見出し画像

そろそろ、仏教やら阿呆の話しばっかりで、食に関することなにも書かねぇじゃねーかこのクソブロ!

と、サブスクリクション契約を解約されて、1000万人の購読者から毎月自動的に入ってくる1億円を失うのは痛いので、今回は食寄りの話をイヤイヤですがしてみましょう。

そもそも「美味しい」ってなんだーけっ、なんだーけっ♪

ポン酢醤油?

ではないのは確かです。

さんま

そう"美味しさ"の基準は人それぞれであって、人間の舌の数だけ美味しさはあるのではないでしょうか。

それなのに、美食家って?グルメ通って?

そういや渡部ってどこいった?

と、みなさん様々な疑問をお持ちのことでしょう。

なぜその美食家と呼ばれる人たちの味覚が正解みたいに言われるのか、その人が美味しいと評価しているものが売れたりするのでしょうか。

くりえいたーずふぁいる

48歳水瓶座O型の僕にさえさっぱりわからないので、
みなさんにはわかるはずもありませんね。

しかし、考えることを諦めると老化が進むと、最近仲間たちと頑張っているので、無い知恵をフルスイングして考えてみたのですが、これは完全に"見えざる力"による洗脳ですね。
「関ジャニ∞」の∞はインフィニティ(無限大)という意味ですが、完全にエイトと呼ばされています。これは、横のものも縦と言わせるジャニーズの”見えざる力”です。

例えば、ギョウザには醤油とお酢とラー油、お好み焼きやたこ焼きにはソースにマヨネーズ、刺身には醤油とワサビだが鯵はショウガ醤油で、天ぷらは天つゆ、時々塩云々。なにか昔ながらに決められた食べ方みたいなものがあります。
これらは固定概念という”見えざる力”だと思いませんか。
こういった昔ながらの食べ方も、先の話で言えば本来感じ方は人それぞれのはずです。

むかし「美味しんぼ」という今も連載の続いている超有名なグルメ漫画の中で、漁師はカツオを醤油とマヨネーズで食べるという話があり、やってみると美味しかったのでツレに話すと「気持ちわり〜」と言っていましたが、漫画を読ませた後は「ウメー、ウメー」言ってアホづらで食べていました。

また、「カニを食べると無口になるよね〜」とか言う単細胞生物ゾウリムシ科な人をよく見かけますが、本当にカニパーリーの会場でレディース&ジェントルメン達が無言でカニを食べているシーンに遭遇したことがあるでしょうか。僕はありません。

それでは、そういう発言をする人たちは

仮定法現在の練習をしているのでしょうか?

違います。

カニは身を外す作業があるし“美味しくて夢中になってしまう”からという理由だそうですが、そもそもカニってそんなにカニカニ言うほど美味しいですか。不味くはない。と言うか、まあまあ好きなほうですけど。ですが、「好きな食べ物は」と質問して「カニ」と言った人には会ったことないですし、松茸もそうですが、季節もんの高価な食材を単に貴重と言うだけでありがたがってウマいと思い込まされる、これもイメージと言う“見えざる力”ではないでしょうか。

さらに、以前僕が打合せでファミレスへ行った時、その相手のエディターHくんはハンバーグランチを注文したのですが、Hくんはライスをまずひと口「モグモグ」、そしてライスをもうひと口「ムシャムシャ」、次にライスを食べて、ライスにいって、またライス、でもってライス!

ウォーーーーーイ!!!

「ハンバーグ…嫌いなのかな。。。」

そんな訳はない。この人が自分で注文したのだから。聞けば、子供の頃から親がこの食べ方で、おかずとご飯を一緒に食べるのは気持ち悪いとのこと。これは、環境という”見えざる力”でしょう。

みえないちからいずなに

このような見えざる力は別として、人間が感じる「美味しさ」には“味”や“香り”、“食感”や“見た目”など、もっといえば“誰と食べるか”など心理的なものも含めれば、数多くの要素がありますが、僕は基本的にはどストレートに「美味しさ=味」だと思っています。

以前NIKEという、
スニーカーと呼ばれる運動するための靴などを作っている会社の経費で青山の「ナリサワ」というレストランに行きました。

このナリサワ、世界のベストレストラン50 という毎年ロンドンで発表されるアワードで世界8位 アジア地区No I という肩書きを持つボクシングで言えば東洋大平洋チャンピオン、料理界の幕の内一歩(2019年まで。現在は引退してセコンドをやっているがやはりボクシングに未練を感じてただいま葛藤中という漫画の主人公)なのです。

味はハッキリ言って「美味しくない」
というか“なんだか分からん”というのが正しいかもしれません。

それなのに、お値段はといえばペヤングとコーラだけで過ごせば3 ヶ月は生きられる金額なのです。最後の一食にこれを食べて死ぬくらいならペヤングを沸騰したコーラでメイクして3ヶ月生きたいです。

