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~第2章~公務員のスタートと退職、アムウェイとの出会い

公務員生活がはじまり
中学校から専門学校時代まで好き勝手やって少し冷めた親との関係もよくなり仕事も家族も順調でした。

あまり自己表現してくれない親でしたので、私を褒めた事もあまりなかったのですが、きっと喜んでいたと思います。
(だってうちの両親は二人とも堅い堅い職業の教員ですから。)

教員の息子が不良から転身し更生。
市役所で転勤のないところで勤務し家の近くにずっといるなんて、喜ぶに決まっているでしょ!
ちょっとだけ私も親孝行できたかなと喜びました。

(褒められて期待されて、おー!!この感覚この感覚!!)

小学校のころチヤホヤされてスターになって気持ちよかったあの感覚を、公務員という一見地味な仕事の中で叶えたのです。
そんな経歴の私に、上司はすごく期待してくれて仕事を教えてくれました。「お前がきてくれて、助かっている」
「お前がほかのところに行ったら困る、ずっと俺のところにいてくれ」と
いつもほめてくれました。
楽しくてしょうがない、そんな毎日をすごし頑張りました。

「まだ10代なのに仕事頑張って偉いね」
「頼りになるから次の当番もよろしくね」

上司からそういわれる度に、私は心の中でガッツポーズをしていました。

そうそう、

【俺が求めてたのはこの感覚。。。。。】

小学校の時に活躍してみんなにチヤホヤされたこの感覚がほしかったのです。
こうして、上司に褒められて仕事も楽しくて最高の公務員生活を送っていました。

そんな幸せな僕の人生。
公務員生活11か月目、転機が訪れることとなります。

クラブ

同僚の誕生日会をした後に、ナイトクラブにみんなで行った時のことです。
そこで3年ぶりに高校の先輩に再会しました。

その日はお互い別の友人と過ごしていたので連絡先を久しぶりに交換しておわったのですが、5日後に先輩から『ピロンッ』とLINEがきたのです。
そこに書かれていたのはこんな言葉でした。

「ご飯食べに行かない?」

高校の先輩に再会しただけでも嬉しいのに、先輩から誘ってもらってさらに嬉しいと感じました。
その先輩とは決して仲良くはなかったのに、誘ってくれて、単純に嬉しかったのです。
なんか、仲良くなくても大人になったら仲良くなるのかなと思っていました。

当時の私はネットワークビジネスのことは知らなかったし、まさか自分が勧誘されるなんて思いもよりませんでした。
私も今ならわかりますが、知る由もありません。先輩の誘いに喜んでほいほいとついていったのです。(笑)
(今でこそこれは、よくあるパターンなのですが、私は知らなかった。)
それだけでなくそれは法律違反だと知ることになるとは、その時は夢にも思いませんでした。

ネットワークビジネスをされている皆さん、
このような勧誘方法は【ブラインド勧誘】として禁止されています。
ネットワークビジネスにおいて勧誘する場合は、三大告知義務(身分の提示、目的の提示、商品(役務)の種類)が必要です。
場所・時間・説明の仕方も決まっています。

さて、
誘われた場所は九州で1番の繁華街天神にある飲食店の『赤から』。辛旨な味噌のスープでつくったもつ鍋で、安くてこれがまた美味いのです。

赤からでアムウェイを伝えられた時の写真

自分で呼び出しておいて、ごはんを食べながら緊張で何も喋らない先輩がいました。(ド緊張(笑))

何か言いたそうで何も言わない先輩に、しびれを切らした私は尋ねました。「何かビジネスの話ですか?」

私は直感で思ったのです。
(何かを誘いたいのかな?仕事の話なのかな?)と。

先輩から返ってきたのは「アムウェイって知っている?」
初めて聞く言葉でした。

アムウェイがなんなのか、ビジネスであることだけは教えてもらいましたが、その時はまったくわからず興味もなかった私でした。
しかし次の日、義理で話を聞いてみることにします。

連れていかれたのは博多駅近くのマンションでした。

マンションの一室でさらに奥の部屋に連れていかれた私。
椅子に座るといきなり『パブロとブルーノの物語』を見せられたのですwww
皆さんはご存知ですか?パブロとブルーノの話。
これです。↓
https://youtu.be/ukd8YUKvqcA

