変性意識状態でお散歩した話5 (シルバーロード)

慰霊塔のある丘を下り、またしばらく歩いていました。

すると、気持ちが良くなるような、小川が流れていました。

その小川沿いの道に入ったのですが、そのさらに川に近いところに川を楽しみながら歩ける散歩道もありました。

その散歩道には、「シルバーロード」と書かれた立て札がありました。

わたしは、その素敵な気の流れの小道が、「シルバーロード」だという事に、なにか笑ってしまうような気持ちになりました。

気の流れが良く、歩くと元気になりそうな道を「シルバーロード」、つまりお年寄りの道としておきながら、実際には歩く人はおらず、一部には雑草が繁茂していたからです。

そんな感じで呆れた笑いを胸に歩いていると、私の中のシルバーロードの主が「フォッフォッフォッ!」と笑いながら話しかけて来るのです。

「フォッフォッフォッ!
わしはな、やっぱり一番いい道を自分のものとしたい。
しかし、ほんとはのぉ、わしに沿うてくれるものに、この景色を見せてやりたいのじゃ」

そのように、シルバーロードは言うのです。
自分の物にして、それを沿うてくれるものに、「どうじゃ!」と見せたい、そういう思いの存在は日本にたくさんいそうです。

見せびらかすだけ見せびらかして、すべて手放せない存在もいるだろうけれど、

それでも本当は手放さずに老いていけはしないのです。

そういう存在に沿えるのは、シルバーロードの主たちが「こうなったら一人前」だとしてきたような存在ではなくてもいいのかもしれません。

なんでもないまま、ただ沿うてくれる存在だけが、すべてを託すに値して、豊かだった時代の遺産を継ぐのかもしれません。

社会の制度の中でお金を対価にもらって暮らすだけではない生きていき方も、隠されているけどあるんだよなぁ…と、この川原で思ったのでした。

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