見出し画像

自分のことについてとZARD坂井泉水さんへの想い

〈放任と放置〉睦(ぼく)にとって父親はもうその辺にいるただのおいちゃんになってしまいました それは何故かと言うと話しを睦のおさない頃(物心・自我がついた頃)にさかのぼらないと説明できないのでしばらくの間お時間をいただきます 睦の自我がついたのは三歳か三歳半だったとハッキリ覚えてます その頃の睦は伯父やいとこのお兄さんやお姉さんの家でいっしょに暮らしていて今振りかえってみれば家族としてのぬくもりやあたたかさを感じられて心をかくさないで居られた大切な時間でした でもその頃から睦はどうしようもない眠たさやその頃は知らなかったデェジャヴやむなしさと言って良いかわからない感覚に悩まされていました それでも睦はボンヤリとそんな暮らしが続くのだと思ってました

そんな暮らしがおわりを告げたのは睦が五歳ぐらいの時でした 父と伯父がどうゆう話し合いをしたかわかりませんが睦は父の家で父と兄達と暮らすことになりました その出来事は睦にとってとてもショックの大きい事でしたけど仕方ないことだと幼心に言いきかせて自分をおさえこみました 思えばこの頃から自分を押し殺すように心を(本当の自分)かくすようになっていきました 睦が父達の家に初めて足をふみ入れて目にした光景は今でもハッキリ覚えていてその印象は「汚ない、掃除されてない、荒れている」の言葉で言い現わすしかないくらい衝撃的でした それからの暮らしは睦に我慢というものをしすぎるほどしてしまうものとなっていきました 父達と暮らし始めた最初の頃は我慢せず泣いてたけど父に「泣くな」と言われから泣く事もガマンするようになりました 父達との暮らしは睦にとってはとても貧しくツライもので感情をムリヤリ抑えこむものでとてもたえがたいものでした 今になって思えば睦が父に求めてたものはコトバと放任主義ならシッカリとどっからどこまでここからここまで任せると任せて欲しかった それなのに父が睦にしたことはコトバもなければ任せることもない放置でした それがひどくなったのは睦が高校を中退してからでした それからの睦は心を許せるはずの家族にも本当の自分をみせることもなくまるで赤の他人と接っするようになっていきました 家族に対してもそうだったから本当の他人に対しても同じようにいやそれ以上に自分をかくして接っするようにできるだけふれあわないように距離を置くようになっていきました そのせいもあって睦はおさない頃から本の世界に救いを求めるように問題を解決するための何かを探すようになっていきました 高校を中退してからの暮らしは徐々にそれまで以上にとてもツラク苦しくひもじくたえがたいものになっていきました 特に父が家から去り兄達と三人で暮らすようになってからより一層睦の暮らしはキビしいものとなりその頃からお金に困るようになり父からもらってためていたお金を元手にして「本、CD、DVD」などを安く手に入れて高く売ってはその利益を元手にして安く買っては高く売っての文字通りの自転車操業の状況が祖父が亡くなり睦が精神科に長期入院するまで続きました

そして睦がそんなツラクて苦しくてとてもたえがたい状況をガマンし続ける事ができたのはZARD坂井泉水さんの歌との出逢いがあったからです 代表曲「負けないで」がでた1993年あたりから睦は坂井さんの歌と声にずっと助けられ救われて来ました言わば心の支えにしていました 貧しかったからファンクラブには入会できなかったけど今でも睦は心の中では血はつながってないけど坂井さんのことをずっと本当のお姉さまのようにしたっています ファンクラブに入会しているファンの皆さまにはかってにそう言う風にしたうなんてしかられるかもしれません それでも睦はZARD坂井泉水さんのことをお姉さまとお呼びしたいです ZARDファンの皆さまどうかこんな睦をお許し下さい そしてお許し下さるのならどうか睦をZARDファンの皆さまの仲間に入れて下さい お願いします。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?