前回の仏教のお話で、アホは世界を救う的な、アホを推奨するようなことを書いてしまいましたので、その責任をとって今回はそのアホの詳しい生態について。
友達、ダチ、ツレ、仲間、ブラザー
皆さんにも、こう聞いて思い浮かぶ顔があることでしょう。
僕にもおよそ半世紀の人生の中でできた仲のいい連中がいます。
その長い時間の中で知り合った人間の数は、その何十倍もいるわけですが
どういうわけか、ここにきて残った奴らはアホばかり、、、。
たいへん遺憾に思います。
人生やり直したいと、時々考えることもあります。
しかし、一方でこうも思った。
“類は友を呼ぶ” そう類友なのではないか。
いやいやそんなことはないはず、僕は至って普通の平均的で平凡な顔がちょっとブラピに似ていて、たまたま青年実業家として大金持ちになっただけの男のはずである。
そうか、類友ではなく“無いものねだり”なのではないか。
自分がまとも過ぎるために“アホ”に憧れてしまった。または、アホが寄ってきてしまった、、、
まあしかし、非常に残念なことにそんな“奴ら”は一緒に居てとにかく飽きないのです。
「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」
それでは、ジョンマンの愉快な仲間たちをどうぞ。
まずはプライバシー保護のため漢字表記は控えさせていただきますが、セナハノハジメ、通称「セナハジ」と「セカオワ」のように呼んでいる人がいるかは知りませんが、個人的にはハジと読んでいる沖縄にルーツを持つナイスなガイがいます。
ちなみに、ガイはイギリス英語の発音でgay(ゲイ)
そう、こいつは30年間ゲイの疑いのかかった推定有罪で、かつ積み木遊びが似合うフォレストガンパーです。
この男、普段こそフォレストのような朴訥で一本気な雰囲気を醸し出しているのですが、深夜の舞踏会ではトゥーマッチドランクの末、バーからテキーラのボトルを奪い、人で溢れかえるダンスフロアーに華やかな光ではなく脂ぎった汗を振りまきながらブギーバカになりスチャダラパーに踊り狂い、DJブースに侵入し、スピン中の外タレの針を飛ばして出入り禁止になった店も数知れずなジキルとハイド野郎でもあるのです。
そして遡ること20年程前、湘南のおビーチでまたもや飲み過ぎてゾンビ化してしまったハジにウォーキングデッドされていた僕を、どこからともなく現れドロップキック一閃で救ってくれたのが後に詳しく書くかどうかは筆者の気分次第のアホ、ベネズエラ出身のラミレス竹◯ことタケちゃんマンである。小学校まで世界有数の危険都市ベネズエラで育ったタケちゃんマンはそのルックスも性格もワイルドな男であるが偏差値は10くらいである(推定)。そして、ご両親にもあったことがあるのだが、お父さんはチンチクリン、お母さんは平均的日本人女性なのである。それなのに、こいつのルックスは完全にアレハンドロ・ガブリエル・カラバイヨ(誰?)なのです。
(こんな感じです、ちなみに本人でも鈴木雅之さんでもありません。)
き、聞けなかった。。。
お父さんは疑問に思ったことはないのだろうか、息子の本当の父親は、、、
さて話を最初のアホに戻そう。
周知の事実であるゲイ疑惑であったが、こいつは財務官僚も真っ青なシラの切りっぷりで、僕たちは何度もカツ丼を与えながら「もう楽になろうや、田舎のお母さんも悲しんでるぞ」とゲロらせようとしたのだが
「俺はヤってない」
と一向に認めようとしない。
そんなある日、決定的な瞬間は訪れた。
行きつけのBARでの酒も深まった夜、そこで役者をやりながら働いているK青年に「お前芸能界目指してんならこれくらい我慢できなきゃダメだろー」と、故ジャニー喜多川氏バリの大物っぷりで店の隅っこでおさわりを始めたのだ。
ちなみにKくんが目指しているのはゲイ能界ではありません。
しかし、その時のこの阿呆のおフェイスはかなりジーマーだったので
「落ち着け。お前がゲイでも俺にそういう気を起こさなければ友達だからよー」
と、モノホンのナイスガイ発言をしながら割って入ったところ
「大丈夫、お前はもともとタイプじゃないから」
ゲロッパ!
JBなみにファンキーなカミングアウト
午前3時27分容疑者確保!僕は長年追い続けたホシをついに自供に追い込んだ。
しかし、次の日以降ほかの仲間の前でこの件を話しても「ソンナコトハイッテナイ」と完全黙秘に戻ってしまったのである。
僕とこいつの踊る大捜査線はまだまだ続く。
さて、先ほど登場したベネズエラ出身のタケちゃんマンはといえば、
ゲイどころか、イタリアならぬベネズエラの種馬ボッキー・バルボアと言われるほどの女子好きで、これまでに3人の妻を娶り、子供も5人目が先日生まれたばかりのビッグダディー野郎であります。先にお話しした湘南ビーチでの出会いから意気投合した僕らはすぐに“ソムリエ”の講習を受けよう、ということになるかーーーーーい!