簡単にいうと権利収入の方がいいでしょ!と言う話なのですが
その当時は全く理解できず
「パイプラインを作る仕事ですか」と、とんちんかんなことを尋ねていました。
返答は「そんな感じ」とびっくりするような、誤魔化した返答でした。
(今思い出したら笑えてきますwww)

その後はマーケティングプランを聞き、デモンストレーションが始まりました。洗剤のデモです。 
アムウェイの洗剤とスーパーの洗剤が並べられていて、油を垂らした上にそれぞれの洗剤を垂らしました。すると、アムウェイの方はスパッと流れて、スーパーの洗剤は油が残ったままだったのです。

(20歳の私はシンプルにすごいと感じました。)

その瞬間、ドアから30代半ばのお姉さんが入ってきました。
そのお姉さんは私にこう話しかけてきました。

「すごいでしょ」

急な問いかけに戸惑いながらも反射的に
「すごいで…す。」と、
たどたどしい言葉で答えたのを覚えています。

気付けばアムウェイ会員に囲まれており、まくしたてられていくうちに、気付けば(私も稼げるかも)とわくわくした気持ちになっていったのを今でも覚えています。

夢を叶える権利収入になって仲間と一緒に悠々自適な生活が送れるのだと、わくわくが止まらなかった私は会員になることを決意します。
(私はその時もまだ、華やかな世界に憧れていたのです。)

そう、あの小学校の時の気持ちが忘れられなかったのです。

私も成功する!と思ってスタートしたらアップから
「収入をとるためのオーナー感覚が必要だから揃えようね」といわれた私。それは当然だろうと思いました。

しかし用意された製品の金額を見た時、少しだけびっくりしました。
なんとそれは約53万円もしたのです。
(当時の給料の3カ月分です・・・)

届いて初めて練習で作ったカレー


少し躊躇しましたが、(これくらいで成功できるのなら・・・)と思い込んだ私は素直にクレジットカードで発注したのでした。

※『マンションの一室でスポンサリングを行う』
(これ、法律違反です。公衆の出入り自由な場所でしか勧誘はできません。
身分の提示、目的の提示、場所・時間・説明の仕方まで、特商法という法律によって決められていますので注意が必要です。)

その当時はこのやり方が定番だったのかもしれません。
いや、いまでもみんなやっているのではないでしょうか?
(こういった勧誘方法が問題でご存知な方も多いと思いますが、逮捕者がでてアムウェイは行政処分になってしまったのですが・・・。)

スタート当初

私は初日から睡眠時間を削って爆速で活動することを決めました。

のめり込んだらとことんやる性格が染みついている私ですから
地元の親友、親、親戚、職場の同期全員に連絡を取り、仕事終わりに20時から25時まで毎日休むことなくビジネス活動をスタート。

基本は会って伝えるというやり方で
親しい人にはスピードを重視して電話で伝えてみたりしました。

『Bゾーンの人たちには、就業後に会ってお茶とか食事をしながら伝えていく』
という教わった通りのやり方。
(親しくない人はアムウェイではBゾーンと言われてました。)

このとき、素直だった私は教わった通り動いてみました。
これがビジネスにおいて経費として赤字を積み上げていくやり方だと気づくのはまだ先のことです。
加えて、今だからわかることですが、社会問題にもなったアムウェイの行政処分にもあるように、法律違反と明確になっている『ブラインド勧誘』といわれるやり方でした。

アポイントのないときもほぼ毎日、休むことなくビジネス活動。
その内容はというと、ミーティング、商品の実験や説明(デモの練習)、アップラインとの打ち合わせなど、私は生活のすべてをビジネス活動に全力で費やしていったのです。

その甲斐あってか、たった2ヵ月で直紹介を25人ほど出すことが出来ました。がむしゃらにやりきった私は、売上でいうと220万を達成し、なんと当時もらっていた公務員の給料をはるか超える36万円のボーナスと最初にみんなが目指すSPというタイトルを獲ることができたのです。

スタート2ヶ月目


若さを活かした体力と行動力、そして、あまり内容をわかっていなかったから何も考えずに走り切れたのもよかったのかもしれません。

のちに勉強したのですが

お金は
『使ったら取り返したい』
という人間の心理が働く

こういうのをサンクコストというそうです。
その時は何もわからなかったのですが、サンクコストの効果がうまく走った結果だと思います。

2カ月でタイトルと収入を得た私でしたが
この成果に喜ぶ間もなく、事件が起こりました。
(実はタイトルが確定する3日前にその事件は起きていたのです。)

