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『出来ないことは幸せ』を掘り下げてみた。

こんにちは!セールスコピーライターのけんじです。

いつも読んでいただきありがとうございます!

今回は大山さんからいただいたマインドセット

『出来ないことは幸せ』について

とことん掘り下げてみた。

掘り下げれば掘り下げるほど深みが増す言葉だ。

この『出来ないことは幸せ』のルーツはある人物からきています。

その人物名は、、

『スティーブン・ホーキング博士』

「ん?誰だ??何をやったエライ人だ?」

こんな言葉が出てきそうです(笑)

実は僕も調べるまではあまり知りませんでしたがスティーブン博士は別名

『車椅子の天才物理学者』と言われるほど世界的にも有名な偉人。


イギリスの理論物理学者であり

『一般相対性理論』の分野で理論的研究を前進。

ブラックホールの特異点定理を発表し世界に名をはせた有名学者です。

少し難しいですよね?(笑)

でもとにかくすごい人なんです!

このホーキング氏が放った名言は

人生はできることに集中することであり、できないことを悔やむことではない。

      スティーブン・ホーキング

この名言、素敵な言葉ですよね。

ホーキング氏の生い立ちを紹介します。

理論物理学者のスティーヴン・ホーキング博士は1942年にイギリスで生まれた。

その生い立ちは波乱万丈としかいいようがない。

ホーキング氏は17歳で名門オックスフォード大学に入り、物理学の研究を始める。

幼いころから『天才』と周囲から評されてきた博士は、大学でも突出した学生となっていった。

ところが、博士は在学中に筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症してしまう。

病気が進行していくにつれて、歩行はおろか会話もまともにできなくなってしまった。

当時の医学で博士の寿命は約2年と告げられた。

だがその後の約55年、ホーキング博士は医師の宣告を跳ねのけた。
しかし、スティーブン博士はALSだけではなく43歳の時に重篤な肺炎を患ってしまった。

それは大変な危篤状態だったらしく、担当医師はジェーン(当時の博士の妻)に対して「安楽死」を提案したそうです。

しかし、ジェーンはそれを拒否し、医師に手術をお願いしました。そして、手術は無事成功。

気管を切開したため、彼は会話能力を失ってしまいましたが、『ホーキング、宇宙を語る』がベストセラーとなり、スティーブンとジェーンは一気に富と名声を手に入れました。

スティーブン博士は天才と言われながらも若くしてALSを発症し、そして医師にも寿命が約2年と告られた。

もしこれが自分だと置き換えた時にはどう受け止めるのだろうか。

そしてどう乗り越えられるのだろうか。

筋肉は衰え、歩けなくなっても博士はこう言った。

私は幸運だ。

なぜなら脳は筋肉で出来ていないからだ。

こんな言葉を果たして自分が残せるだろうか?


そして同じ障害を持つ人たちにも強いアドバイスを残している。

障害のせいでできないことに目を向けるのではなく、

障害があっても上手くできることに集中してください。

身体は障害を負っていても、気持ちまで障害者にならないでください。


スティーブン博士はその後穏やかに76歳で息を引き取った。

亡くなってしまう最後の最後まで思考し、行動することをやめなかった。

ここまで偉大なスティーブン博士の数々の名言は
ここにも書ききれないほど残してくれています。

良ければたくさんの名言を読んで明日への活力にしてくださいね!

またスティーブン博士の半生を描いた映画もあるので興味のある方はぜひ見てくださいね♫

『博士と彼女のセオリー』(2014年)

イギリス製作の伝記映画。

子供の頃のように

できないことを悔やまずに

できないことを出来る幸せを感じて生きていきましょう。


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