もちろん、オリジナルのボーカルはないのですが、幸いなことに堂阪氏がコピーのジョイントにつけてヘンデルのレコーディングに使用したボーカルをお借りできたので、これに合わせて当時のイギリス流運指で演奏できるようにリードをデザインし、歪んだ内径をブラッシュアップしていく、というアプローチを続けています。

気付き1「レプリカの音」「オリジナルの音」

修復にあたっては、ごく自然にレプリカのジョイントの吹奏感、音程感をお手本としていました。実際それほど完成された素晴らしいコピーなのです、吹きやすいですし、音程も取りやすい。レコーディングの実績もあるから、間違いはない!! と、私はずっと先入観に囚われていました。

しかし修復の途中で試験的にチェンバロと合わせてもらったときのチェンバリスト中田聖子さんの感想が以下のようなものでした。

中田さんのXより一部引用*******
メンテナンス中の18世紀ロンドンのオリジナルのファゴット(Schucher)の音出しに少々協力。
写真の楽器右に一部をレプリカであるときは日本語英語に聴こえていましたが、全てオリジナルにセッティング(写真のセッティング)にすると、突然ジェームスだかジョージだかエドワードが登場してきて驚きました。母音が変わったと感じました。
母音はかなり楽器個体の個性が占める割合が高いのかもしれません。チェンバロもそんな気がします。
引用終わり**************

右側がレプリカのジョイント

このとき「コピーに近づけようとする意識」を捨てることができました。(気づかせてくださった中田さんに感謝です)。

気づき2「ボーカルのピンホール」

現代のバロックファゴット演奏ではボーカルのピンホール(針先のように小さな穴)は必須と言ってもいいでしょうし、レプリカの楽器もピンホールあり、を前提に製作されています。しかし、この楽器の場合どうしても g'がうまく発音できないという問題があり、行き詰まっていました。そこで思い切ってピンホールを閉じたところ g'の問題は解決しました。しかも通常は起こるピンホールを閉じたときの弊害がこの楽器では起こらないのです。ピンホールがいつ頃から採用されたかは以下の論文に記載されています。

「バロック・ファゴット:形式、構造、音響、そしてプレーの質」
マシュー・ダート:ロンドン・メトロポリタン大学 2011年10月

以下引用(機械翻訳)********
当時のオリジナル・クルークのほとんどにはピンホールがなく、1774年以前からピンホールが使われていたことを示す明確な証拠は存在しない。C4からE4までの音符の機能向上は非常に顕著であり、ピンホールなしで演奏することの困難さはどこにでもあるため、この点に関する真正性への懸念は脇に置かれている。最も古い明確な証拠は、1774年に描かれたフェリックス・ライナーの絵である。この絵には、左手の親指で操作するための鍵が、ピンホールを覆うように翼の関節に取り付けられているのが描かれている。
文書による最古の証拠は、ピエール・キュニエの方法にあり、彼はこう述べている:曲がった部分には穴が開いており、その位置は翼の関節の付け根から1センチほど上にあり、そこに曲がった部分が収まっている。この穴は、左手の親指で開閉できるようになっている。<中略> 現在の奏者が穴のない楽器を扱おうとしたときに経験する困難は、使用されているセットアップ(クルークの設計とリードの構造)、そしておそらく(現代の)演奏テクニックの他の側面が、これらの(穴のない)楽器を扱うのにまったく適切でないことを示しているのかもしれない。しかし(あるいは)18世紀の奏者も発見がなされるまで、同じ困難と闘わなければならなかったということかもしれない。言及された2つの資料は、ピンホールが役に立たない音符のためにピンホールを閉じるキーも発明されたほど、(1774年には)ピンホールの使用が確立されていたことを示している。
引用終わり********

この楽器は1730-1750年頃と推定されるので、ボーカルにピンホールはなかったという可能性が高いと考えられます。
実際ピンホールを閉じても C4からE4までの音にさほど困難はなく、逆に懸案だったG4は発音が容易になりました。
恐らくリードがいい状態であること、ボーカルの形状、テナーの内径が直線的なテーパーではないことが作用しているものと推察します。

この2つの気づきで停滞していた修復が一気に進みました。
いよいよ次回はリードについてのお話です。

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