いつも通り出勤した朝、上司に呼び出されました。

私の顔をみるなり上司の放った言葉は
「公務員がやってはいけないことは何かわかりますか?」

その言葉から、社内で私がアムウェイ活動をやっているという噂が広まって、上司の耳まで届いていたのは明白でした。

(もうばれている…)と確信した私は、その質問に対して

「副業ですか?」
と正直に答えました。

「そう副業です。何かやっていることは知っているけど何のビジネスやっているの?」

「アムウェイです」
(当時、アムウェイビジネスに確信を持っていたので即答で答えました。)

期待していつも褒めてくれていた上司が一変し、
笑顔もなく淡々と私に質問をしてきました。

最後には、『アムウェイの解約』か『公務員をやめるか』
の2択を迫られたのです。

『私が成功するには、アムウェイしかない!』
権利収入を取って仲間をつくり、自由なライフスタイルを送るためには。
あの小学校時代の華やかな生活をもう一度体感するためにも・・・。

そんな確信を持っていた私ですが、さらにアムウェイのアップラインからの『辞めて、1本で頑張ればいいじゃない』
というアドバイスに背中を押され
『公務員を退職するしかない!』と、
公務員をやめることを決断しました。

しかし、上司には本当のことを言えませんでした。
何か問題があるかもしれないと思った私はとっさに、「アムウェイを解約し祖父のお寺を継ぐので退職します」と嘘をついたのです。

アムウェイもやめ、公務員もやめお寺を継ぐという意味不明な嘘をついて退職することが決まり、副業発覚2カ月後退職することとなります。

退職日が決まったのち、上司は
「親に退職することを話しておきなさい」
と言ってきました。
(上司はすべてをわかっていたのでしょう。)

私がアムウェイに洗脳されているのに、アムウェイをやめるわけがない、お寺も嘘だと、全てお見通しだったに違いありません。
(そんなことはお見通しだったことも気付かない当時の私は「親にも伝えた」と上司に嘘をつき、退職する日を待っていたのです。)

さらなる事件がこのあと起こることとなります。
退職日当日のことです。
前日に話を聞きつけた父が、なんと職場に乗り込んできたのです。
(もちろん、私が言ったのではないのですが。。。)

「息子の退職を取り消してください」

退職を知らないはずの父が私の目の前に現れ、土下座までして上司へ懇願したのです。(父親の初めて見る土下座姿でした。)

公務員で、学校の先生。
プライドが高く表現の苦手な父親が地べたに頭を擦りつけたのです。

しかし、非情にも父に上司はこう言い放ちました。

「決めるのは息子さんですから」

それでも父は頭を上げませんでした。
でも、そんな父を横目に私は、『公務員を辞める』と大きく言い放ったのです。

すると、上司が鬼の形相で私に怒鳴りつけてきたのです。
(あの優しかった普段の面影は全くありませんでした)

「俺たちに嘘をつくような奴は辞めろ。1人いなくなったところで支障はない。」

父親に
「お父さん、決めるのは本人です。退職は決まっていますがどうしますか?」
と温情か、聞いてこられたのですが当時、洗脳されていた私は

「退職します!!」

ともう一度決意を伝えて、土下座する父を置き去りにその場を立ち去ってしまいました。
1年3ヵ月で市役所を退職してしまったのです。

(その日から5年、親とは音信不通になりました。)

自分のとった道が正しいと証明するのだというがごとく
さらにアムウェイにのめり込むことになったのです。

当日の回想ですが、
退職日前日まで
「お前がいないと穴が開くから、有給取らずに働いてくれ」と言っていた上司が一変、
「お前なんていなくても仕事は回るから必要ない」
と言い放った出来事は私にとって小さくないことでした。

「必要ない」

20年間の人生において、認められることを励みに頑張ってきた私にとって、
この言葉が私の心を大きく傷つけました。

大人が持つ表の顔も裏の顔も、親の土下座姿も、全て一気に私にやってきたこの出来事は、私にとって非常にショックな出来事でした。

続いて第3章を読む

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プロローグ
~第1章~私とは(幼少期から高校卒業するまで)
~第2章~公務員のスタートと退職、アムウェイとの出会い
~第3章~アムウェイビジネスの本格的なスタート
~第4章~ネットワークビジネス後の私

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