変性意識状態でお散歩した話4(殉職兵士慰霊碑の側での出来事)

こんにちは、どんな午後をお過ごしですか?
今日も変性意識でお散歩した時のお話の続きです。

神社の敷地内から出て、歩みを進めると、小高い丘の上に、石塔のある公園のようなところがありました。

そこにはベンチも見えました。
私は少し疲れも感じ、休んで一息つきたかったので、その小高い丘を登りました。

丘の上の公園の石塔は、戦争で殉死した兵士たちを祀るために設置されたようでした。

手を合わせ、思いを馳せたのち、側のベンチで休ませてもらいました。

その際、スマホで、多分なにかメモを残そうと思ったのか、調べ物をしようと思ったのか、
そのあたりの記憶が定かではなないのですが、スマホを触っていると、ふとスマホのインカメが起動し、自撮りモードに自分の顔が大写しになったのです。

そこに写っていたのは、ボコボコの毛穴や濃いシミの人物でした。

もともとシミや毛穴はたくさんありますが、その大きさや濃さがものすごく強調されて見えるし、傷や日焼け跡のコントラスト、皮膚のカサつく細胞などが、ものすごく酷い深刻なものに見えたのです。

「ウワッ」と、反射的に目を背けたくなりましたが、これはこの機に直視すべきものだと思い直し、
その場で巨大毛穴の自分の写真を、笑顔や真顔など、いろんな表情や気持ちで取りまくりました。

ちょうどその時が正午に近かったのもあり、その酷い毛穴の自撮り写真の私の元に、すごく色鮮やかな光のプリズム光が、
シャワーと言っていいのか、ベールといっていいのか、オーロラといっていいのか…とにかくすごい量の光が色の膜となってかかってきたのです。

そのとき、もしかしたら英霊たちが周囲に映っているのかもしれないなぁ…とふと感じましたが、それ以上のなにかは何も読み取れず、戦争などについてもなにをどう考えたらいいのかも分からず、ただ光に写ってる可能性もあるな…と感じただけでした。

ただ、そうやって光の中になにかが映るというのはふつうにあり得ることなのかもしれないし、
写真の魅力というのは、被写体それ自体よりも、被写体を依り代として集まる光の力のほうにあるのかもしれないなと思いました。
そしてその写真に魅力を感じるのも、その光に縁ある魂なのかもしれません。

実際に変性意識から覚めてみた写真にも、かなりの光のプリズムが写っていたので、撮影時の意識と、写真という物質化されたものの間には明らかに関係性があると感じました。

それでは今日は、ここまでです(⁠^⁠^⁠)
読んでくださってありがとうございますm(_ _)m

また書きますね(^⁠^⁠)

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