考へるヒントをもらった記事


きいろさんのこの記事を読んで、わたしは、自分の母親のことを考へました。考へたことはあったけど、あらためて、考へました。
父親のことは前に記事に書きました。

けっこうあからさまに書いてしまった。父親のことを悪役にして、ヘンタイの自分を美化して救はうとしてる。
ごめんね、おとうさん。今度会ったら、わたしのこと、叩いていいです。

・・・こんなふうに、父親について考へることはできるのですが、母親について考へるのは何か抵抗があり、私小説的エッセイにする気にもなれないでゐました。

母に何度かプレゼントをしたことがあるのですが、まともに受け取ってはもらえませんでした。

母にプレゼント、わたしも性懲りもなく何度もやってしまった。
これは認めたくないけど、妻様と結婚してからも、プレゼントではないけれど、母との関係を修復したくていろいろ機会をとらへて試みました。
ふりかへるといろいろやってた。思ひ出すと、ちょっと惨めな気持ちになります。母親はわたしの気持ちに絶対に応へない。ほんたうにかたくなだった。

かういふことは忘れてた、といふより、気づいてなかった。たぶん認めたくなかったのでせう。
きいろさんの記事を読んでまざまざとよみがへってきました。
認めたはうが前に進めるかなといふ気もします。

母性の欠落。包容力の欠如。
生存ギリギリを生き抜くために、削ぎ落とされたすべて。
心理的安全が確保された環境で育った人と、自分は水と油ほども性質が違います。
同じ態度をもとめては、いけません。
そんなことができるようには、心が育っていません。

「世代間連鎖」といふ言ひ方もあるみたいで、親から「親の愛情や世話」をまともにもらへなかった子供は、自分が親になったときも、さうするつもりはなくても、自分の子供に「愛情や世話」をまともに与へることができないことがあるらしい。
決して意図して与へないわけではなく、もらってないから、何をどう与へるかわかってない。
これは、ハリー・ハーローがアカゲザルを使って科学的に証明してゐます。残酷な実験によって母親サルとの愛着形成を阻害されたメスサルは、そもそもオスとの関係を求めないし、妊娠させられ出産したとしても子ザルにお乳を与へたりはしない。

これってわたしの母親だ。そもそも異性との絆をつくる気が無かったが、母親が若い女性となったころは、女性がまともな家に住んで三食を欠かすことなく食べるには、結婚するしかない時代でした。
「結婚したくなかった」
これは、母親が、そして、その娘である姉が、わたしに言ふではないけれども、何度も何度もつぶやいてゐた言葉です。
今、女性が結婚しなくなって来てゐるのは、わたしには、何の不思議もありません。

わたしは、母親の育ちを少し調べてみてからは、わたしよりも母親のはうがはるかに可哀そうだ、と思っては、ゐました。

もし、母親が、わたしのやうに、
自分の心の動きと自分の言動を、常に俯瞰してしまふ人間
だったら、わたしのやうに底知れない自己嫌悪に苦しむことになったと思ひます。

母親は父と結婚したことをずっと悔いてゐた。父親からは「いやなら出ていけ」と言はれてゐた。
けれども、当時の女性には珍しくないと思ふのですが、もう若くなくなってから離婚してしまふと、自分ひとりで生計を立てるめどはありませんでした。
しかも、母親は、わたしと同じで、今でいふコミュ障。人間関係をうまく作れず、社会や世間をひどく疎ましく感じてゐた。家の外では自分を演じてをり、まったくの「いい人」だから、誰からも好かれるけれど、本人は心の底からの人嫌ひ、でした。
(これも、わたしとまったく同じ)

母親が生涯自分をふりかへることがなかったのは、もし自分の本心(内心よりも奥にあり、普通の人は生涯それがあることに気づかない心)に目をむけたら死にたくなるのを無意識ではわかってゐたからかもしれません。

わたしはずっと死にたいほど自分が(特に自分が女でないことが)いやですが、それでもかうして生きてゐるのだから、母親が感じただらう自己嫌悪よりはましで、それどころか、どこかで、自分の本心と向き合ふだけの「悩む力のある自分」を恃むところがありました。
それどころか、自分のほんたうの気持ちと直面しない人たちより優れてゐると思ってゐたやうです。

そんなふうになれたのは、母親に比べると、わたしの「不幸な子供時代」は、なんらかの余裕を生むものだったからかもしれません。
時代が違ひました。

母親が生れた頃は、まだ、日本には貧困がありました。
わたしは、「三食、まともに食べられない子供がゐます」の類のコマーシャルを見ると腹が立ちます。そんな子供はきれいな服をきてお洒落な髪形をしてゐます。継ぎはぎだらけのぶかぶかの服の襟が垢で光ってるといふことはないから、「貧しい子供たち」を子供食堂とかに集めて食べ物を恵むのも楽です。ほんたうに貧困な子供たちは近寄る先から悪臭がしてたいへんですから。

今の日本では生活保護を受ける人が海外旅行ができないと嘆いてゐますが、母親が子供の頃は、貧困とは垢まみれの服を着て、田舎では靴も買えず裸足で歩きまはる供がゐて、貧乏だとまともなものが食べられないから、子供や老人は栄養失調で死んでしまふこともよくあったのが貧困でした。

そんな時代に生れた母親が、生涯、誰からも心を閉ざして生きたのは、さうすることでしか自殺を回避できなかったからかもしれません。
そして、誰からも心を閉ざすには、決して自分の心の奥にある秘密の扉を決して開けないことが肝要です。
だから、母親も慎重にその秘密の扉に近づかいないやうにしつつ、その人生を終へたのだと思ひます。

かういふ生き方は、今でも、よく見かけます。
実際、それが「普通で、まともなのよ」と妻様には、この記事の下書きを見せたら、言はれました。
心の奥の扉は開けないはうが、社会ではうまく生きられて、人ともうまくいき、友達ができて、生涯にわたって先生と呼ぶ人との関係も維持できる。
その扉を開くと、すべてが壊れて消える。
三島由紀夫氏が、
「人間は、その人間性を完全に解放したらたいへんなことになる」
と言ってゐたのは、このことと関係があるやうな気がします。

文章を書くやうな人の中には、心の奥に扉があり、その扉の存在を無意識では気づいてしまってゐる人もゐるやうです。さういふ人はnoteの毎日書いてすごいですねといふそそのかしに乗って、毎日、とりつかれたやうに書く。書けば書くほど、その文章の累積で隙間なく覆ってしまへるからです。

心の奥にある秘密の扉を覆ふため、蔦(ツタ)のやうに日常のあらゆるものごとや人にはりつき這ひ広がる文章が毎日書かれてゐるのを、わたしは、noteに、よく見かけます。

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