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朧月夜の春を想う


おぼろづき脳裏にかすむ夕餉かな


子ども時代、サイレンの音が聴こえてくると遊びを止め、
「また、明日ね」と言って皆、我が家へと帰るものだった。
そんな昔の話…

筍の季節
母がタケノコの下の方のかたい部分を切ったら、小さなお椀のような形になった。
その端っこを「ままごとに使ったらいいよ」と私にくれた。
その日の味噌汁には柔らかい筍とワカメが入っていたのは覚えているが、
その他の特別なおかずは覚えていない。

庭で近所の友だち数人とままごとをしていた。
「オヤツよ」とグリーンピースを甘く煮た豆をみんなに出してくれた。
買ってきたビスケットや、手作りケーキでもない、その豆がとても嬉しかった。
しかし専業主婦として母が待つ家に帰った記憶はしばらくしかない…

ある寒い冬に祖父が倒れて以来、
母も離れた所にある店に出るようになったからだ。
店を閉めて帰宅してから、夕食の支度をするようになったため、我が家の食事の時間は遅くなった。

炊事をする母の背中に、今日学校であった事を話すのが日課となった。

「ほうれん草の和物に入れるから」と台所にあるテーブルに広げたピーナッツの殻をむくのを手伝った。
餃子のタネを詰める作業もした。
煮物を作る傍らで、他の家事をあちこち動きまわりながらやっていた。

煮物の日は、「また、野菜の煮物?」と文句を言ったりもした。
ハンバーグやカレーやコロッケのようなメニューが食べたかった。

洗濯物を取り込むために庭に出る母について行くと、
「吸い物に入れるミツバをとってね」と言われた。探していると、
「こういう部分が美味しい」と教わって柔らかい先の葉を摘んだ。
庭の大きく育ったミツバの周りには、小さなミツバがたくさん芽を出していた。

空を見上げると、雲間に月が顔を出した…
朧月の柔らかな光に照らされた春の夜。

「綺麗なお月様だね…もう少ししたら花の苗を買って植えようか」
そんな話をしながら台所に戻った。

あの時の母の年齢をずっと前に追い越した今、あの煮物が懐かしい…
仕事を終えて帰ってから煮物を作るのが、どんなに大変だったのかを知ったのは、ずっと後になってからだった。

朧げな記憶の中の夕餉の支度をする母の背中が懐かしい…





小牧幸助さん
いつもありがとうございます😊
シロクマ文芸部の企画に参加させて頂きます
よろしくお願い申し上げます♪

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