見出し画像

「Jazz The New Chapter 2」拾い読み

2014年も、音楽はとても豊かでした。その中でもとりわけ活気があったのは、やはりジャズということになるでしょうか。そして、そのシーンの現状をいち早く(おそらく世界で最も早く)、捉えたムックが「Jazz The New Chapter」シリーズ(今の時点では「1」「2」の2冊がリリースされています)であることは間違いないでしょう。このnote記事は、ぼくが「Jazz The New Chapter 2」(以下「JTNC2」)で面白く読んだところをさらさらと羅列したものになっています。ちなみに、「1」についてはクッキーシーンで書評を書かせていただきましたので、興味のある方はそちらもご笑覧ください。こちらではクッキーシーンの書評と違い、音源なども挟みながら、肩の力を抜いた柔らかい読み物にしたいと思っていますので、そのつもりで読んでいただければ幸いです。

ぼくが今年聴いたジャズの中で一番好きな作品のひとつが、ギデオン・ヴァン・ゲルダー『Lighthouse』なのですが、このムックに掲載されている本人のインタビューと高橋健太郎さんのベッカ・スティーヴンス論考を読んでこの作品についての理解が深まりました。

本人インタビューでは「Visions」(『Lighthouse』収録曲)について、「中盤ですべての楽器がストップして、突然ピアノとヴォーカルだけが聴こえてくるんだけど、こういうモジュール式のアプローチはエレクトロ・ミュージックから直接的に影響された」とあって、これはなるほどなと思いました。本人の口からこうやって聞くと、アルバムの聴き方が変わってきて面白いですね。このインタビューはミックスの話などもしっかりしてくれてるので、聴取の幅が広がってきます。そして、ベッカ・スティーヴンスのヴォーカルの扱いについてはトニーニョ・オルタやミルトン・ナシメントの影響にあるという発言もありました。このギデオンが持つブラジル音楽への愛が、高橋健太郎さんの論考に繋がっていきます。

高橋さんの論考では、ギデオンの言葉と呼応するように(高橋さんは論考執筆時にはこのインタビューを読んでいなかったとのことです)、ベッカのスキャットを「ブラジル(ミナス)の女性シンガーかと見紛うような」と書かれています。そしてベッカのヴォーカル・スタイルについて、彼女の「歌い上げないスタイル」は、「ヴォーカリストとその背後で演奏するミュージシャンの関係変化と結びついている」もので、「ヴォーカリストを全面化した音楽から、ヴォーカルの背後で起こっていること全てを聴かせるような音楽へ」という、いまのジャズ・ヴォーカルにおける一つの兆候なのではないかと考察されています。ギデオンの新譜を考えるだけで、ずいぶん深いところに来てしまったな~、とたいへん楽しく読めました。

「JTNC2」で、ぼくがいちばん勉強になったのは、やはりECM特集です。良質なレコードを数多くリリースしているので、ちょこちょこと聴いてはいたものの、「古楽~ジャズ~現代音楽まで幅広く色々リリースしててありがたいな~」という程度の印象だったので。

レーベル・オーナーのマンフレッド・アイヒャーのインタビューを読めば、このレーベルが多様なジャンルの音楽の交差点として機能しているのがよくわかります。記事内でも、ジャズだけではなく、クラシックの話やフォルクローレの話も出ており、インタビューで顔を出している固有名詞を追っているだけでも、このレーベルがどのようなことを志向しているのかを知ることができて楽しいです。ECMについてまったく知らない方にも、たくさんの入口が固有名詞という形で用意されています。

このインタビューを起点にして、柳樂、原、若林、吉本の論考を読めば、さらに視野が広がってきます。それぞれ非ブラック・ミュージック、エレクトロニック・ミュージック、チェンバー・ミュージック、ワールド・ミュージックなど様々な切り口を通してECMを読み解いています。どれも非常に濃いものなので、ちょっと難しいな~と思った人はとりあえずアイヒャーのインタビューを読んで、気になった部分に該当する論考を読み進めてゆくのが良いでしょう。

ちなみに、インタビュー内でアイヒャーがジミー・ジュフリー 3(『1961』はECMにとってキーとなるアルバムです)にしっかり言及していたのが嬉しかったです。この部分があるおかげで、アイヒャーの音楽に対する好みの「核」となっているものがはっきりとわかるような気がします。久々に聴いてみようと思いました。この本を読んだ今なら、もうちょっといろんなことが見えてくるかも知れませんね。