そしてメニューの名前も

「森に佇む水辺」

みたいな感じで、いちいち料理が運ばれてくる度に人が来てその料理のフィロソフィーみたいなものをグダグダと述べやがります。

「南仏の山奥にある炭焼き小屋の暖炉にほどよく乾いた樫の小枝を贅沢にくべてそこにアルプスのおいしい水をぶっかけた残り汁を想像してください。」

「。。。???」

せめて、「フォワグラのソテーフランボワーズソース、トリュフを散らして、ボルチーニの匂いだけプシュッ」
みたいな聞いただけでもう食べ終わった感のある、先入観の入る余地が1ミリもないネーミングにして欲しいですね。

そうそう余談ですが、先入観と言えば、僕はよく馬鹿のツレ達から

「ヒマでしょ?」

と、自分以外の人のことを客観視できない身勝手な電話を受けるのですが、

これは、「あー、今日もやること特にねーな(鼻ホジホジ)、世の中の人は何して暇つぶしてんだろ?(仕事だ!)仕事たってメール何本か返して社員の女の子にセクハラっぽい発言して(それは仕事では無い!)、ランチでビール飲んでサウナ入って昼寝して(。。。)夕方から取引先の連中と飲みにケーションするだけだから時間空くんだよなぁ。あっ、あいつもなんか1本だけ“なんちゃらソース”とかいうのをネットで売ってるだけだから暇してんだろうな、電話してみよ〜」

という感じの、人類の進歩に0.1ミクロンも貢献していない奴らの先入観ほど宇宙規模の自己中はありません。もしこのブログをたまたま目にしたNやTやS、マリアナ海溝より深く深く反省してほしい。

いい加減、阿呆の話はやめましょう。

日本人の味覚は元来非常に繊細であり食文化は世界の中でもトップクラスだと思いますが、今の日本の食の世界は節操なくありとあらゆるスタイルを取り入れています。

「これは問題です!」

何の問題かはわからないのですが、こう書いておくとなにかの問題に取り組んでいるように見えてかっこいいのです。この話の続きは専門家にお任せしましょう。

そもそも前からこういった変化球料理のお店に連れていかれる度に言ってますけど、僕は昔ながらの丁寧な仕事で同じ味を何十年も作り続けているお店の味がやっぱり好きです。
どんくらい好きかと言えば、
川島尚美のワインくらい?イチローのカレーくらい?小池さんのインスタントラーメンくらい?ヒロミの伊代くらい?

とにかく、オーセンティックな味の料理の名店は昔から変わらず美味しいとこが多いし、その中の自分のワンディッシュは決して食べ飽きることなくフォーエバーラブ、フォーエバードリーム!

保守的と言われればそうかも知れませんが、かと言って先ほども話に出たような、「やっぱ大勢で食べるご飯は美味しいよね〜」的精神論には囚われません。

みなさんは独りでご飯を食べに行くということがあるでしょうか。

それは、吉野家やマックや家系ラーメンといった店の話ではなく、そうですね、まあ価格で言えば一人5000円〜くらいの感じのお店ですかね。
僕は一人で行くのも大好きです。

「味」とのタイマン勝負、河川敷での決闘、愛と誠、伝説の坊屋春道vsリンダマン、ルフィvsシャンクスを早く観せーーーい!

と、まずは生ビールで喉を潤しながらメニューを上から下までネットリと睨め回します。そしてパチンと指を鳴らし最初の一品を“ゲッツ!”
それを口の中でグチャグチャと咀嚼しながら、それから先の展開を薄ら笑いで想像していきます。そして美味しい料理と飲み過ぎた酒のダブルパンチで椅子ごと転倒。これぞ男のタイマン勝負!

と、ここまでいくと“出禁”、最悪の場合“ポリスカミング”になるので、ここは落ち着いて、飲み過ぎずに1品目からシメまでの旅路をひとりジックリ楽しみましょう。その間スマホはもちろん、本も読みません。酒、飯、酒、飯、時々ゲップ。それくらい「味」と向き合うのです。
その間は全神経は味覚のみに集中してオーセンティックな料理の丁寧な仕事の奥のさらに奥にある物を感じるのです。

しあわせーって、なんだっけ、なんだっけ?

これや〜!


「死ぬ前に食べるとしたらなに?」

日本全国で1分17秒に一回は話されているというこの会話(総務省調べ)

この人生最後のヒトサラを決めるのは、このブログの記念すべき1000話目に取っておきましょう。まあ、それまで歯があるかは分かりませんが、ていうか生きてるかどうかも怪しいか、、、。





LOVEPAKU公式noteは、スタッフを始め、LOVEPAKUファン有志の皆さんにご参加頂き、運営しています。もし、「面白い」」「楽しかった」と思って頂けたなら、これ以上励みになることはありません…!