Triste(寂しい、悲しそうに、嘆き)

2021-08-03 13:16:44
テーマ:ブログ








Telemann Bassoon Sonata in F minor TWV 41

この曲はファゴット奏者にとってはバロック期のソロソナタの定番であり、私もリサイタルで演奏、その後はバロックファゴットでも演奏したことがあるのですが、自分にとっては「しっくりいかない」作品でずっと遠ざけていました。得体の知れない違和感を感じているのです。また、冒頭に「Triste(寂しい、悲しそうに、嘆き)」と記されています。これがなかなかの曲者で、この表記をどう表現するかが問題で、変に抑揚をつけると主観的でグロテスクになってしまう恐れもある曲です。

さて昨年、あるアンサンブルの練習の際に、チェンバリストの中田聖子さんが「この部分の和音が変?? でも普段、自宅の楽器で使用している ミーントーン系の調律法でさらっていると、変だとは全く思わないんですよね」と、そのときにこのソナタもミーントーン(中全音律)が合うのかもと考えました。この仮説を証明しようと彼女にお願いして演奏実験を行いました。平均律とミーントーンでのセッションです。ファゴット現代奏法の第一人者、中川 ヒデ鷹氏(東京音大講師)、妻でありトランペット奏者の池田 有加、そして私が参加しました。

(このときの実験について書いている中田聖子さんのメルマガPDFです↓
https://drive.google.com/file/d/13Vv2sfyAiEWyAND6sLDSq-CsisZhiyCG/view?usp=sharing
中田さんのご好意でリンクを貼らせていただいていますよろしければご覧ください)


平均律で中川氏が演奏
中川氏はこの作品をことのほか大切にしており、度々演奏しているので、さすがに第一級の完成されたセッションでした。しかし、中川氏が曰く「表現の行き詰まりを感じている」とのこと。おそらくこの感覚は私自身の「しっくりこない」感覚とおなじだと思いました。それは平均律調律での演奏ではなかなか解消されませんでした。
次に、ミーントーンに調律を変えて、再び中川氏のセッション。実際に聴いていてもとてもいい感じ、感覚的ないい方ですが、使える色が増えて、深い表現ができた演奏でした。セッション後の中川氏コメントは 「何も考えなくても演奏が出来る状態になった」「シンプルに吹いても、勝手に表現が起こる」ということでした。そのまま次に演奏した、e-mollのガンバソナタの1楽章も、その言葉通りの素晴らしい演奏になりました。

その後、私がバソンで、最後に有加がトランペットでそれぞれセッションをしたのですが、まさに中川氏のいう通りでした。また、トランペットによる演奏(有加にとっては音大受験曲)はフレーズによっては、音色ののびやかさによってファゴットよりいい感じ(中川氏/私)になることもわかりました。

その後、中田さんからミーントーン調律で動画撮影の依頼があり、私のバソンで2回目のセッションを動画にしました、近々にご紹介できると思います。

2回のセッションのまとめ

お話しする前の前提として(鍵盤楽器との演奏について)

これは、鍵盤楽器とソロ曲を演奏するときの考え方もあるのですが、ピアノであれチェンバロでもオルガンでも私はいわゆる「伴奏とソロ」という発想でピアノの蓋を閉めたり、チェンバロの音を大きな音で塗りつぶしてしまうような演奏は好みません。基本は常に対等であり、自分は和音の中を漂っていて、ときに沈んだり、浮かんだりして音楽を表現したいからです。以下はこのことを前提としてお話させていただきます。

結果はやはりミーントーン(modify)で演奏するのが私にとっては正解でした。とにかく全ての音がとてもしっくりと収まります。だから意図的なことを何もしなくてもチェンバロの紡ぎ出す色合いに乗っかって吹くことで自然に音楽表現が意図されたようになっていくのです。Tristeという指示は演奏者が特に意識しなくても、和声の変化、色彩と旋律を演奏するときの音程感だけで十分に表現できると思います。

このときは、ヴァロッティ調律でも演奏しました。この調律法はバロック音楽を演奏するときに、よく使われており古典調律の中でも比較的平均律に近い調律法でどの調性でも対応可能ですが、ヴァロッティで演奏してみた感想は「あれ?」「これは普通だよね」でした。
吹いている感覚としては、かなりいろいろ無理して吹く感じです。結果は決して悪くはないのですが「整っているけど、色や味が薄い」という印象でした。まさに「表現の行き詰まり??」(あくまで好みの問題ですが)

以下、実験を通じて発見した演奏上のヒントなどを書いてみます。(ここからはかなり独断です)

冒頭の3連音符は「なにもできない」「なにもしない」「やるなら最小限」がいいと思います。開始のcは裏拍でアウフタクトなので軽く、ここを情感たっぷりに演奏してしまうと、全体の味付けがゴツくなりがち。3連音符が続くパッセージはこの曲では2箇所で3連音符自体「イレギュラー」な存在です。なのでことさら強調する必要はありません。私は独断で6連音符のように扱います。(コンクールではアウトかも。。)

9〜11小節目にかけてはc、dを経てebにたどりつき収まる、同様に28〜30小節めのfまで(この f で音楽を収めてすぐに次のcからはじまる半音階の下降に移行します)

この楽章で私が最も好きなのは21〜24小節目のフレーズです。特に「b♭」「c」は小節線を超えた瞬間に濁りのなかに入ります、埋没するもよし、強調するもよし、この楽章で一番美しい響きだと思います。ミーントーンの良さを一番感じやすいのもこの部分です。このような場所はファゴットでの演奏は伸びやかさに欠けるので、工夫がいりますがミーントーン&トランペットによる演奏はより美しく響きます。

この楽章で特徴的なのがソロとバス(チェンバロの左手)に現れて受け継がれる半音階進行です。途中では上昇と最後には長い下降。この部分はチェンバロの響きの中に漂うように交互にあらわれる半音進行を楽しんでください。特にd♭の入りはデリケートに。

長い間、遠ざけていた作品ですが、ミーントーンでならば自分のレパートリーに入ります。機会があれば、コンサートでもう一度取り上げてみようと思っています。

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