あまり色々言及すると長くなっていけませんが、このムックには益子博之さんの「MINIMALISM&JAZZ CO-EXIST」という論考がありまして、この中でもECMが重要なものとして出てきています。ですからこちらの論考も、ECM特集と繋げるようなかたちで読んでみたいところです。

また、特集というかたちで取り上げられているものではありませんが、カルロス・ニーニョについての話題(主に「カルロス・ニーニョ再考」やミゲル・アットウッド・ファガーソンのインタビュー)が面白かったです。こんなにも色んな形で、LAの音楽シーンに影響を与え続けている人だということは知りませんでした。たとえば、カルロスがアルバムのプロデュースを手がけている、ゴー・オーガニック・オーケストラ。このオーケストラが、いろんなことの始まりになっていたということが「カルロス・ニーニョ再考」を読めばよくわかります。

このオーケストラに参加しているミゲル・アットウッド・ファガーソン(この記事の扉の人です)は、じつはこのムックの中で、ぼくが一番インタビューしてくれて嬉しかった人なのです。ムックに載っている若手の中で、一番期待しているのも彼です(2015年にはデビューアルバムがリリースされるらしいですね)。「僕はカルロス・ニーニョと出会って、そこからすべてが変わった」なんてことを言っていて、このムック1冊の中で色々なことが繋がっていて驚きますね。ミゲルのことを初めて知ったのは、レイ・チャールズがさまざまなミュージシャンとコラボしてる『Genius Loves Company』だったので、それ以来気にはしていたのですが、こんなに多くの仕事をしていたとは。

ミゲルのインタビューでは、彼が自分のストリングス・アレンジの特徴についても話しているので、それも読みどころです。また、「クラシックのシーンが嫌だ~」と言ってるところも気になりました(笑)でも、いまのインディ・クラシックシーンはとっても面白くなってきているので(インディ・クラシックの勃興については、このピッチフォークの記事を参照するとよいかもしれません)、きっと繋がりはできてくるはずで、その辺にもぼくは期待しています(もしかしたらもう繋がっているかも?)。元々はクラシック畑で、今はブラック・ミュージックの世界を中心にたくさん仕事をしているこの人が、この先どんなことをやってくれるのか楽しみでなりません。

ミゲルもカルロス・ニーニョも知らねえよ!という人はとりあえずこれを聴いてみてください。他にも色々入口はありますからぜひぜひ。

最後に、骨太の論考「CONTEMPORARY JAZZ IN NY」について。この論考のイントロには「ジョン・コルトレーンやキース・ジャレット、パット・メセニーに連続するコンテンポラリー・ジャズの変容に対して、なんらかの歴史的秩序をあたえてみたい」と書かれています。これを読んで、「JTNC2」が取り上げている対象の幅の広さに驚きました。イメージというのは恐ろしいもので、新世代のジャズを取り上げる「JTNC」シリーズには、「新伝承派」や「Mベース」、「ジョシュア・レッドマン」や「ポール・モチアン」なんて硬派な固有名詞は出てこないような気がなんとなくしてしまうのですが(実は前号にもこういった固有名詞はたくさん出てきているのです)、当然「今のジャズ」を考えるにはこういった歴史性を踏まえることは必須なんですよね。そういった意味で、この論考のコワモテ感は「JTNC2」において重要な位置を占めているなと感じました。文中で大和田俊之『アメリカ音楽史』の「偽装願望」というワードが重要なところで取り上げられていたところなどは興味深かったです。

以上でぼくの「Jazz The New Chapter 2」拾い読みは終わります。ほんとうはジャズ・ギターのところや、ポスト・ロックのところ、ジャズとビート・ミュージックについて書かれたものも面白かったのですが、あんまりダラダラ書くのもなぁと思ったので泣く泣く省きました。というか濃いんですよね、ほんとに。読んでて肩が凝ります。頭も疲れます。だから時間をかけてちょっとずつ読みました。読んだ後、また音楽が聴きたくなりました。そういう本です。今の音楽をジャズで切り取ったら、こんな景色が見えるんだという、とても素敵なガイドブックでした。

#ジャズ #インディークラシック

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?