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濃厚すぎる リンチ版『DUNE 砂の惑星』

はじめに

先日、デイヴィッド・リンチの『DUNE 砂の惑星』(以下 リンチ版)をサブスクで観た。これが結構面白かったので軽く感想を書きたい。


事前知識

自分が初めて『DUNE 砂の惑星』を観たのは2021年に公開されたドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の映画(以下 ヴィルヌーヴ版)である。予告を映画館で観たときからとんでもない映画が公開されると楽しみにしていた。観てみると期待以上で、その映像美から設定まで衝撃を受けた。わざわざ池袋のグランドシネマサンシャインの日本最大級のIMAXシアターに2回目を観に行ったほどである。

ヴィルヌーヴ版の続編が2023年内公開予定ということで、古い方も観ておきたいと思った。なお、この記事を書いている時点で公開は2024年1月に延期されたようだ。

デイヴィッド・リンチの『DUNE 砂の惑星』

ストーリー

まず感じたのは展開の速さだ。次々と場面が変わっていき、ダイジェストのようになっている。モノローグを多用しているが専門用語も多く初見では理解が難しいだろう。幸い自分はヴィルヌーヴ版の知識があったため、すんなり理解できた。大筋はほとんど同じである。だが、リンチ版では上映時間はヴィルヌーヴ版より短いのにも関わらず、もっと先まで話が進む。具体的にはポール・アトレイデスがフレメンの王になり、サンドワームを従えハルコンネン家に復讐するところまで描かれる。


計算された気色の悪さ

ハルコンネン男爵やギルドのトップなどはかなり気色が悪い。男爵が浮遊するのはヴィルヌーヴ版でもあったが、こちらは汚らしいスーツでプカプカするといった感じでより異質なものになっている。これがただ不快なものや下品な笑いにならず、むしろ異質さとして作品のSF的世界観を際立たせているのは、監督の技量にほかならないだろう。舞台のセットから人物の配置、小道具の一つ一つまで、こだわり抜かれた美学のようなものを感じた。とはいっても、何回か笑ってしまう場面はあったが。


ヴィルヌーヴ版との比較

ドキュメンタリーと成長譚

ヴィルヌーヴ版は主人公ポール・アトレイデスを中心にした成長譚として、繰り返し夢を観たり、声を習得したりして、最後の決闘を経て覚醒するというわかりやすい作りをしていた。

それに対しリンチ版はまるでドキュメンタリーを見ているようだった。確かにポールにスポットは当たるが、いつの間にか強くなっているというような感じで、その成長課程の葛藤などに重きは置かれていないようだった。自分はどちらかと言うと砂の惑星アラキスを巡る争いのドキュメンタリーのようだと思った。


映像

ヴィルヌーヴ版は黒や灰色を多用し、色数を減らすことで重みのある映像になっていた。建物の中も物が少ないシンプルな構造が多かったと思う。それによってもたらされる映像の迫力は凄まじく、IMAXでの視聴経験は忘れられないものになった。

一方リンチ版では、セットや小道具に凝っていてより派手な印象を受ける。空間的にも狭く閉鎖的なシーンが多く、こだわり抜いて作られた世界観を感じた。全体的に作り込まれていて、ヴィルヌーヴ版での悪く言えば冗長さのようなものはなく、退屈しなかった。


最後に

今回比較してみて、同じ原作でも造り手によってこんなに違うものができるのかと感心した。技術の進歩もありフェアではないが、自分は総合的にはヴィルヌーヴ版のほうが好きだと感じた。パート2が改めて楽しみになったし、原作も読んでみたくなった。


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