誰にも話したがらなかった「フレディ・マーキュリーの少年時代」
本日2月14日は、8歳のフレディ・マーキュリーがインドの学校に入学した日です。この日から約10年間、両親のもとを離れ一人きり寄宿舎生活を送ることになるんですよね。
生まれはアフリカのザンジバル
フレディ・マーキュリーというとイギリス人というイメージですよね。しかしフレディがイギリスにやってきたのは17歳の頃なんです。
フレディが生まれたのはアフリカのザンジバルで、8歳から16歳まではインドの寄宿舎で過ごし、17歳でイギリスへ移り住むのです。
何故遠く離れたインドへ?という疑問については、当時の複雑な世界情勢と一家の宗教が影響しているんですよね。
フレディは、ゾロアスター教の両親のもとに生まれたんですけど、ゾロアスター教はもともとインドを拠点に居住していた人達なのだそうです。
フレディの両親はイギリス植民地時代のインドで生まれています。なので両親の国籍は、ブリティッシュ・インディアンだったんです。
父親の仕事の関係で、アフリカのザンジバルへ移り住んだ一家ですが、このイギリス国籍をたよりに後にイギリスへ移住することになるんですよね。
ただややこしいのが、一家はインド人ではなくて、ルーツはペルシャ人なのだそうです。
両親の決断
ザンジバルで子育て中の両親は、フレディにはきちんとした教育を受けさせたいと考えていました。
というのも、アフリカではゾロアスター教は迫害を受けることもままならず、決して居心地の良い場所ではなかったんですよね。
息子をインドにある英国系の厳しい学校に入れて、良質の教育を受けさせることが最良の選択だと思ったわけなんですよね。
ザンジバルからインドまでは船で数日かかる長旅の上、更に列車で数時間かけて学校のある街へたどり着いたそうです。
弱冠8歳の少年が、両親のもとを離れ宿舎生活を送るわけです。
フレディはとても繊細で寂しがりやな気質であったため、毎日泣きながら眠りについていたそうです。
唯一の長期休暇である夏休みでさえ、遠く離れたザンジバルにはそうそう帰れず、近くに住む親戚の家に身を寄せるといった生活だったらしいんですよね。
両親との手紙のやり取りはあったものの、寂しくても電話すらできなかったそうです。
両親が良かれと思って送り出したこのインドへの入学は、フレディにとっては最悪だったんですよね。
両親との関係
フレディは両親をとても大切にしていましたし、最後まで良好な親子関係を築いていましたが、心の奥底では幼少期の愛情不足を恨んでいたという記述もあります。
インタビューで、
"インドでの生活があったから、なんでも一人でできるようになったんだ"
"人よりも早く大人になったんだ"
と話す一方で、親しい人には"両親に捨てられた"という感情を漏らしていたそうです。インドでの少年時代の話は仲間内ではタブーだったそうです。
ここで、もしやフレディの両親って今で言う「毒親」なんじゃないの、と頭をよぎるんですけど、公務員の父親はとても真面目で温厚。母親も愛情深い穏やかな人だったんですよね。
フレディがQUEENで大成功して、富を得た際に両親に新しいマンションをプレゼントしようと提案しても、両親は質素な生活を希望して頑なに断り続け、ずっと今まで通りの小さなマンションで暮らしていたそうです。
そんな両親だったので、幼い頃は寂しい思いをしたフレディも、両親の苦渋の決断の背景を汲み取っていたのではないでしょうか。
フレディが両親を大切にしていたエピソードとして、ツアーに出ると必ず葉書を送っていたこと。
また、家に両親が遊びに来るとなると、テーブルセットからお花の位置まで何もかも完璧に配置しないと気が済まず、同居人たちは大変だったそうです。
両親の前では礼儀正しく優しい息子だったんですよね。
最後に
フレディは母親の手作りのクッキーが大好きで、両親の家を訪問するといつもクッキーを持ち帰っていたそうなんですよね。
晩年のフレディを追い回していたマスコミが最後に撮った写真には、母親から渡されたクッキーを大事に抱えたフレディが写っていました。
幼かったフレディも母親のクッキーを味わいながら成長したかったんだろうな、と思うと少し切なくなります。
バレンタインデーに、こんな記事を書いてほろ苦い気持ちになってしまったフレディファンなのでした。