なったのです!完全に邪な動機です。
僕は当時料理人だったので正しい動機もすこしはあったのですがベネズエラ人は100%邪でした。
こいつの頭の中は、アラサーになってからの「夢のキャンパスライフ」
出会い、そしてロマンス。交換日記、イジメ、喧嘩番長、腐ったミカン、、、
申し込みに行った先でベネズエラ人は開口一番言いました。
「男女交際はありですか?」
受付女子の氷の微笑を僕は一生忘れないでしょう。
ちなみに、最初の体験入学でそんなキャンパスライフは存在しないことに気づき入学はやめました。
「本能で生きれば、恥もコンプレックスも関係ないだろう。」-横尾忠則-
そして、僕の慶應の同級生(あっ、ご存じなかったでしたっけ?僕三田の慶應病院産まれなんすよ。小学校からは世田谷区立なんすけどね)で、出版と報道に興味をもって希望していた講談社「週刊現代」編集部に入るも、社会に出た途端やる気スイッチを見失い、現在はといえば子供もいないのに育児誌「おかあさんといっしょ」副編を務めるN。
学生時代はサーファーに憧れ湘南に引っ越すも、部屋にサーフボードを飾りサザンを一日中聞いていた完璧な部屋サーファー。劇画タッチの真顔なおフェイスで「へー、そうなんだー、へー、なるほど」と繰り返しながら実は人の話をいっさい聞いていない黒柳徹男である。
このNを交えてヨーロッパ旅行をした時のこと。
こいつの持ってきたガイドブックは英語だった。「地球の歩き方は間違った情報ばっかでよー」と旅慣れた感をスメルさせてきたのですが、その後こいつがこの本を開いているところはついぞ見ることはありませんでした。
それでも、まだ知り合って日の浅かった僕は「やっぱいい大学いってる奴は違うなー」と宇宙規模な勘違いをしていたのです。
そして、忘れもしないアムステルダムでの夜がやってきます。
晩ご飯を食べ全員ほろ酔いで歩いていたところ、警官風の男2人組みになにやら声をかけられたのですが、「なんかこいつら怪しくねー」と言う僕らを制し、任せとけと言い放ち2人と物陰に消えたNは10分後パスポートごと鞄を取られて戻ってきた。
その時のこいつの何故かニヤケ顔での一言
「いやー、イギリス英語はわかりにくくてよー」
なにか本案件に発音が関係あるだろうか、というかNよ
「あれは完璧なオランダ語だった。」
拝啓講談社の人事ご担当者様。御社の採用担当者の目はふし穴です。その担当者とこのポンコツを一刻も早く解雇することをお勧めします。
こんな釣りバカハマちゃんバリの幽霊社員に高額な給料を払うなら、10人の非正規雇用者を社員にしてあげて欲しいです。
「わからないものはわからないままでいいのではないでしょうか。」-横尾忠則-
そして、いま一番顔をあわせることが多いのが、事務所をシェアしていて仕事が暇な時のでんぐり返し仲間であるA。「ロシアから愛をこめて」最果ての北海道は礼文島から来たアイヌ人ハーフ(推定)である。とにかく酒をこよなく愛するエニタイムノンデマスな奴で、飲んで無くした物の数はオリンピック関連で辞任した人の数にも劣らぬほど。必ず寝落ちするまで飲んでしまう粋なラストダンス野郎で、僕ら呑み仲間は何度バーカウンターに沈んだ哀愁、いやアイヌー漂うこいつの背中を微笑ましく見つめながら先に店を後にしたことか。
しかしこいつは、ディープドランカーにはつきものの酒の席での失態。そのすべてをきれいさっぱり忘れることのできるメメント脳を持ってるのです。つまり、こいつには過去が存在しないのです。そして先のことを考える知能も、気もないので未来も存在しない ”全ては今ここ” 野郎なのです。悔しいですが、これはブッダが2500年前に到達した悟りの境地かも知れません。ちなみに、飲んだ次の日は、血走った眼光と全く効かない嗅覚でどこに置いたか忘れた自転車を一日中探しています。
もっと僕の周りに生息する阿呆達の奇行ぶりををお伝えしたいのですが、残念ながらお時間となりました。
”たった今”僕は眠いのです。この続きはまた今度気が向いたら書こうと思います。
“まかせよう、運命に!”-横尾忠則-
まあ阿呆、阿呆言いましたけど、阿呆は余分なことは考えないし、なにも計算できないし、ともかく仏教的見地では”無我””無常””空性”といった、普通は仏門に入り長い時間をかけて習得する境地にすでに達しています。それ以上に、単純に笑えます!
「アホは地球を救う」
という24時間生放送の番組を日テレでやるべきだと思います。
もうやっているようですね。
いやー、阿呆ってホントーにいいものですね〜
「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ〜。」これは違う人かー、サヨナラ〜
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