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~第1章~私とは(幼少期から高校卒業するまで)

1994年福岡県で教員をしている堅い公務員の両親のもとに生まれました。
母方の実家は有明海に囲まれた歴史のあるお寺。

高校生まで
ボンボンとまでは言いませんが比較的裕福な家庭で、健全な不良として育っていきます。

実家の納骨堂

小学生のとき、
のめりこんだのはバスケットボール。
県大会優勝まで勝ち上がることができました。

スラムダンク世代からちょっとすぎていた私ですが、なぜバスケットボールにはまったかというと・・・

『人に誘われてはまるタイプ』だったからです。

きっかけは些細なことで『友達に誘われた』
単純な動機でバスケットボールを体験したのですが、少し運動神経がよかったばかりに初めてなのにシュートがうまく決まりうれしかった記憶があります。

軽い気持ちで始めた私ですがチームではバスケがうまい方でした。
『孝秋くん、ばりうまいやん』

チヤホヤされる快感がなんとも言えず私はどんどんバスケットボールにのめり込んでいったのです。

毎日つらい練習でも試合に勝つ快感がたまらず、勉強もせずにバスケばかりしていた小学校時代でした。
私はチームの中心人物として活躍し、達成したものは、『県大会優勝』

その経験が忘れられなかった私は、中学校に進学してもバスケットボールを選び入部することになります。

私たちは優勝チームみんなで進学した中学校のバスケットボール部に入部しました。
しかし、私の夢見たバスケットボールの華やかな世界はそこにはありませんでした。

(過去の成績に嫉妬したのかしてなかったのかはわかりませんが、)顧問の先生は理不尽な人で、暴力的に私たちを痛めつけたのです。
(いまで言う体罰です…)

私たちは自分に自信を持っていたこともあり、顧問のやり方には納得できず、次第に真面目にやるのがばからしいとなっていき反発し始めました。

気付けば部員の多くは不良の道へ

ヤンチャ時代

健全なバスケットボール部員だった僕らですが
煙草を吸い、髪の毛をおしゃれに遊び、乱れた生活になっていきました。
もはや、理不尽な顧問のバスケ部に戻る気はなくなってしまったのでした。

私はのめり込みやすい性格も手伝ってか
不良の道もどんどんどんどんのめり込んでいったのです。

私の親は公務員。真面目で堅物揃い。
由緒あるお寺の孫の私。

さぞかし親も期待していたことと思うのに、親の期待とは裏腹に全く正反対の方向に私はのめり込んでいったのでした。

華やかに活躍した小学校での私をイメージしていた両親は、私が中学校でも健全に活躍することを夢見ていたことと思います。
親との関係はどんどん冷めていったのでした。

そんな3年間がすぎ
高校進学をするのですが高校では再びスポーツをやることを決意することとなります。

中学時代、不良の道にはまり込んだ私は勉強を全くしなかったため、私が選んだのは工業高校でした。

高校時代

進学した工業高校にはバスケットボール部があり、強豪といわれたチームの優秀な選手が集まってました。

私の心には、小学校時代の華やかなバスケットボールに打ち込んだ日々が思い出され、『スポーツで再び成り上がりたい』という思いが沸々とわいてきました。

このチームなら
『もう一度失ったものが手に入る!』
『夢を叶えられる!』

わくわくした気持ちが抑えきれなくなったのです。
私はもう一度、もう一度だけ、バスケットボールに参加することを決意しました。

(先にも書きましたが、小学校の頃のあの華やかな世界、チヤホヤされる世界が忘れられなかったのだと思います)

【私はチヤホヤされたいのです。(笑)】

高校での3年間ではバスケットにのめり込み、自分なりに頑張ったつもりではありました。しかし、納得する結果を得ることができなかったのです。

最終的に県大会もベスト16止まりでした。
私は不完全燃焼でバスケットボール人生を終えることになったのです。

今振り返ってみると、私は小学校から高校卒業までに『栄光と挫折』という、人生の光と影のようなものをすでに体験していたのかもしれません。

バスケ部時代

高校生活で言えるのは、
私はチヤホヤされるというあの華やかな世界が忘れられなかったということ。『栄光への執着心』これだけは確信しています。

工業高校のため引退後はすぐに就職活動に励みました。
就職活動の過程で受けた国家公務員試験。
みごと合格してしまった私はみんなに羨ましがられました。
(工業高校から企業への就職だけでなく、わりと国家公務員という選択をする生徒も多かったのです。)

お堅い私の両親はさぞかし喜んだはずなのですが、
私はまたもやらかしてしまいます。

せっかく受かった国家公務員試験。
でも就職先は関東甲信越地方であったため、福岡県内の市役所に行きたかった私は、その国家公務員の就職を蹴って、専門学校に進学するという親不孝をやらかしたのです。(笑)

国家公務員が嫌だった理由は非常に単純な理由でした。
実は国家公務員というのは、特定の地域で一生そのエリアを転々としないといけない、つまり転勤する可能性があったのです。

(転勤をしたくない・・・)

私はたったそれだけの理由で国家公務員を蹴ってわざわざ専門学校に行き、翌年、倍率14倍の狭き門をくぐり念願の福岡市役所で勤めることができました。

のめり込むとやり切る私は目標達成する男だったのです。

社会人1年目

振り返ると
その時、両親がなにも言わずに専門学校に行かせてくれたことに感謝しています。
『親としては関東に行かせたくなかったのかな?』と、ちょっとだけ思います。
(できたら近くにいてほしいという思いがあったのかもしれない・・・)
もしかしたら、私はこそっと愛されているのかもしれませんwww

続いて第2章を読む

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プロローグ
~第1章~私とは(幼少期から高校卒業するまで)
~第2章~公務員のスタートと退職、アムウェイとの出会い
~第3章~アムウェイビジネスの本格的なスタート
~第4章~ネットワークビジネス後の私

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