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惜街

40数年前のロンドンは、どこもかしこも薄汚れていた。空も空気も街全体も、どんよりとよどんでいる。
入る質素な構えの食堂やレストランも、ことごとくまずくて、高い。
スパゲティ・ミートソースが当時で1,500円前後、適量な塩を加えていないのか、すかすかの味しかしない。
失敗しそうにないこうした軽食でさえダメなのだから、他は推して知るべしである。1週間、何を食べていたのかほとんど記憶がないが、「おいしい」思い出はゼロである。

それでもロンドンに悪いイメージがないのは、僕自身が小汚い格好のアジアの学生で、衛生面に無頓着だったこと。なにより毎日通ったロイヤル・アルバート・ホールでの、BBCプロムスが最高だったことによる。
学割の天井桟敷だと、たとえばブレンデルの弾くモーツァルト27番が、600円で聴けてしまう。イギリスの5大オーケストラが日替わり出演だし、ウィーン・フィルが2,000円しないのだ。
これだけ手厚い補助金突っ込んでいれば、そら、国も傾くわな。
数年前にサッチャー政権が誕生し、文化事業にもメスが入ってきていた時代だ。それをマイナスに報道するメディアも少なくなかったが、音楽好きにとってまだまだ、天国のような場所に違いなかった。
「終わっている」のにやたら活気にあふれているという矛盾の地が、当時のロンドンの印象だ。

岐阜駅周辺の商店街を歩けば、不衛生な場所は路地裏に至るまで皆無である。建物自体が朽ちていく過程にあって、寒々しさを感じたりはしても、スラムという印象はまるでない。大通りでは年端も行かない幼女が一人で歩道を行き来しているのに出くわし、治安の良さを感じさせる。
不思議な光景と、言えるかもしれない。ひと気はどんどんなくなっていくのに、隅々まで行き届いた管理は維持されているのだ。

たとえば「岐阜繊維問屋街」。東京ドームとほぼ同じ規模の土地に、東西南北、網の目のように既製服きせいふくの問屋が軒を連ねる。
1丁目、2丁目とアーチが設置され、それぞれがアーケードになっている。繊維問屋街と言いながら、実際は既製服を取り扱っていたそうだ。

どの通りを歩いても、開いている店がなければ人の気配もほとんどない。商店街やビル内の通路がアーチ状の屋根でおおわれている分、閉ざされた広い空間にシャッターを閉ざした店が連なっている景観は、ひと口で表しがたい異空間だ。実相寺監督がメガホンをとった、ウルトラセブンの世界観に近い。

柳ケ瀬商店街を巡るうち、そそられる映画館を見つけた。
全国でも唯一無二の、35ミリフィルムを常設上映している専門映画館「岐阜ロイヤル劇場」である。入場料金600円均一、いい料金設定だ。
この日の上映は、1967年1月14日初公開『惜春せきしゅん』。平岩弓枝の原作を「紀ノ川」の中村登が脚色・監督した文芸もので、主演が新珠三千代、香山美子、加賀まりこ、平幹二朗らが脇を固める。

いいじゃないか。4月からは増村保造監督特集だって。
ますますいいじゃないか。こんな劇場あったら、お得な10枚セット券買って通っちゃうぞ。
すでに最終上映時間が過ぎていて入れなかったが、シャッター街にこういう施設、似合っているし需要もあるんじゃない?

出掛ける時間になった。今回のネタはこんなところで。

イラスト hanami🛸|ω・)و

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