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直江兼続の愛の兜は、群馬の加治屋が作った!

こんばんは🌙😃❗
だんだんと、春が近づいてますね。🌸


さて今日は、直江兼続の

愛の兜は、群馬の鍛治屋が作った!です。


今、群馬県高崎市にある群馬県立歴史博物館で

戦国上州の刀剣と甲冑展を開催しています。

この甲冑展は、去年の夏に展示してまして、
今は、展示していません。ごめんなさい🙇💦💦
どうしても、愛の兜を見たい人は、山形県の上杉神社に展示してあるので、そちらです見てくださいね~。

場所が、群馬の森公園の中にある歴史博物館で、展示してました。
この公園は、散歩にオススメです。
機会があれば、群馬の森公園をnoteに書きたいと思ってます。

↑公園入り口~。




で、話しは戻りますが、あの直江兼続の

愛の兜を、群馬の甲冑師が作ったみたいです。

それで今回、県外初の展示で、群馬県にこの兜が展示されることになったんです。

直江兼続といえば、僕の中ではNHKの大河ドラマ「天地人」ですね~😊


妻夫木聡君が、演じてました。

カッコいいですな~。

愛の兜ですよ~。


センスいい武将だな~と思います。

実物の写真を撮りたかったんですが、

館内カメラ禁止で、撮影できなかった😭

なので、本物の兜の資料写真です。↓


↑いやー生で見ましたよ~。

かっこいい。😊👍

ですよ。

😊👍


ちなみに、この愛の兜の理由はわかりますか~?

一説では、愛染明王の愛の字を使ったといわれてます。


↑愛染明王🏹


資料によると

謙信は信心深く、自らを毘沙門天の生まれ変わりだと信じ、「毘」という文字の旗印を掲げて戦った。このことから、敬愛する謙信を真似て、愛染明王(あいぜんみょうおう)の愛を掲げたのではないかとも考えられている。

愛染明王は恋愛や縁結び、家庭円満など、愛欲をつかさどる仏神とされているが、弓を持っていることから、軍神として信仰されることもあった。

と書いてあります。

この愛染明王の愛の字を兜に付けるセンスは、すごいと思う。

戦場で、愛の兜を被ってたら、目立ったと思いますね。


その兜の制作者が、上州(群馬県)甲冑師といわれてます。

この直江兼続の兜にも、上州甲冑師の刻印があるそうです。

この上州甲冑師という軍団ですが、

明の使者、鄭瞬功が九州滞在中の情報をまとめた「日本一鑑」には、名だたる武具の産地に並んで、兜は上野(群馬)に出ず!と記されています。

この群馬ブランドの誕生には、京都から来た甲冑師、明珍が関わっていると、考えられています。明珍の伝えた技術が下地となり、後に続く上州甲冑師達が、育っていったのでしょう。

折しも時は、戦国時代、戦で需要が高まり、甲冑師たちの活躍の場は約束されていました。

なので、直江兼続の兜も、この上州甲冑師が作ったそうです。


いやー僕的には、大満足の展示会でした。

他にも、刀や、槍なども展示されていて
とても、ためになる甲冑展でした~♪


最後に、直江兼続の言葉で終わりたいと思います。

力によってねじ伏せようとした者は、いつかそれを跳ね返そうとする。

しかし、真心をもって扱われた者は、心で返してくれる。

いやーいい格言ですね。
この言葉は、僕の心の真ん中に置いておこう♪
それでは、またね~👋

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