311サムネ改

あの3.11から7年。

 

こんにちは。
ふじいさん。です。
 

昨日は、あの3.11から7年。もう7年、まだ7年。
 
 
ニュース番組等を見ていると、被害が大きかった福島県と宮城県の沿岸沿いは、まだ復興途中。直近の天災だと、鹿児島県の火山噴火に、熊本県の地震と、日本は地理的環境から、天災は避けられません(と習いました。間違ってないですよね)。
 
 

今日は、それらの天災やその被害についてを言及するわけではないのですが、しかし伝えたいことは多少関係あるかもしれないことを書いていきます。
 
 

まずは、以下の作文をお読みください。
 
私が、高校生のときに、東日本大震災についての作文大賞に応募したものです。

のちに言及しますが、これは賞を頂いた作品です。
※※※公式サイトにもあるよう、著作権は私に帰属しております。勝手な転載等は、主催の方を除き、ご遠慮願います※※※

【引用元(このブログ記事のURL)を明記】した上での引用等は大歓迎です!

 

 
 

『たったひとつの生命(いのち)』
 

 2011年3月11日、福島県と宮城県の遠洋沖を震源地として、隣接する県が被災してしまいました。そして、大多数の被災者が出て、尊い生命が奪われてしまいました。何故このようなことが起きてしまったのか。誰に問うてもいたしかたない天災、されど天災、悲しみを生んでしまった火種なのです。私は正直、この震災が起きるまで生命に対して「無」でした。無関心というわけではないのです。只、真剣に考えたことがありませんでした。

 2011年3月11日、私はその日学校が終わり、家でリラックスして読書をしていました。そして、あの時刻がやってきて揺れが始まりました。この時、「どうせ小さいものだろう」と思っていたのも束の間、段々大きさを増して、私は畏怖してしまいました。布団を被って収まるのを待っていました。「怖い…」恐怖心を抱いて、泣いてしまいました。その後、速報で震源地を知って愕然としました。何せ、隣接している県とその上の県の間であり、多大な被害が及んだのは特にそれらの県なのですから。その2県は思い出の土地でもありました。一体どれほどの人が哀しみに、悔しさに、絶望に包まれたかと思うと、悲しくなってしまい、行き場のない怒りを覚えました。こうもたやすく被災を受けていいのか、生命が奪われてしまっていいのか。

 私は改めて考えてみました。生命とは何たるか。1人1人平等に与えられた大切な、生きる源です。そして、1人1人自分の奥底に生きる理由が眠っています。私はそう信じています。今までは何だったか分かりませんでした。今は被災者のために自分には何が出来るのか、それが私の生きる理由の1つだと思います。助け合ってこそ、人なのです。生きて、必死に生きて、成功と失敗を繰り返して、更なる理由を見つけていこうと思います。

 たった1つの生命、今生きてる自分だけが歩める人生を軽率に扱わず、強く支えあって生きましょう。あなたが居てあなたが視る世界があるのですから。だから、誰も復興を夢見てしっかりと生きてほしいです。

 

 
 

以上です。
(少しだけ(助詞とか)、変えました)

 

この作文を応募した大賞についてですが、2012年3月10日から3月31日の間に募集された、伝統文化みらい広場実行委員会主催の「絆メール大賞」です。

参加資格は、福島県内に在住在学する小学3年生から高校3年生(ただし県外一時避難者も含む)もしくは、日本国内に在学する小学3年生から高校3年生とありました。

私は当時、高校3年生になる前の、2年生で該当していました。一応、公式サイトに飛ばなくても、このコンテストについて知ることができるよう、ポスターのスクショを貼り付けします。詳細は公式サイトをご覧ください。

 

 

ちなみに、知ったきっかけは次の通りです。

2012年3月のことです。そもそも私の母校は、3月は特別授業期間として、各先生が得意な分野で授業を創り生徒に提供するという形をとっています(今でもそうかはわかりません)。生徒は授業一覧のプリントと希望調査用紙を配布されるので、好きなものを選んで時間割を作ります。私はそのなかで、ライター系の授業を受けたいものの一つとして選びました。

その担当の先生は、「公募ガイド」という雑誌から、コンテスト紹介ページのコピーをいくつか用意して、「こういう作品があるよ」と紹介してくれていました。私はその雑誌をいいなと思い欲しくなって、書店にて自分用に購入しました。それから応募できそうな部門を眺めていたときに、この賞を見つけた、という感じです。
 

今はちょっとグレーですが、その当時は文章を書くということが苦ではなかったため、その賞を知ったとき、「これは絶対書くぞ!」と熱意が湧きました。そう決めた瞬間、想い・気持ちがあふれてきて、一生懸命私なりにしたため、応募しました。

そしたら…、やや自慢になりますが、「福島民報社賞・高校生の部」を受賞しました。
それをもらったときは本当にびっくりしました。反面、一生懸命書いて良かったと思いました。

ただ、受賞の電話連絡が来なかったんですよね………。私自身、応募したことを忘れかけてて、たまに思い出して、「ダメだったのかなぁ」と思いつつ、4月下旬かその辺りになった頃、賞状・賞牌・記念品が届いたという感じで、賞品が来て始めて知るみたいな、よくわからない状態でした。

(もしかしたら、親が伝え忘れたのか、いまだに謎です。笑)

なんにせよ、賞を頂けたことはとても嬉しいです。ありがとうございます!
 
 
 
 
他人事に聞こえるだろうし、偽善だろと思われるかもしれませんが、本当にいのちは尊いです。それでも、落とす人がいるのは悲しいものです。天災だろと人災だろうとなんだろうと。
 
かといって、その人が視てる世界や受けてきた出来事に、同情や理解を示せても、完全な理解や同意はすることができない。だって、同じ状況・環境・条件で、同じことに遭遇するとは限らないから。
 
 
だから、特に対人関係というものはむつかしい。
いろいろあった私は、そう感じてしまいます。
 
 
でも、だからこそ、楽しいことや学べることや悔しいことや悲しいことなどに得られるものがあって、誰の人生もドラマの連続なのです。
 
私は、東日本大震災を通して、身内の死を通して、強く実感しています、たまにはだらけてもいいけど、この一瞬一瞬を、自分らしく楽しみ、大切にしなきゃと。感謝を言えるうちに言わないと、と。
 
 
みなさんはどうでしょうか。

今が楽しいですか?今を大切にしてますか?

昨今は著名人が亡くなったり、著名人の家族が亡くなったりと、少し悲しいニュースがありますね。身をもって実感する前に、せめて「ありがとう」の一言を言ってみませんか。
 
 
最後に余計なお節介?を焼きましたが、これにて。
 
 
では。
 
 

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