第二子妊娠、つわり、そして家族というもの 2

  病院に行ったちょうどその夜から、体調の変化が顕著になった。夜ごはんの支度はなんとか終えたのだが、食べ終わるとそのまま動けなくなりぐったりと床に倒れこむ。偶然早めに帰宅できた夫が娘を風呂に入れ、湯上りのケア(保湿、着替え、ドライヤー、歯磨き)をやってくれた。わたしはというと皿を洗う気力もなく、娘と一緒にそのまま就寝。結局夫が皿洗いもやってくれた。そしてその日からそれが夫のルーティンワークとなった。
  つわりが本格化したのだ。
  朝昼はまだそこまで辛くない。が、夜になると倦怠感がものすごい。うっすら吐き気もある。食べる量も減った。妊娠直前にインフルエンザにかかっていたのだけれど、その高熱時の倦怠感とさほど変わらないレベルで辛い。特に昼間少しでも買い物に出かけたりすると、夜の体調不良が顕著になった。あっというまに晩御飯の支度もほぼできなくなった。まだ妊娠7週に入ったばかりなのに。前回は8週目辺りからひどくなったように記憶しているので、始まりが早い。
  とはいえ晩御飯が作れなくなることは事前に想定していたので、家族で買い物に行った際に夫がたくさん冷凍食品を買い込んでいた。冷凍パスタ、冷凍ラーメン、冷凍唐揚げなど。それからプチトマトやベビーリーフなど洗うだけで食べられる野菜、もやしなど包丁を使わずレンジで簡単に調理できるものも。
  普段冷凍食品というものをほぼ使わないので、わたしもちょっとどきどきしながら一緒にそれを食べた。まるで知り合ったばかりのちょっと悪い男の子に連れられて初めての夜遊びに出かけた女の子みたいに。なかなか刺激的な味でおいしい。最初はそれを喜んでいたのだが、あっという間に脂っこくて味の濃いものが食べられなくなった。というか、何を食べたいのかが自分でもわからない。お腹が空くと吐き気がするのだが、常に船酔いのような気持ち悪さがあり胃もたれしていて、なにを口に入れればすんなりと飲み込めるのかわからない。においの強いものでえづいてしまう。
  8週に入ると更にひどくなった。昼に少し出歩くと最悪の夜がやってくる。出歩いたと行っても、休日に家で簡単な昼食をとり、娘をお昼寝させてから公園に行き夫と娘が遊んでいるのをベンチに座って見守り、その後スーパーに買い物に行っただけだ。けれど買い物途中から吐き気でえづくようになり、お腹が空いているのかもと納豆巻きを買い食べながら帰るも、帰宅すると床に倒れこんで何もできなくなった。晩御飯どうする? という夫の問いかけに「食べ物のことは何も考えられないからどうにかして」とだけ答え、床で吐き気をこらえてうずくまっていた。指先までみちみちと強烈な吐き気が詰まっていて、鼓動に合わせてそれが体内でずんずんと暴れまわっている感じがする。目を閉じるとまぶたの裏側ががチカチカ光った。獣のように呻きながら小1時間苦しみ続けたのちトイレに走り、えづいてえづいて、結局嘔吐した。それから5分くらいは少しすっきりしていたが、また吐き気が戻ってくる。しばらく経ってからとりあえず何かを胃に入れなければ、と夫の作った大根の千切りサラダだけを弱々しく口に運んだ。その日はお風呂にも入らず娘の寝かしつけとともに就寝し、泥に引き込まれたように深く11時間ぶっ通しで眠った。
  
  吐き気はその夜ほど凶悪ではなかったものの、10日ほどそんな生活が続いた。お風呂は3日に1度だけ、どうにか体力を振り絞って入る。日中は常に横になっていて、洗濯だけは床に座ったままよろよろと作業し部屋干ししていたが、それすらできない日もあった。とりこんだ洗濯物はそのままかごに積み上げられていく。娘の相手も寝転がったまま。時々ごっこ遊びの相手などをしてやるのだが、異様に消耗して吐き気がこみあげてくるので、テレビを見せたりタブレットで知育アプリをさせたり、そんな時間が大幅に増えた。おさんぽにいきたい、と泣かれるのが一番辛かった。2歳だもの、母の事情なんてわからないし、もっとお外に行きたいよね。心が痛む。週に1度の一時保育はノーメイクでマスクというぼろぼろの姿でどうにか送り迎えした。車生活でよかった、子連れで電車なんかとても乗れる気がしない。
  夫は夕方に「晩御飯どうする?」と連絡をくれる。「今日は何もできない」「もやしレンチンしてナムルだけは作るから、あとはどうにかして」など体力に合わせて返事をすると、その都度何か買ってきたり、帰ってきてから味付け済みの肉を焼いたりして娘と晩御飯を食べていた。私はひたすら床にうずくまるのみ。娘の夕飯はほぼ生協で買った冷凍のかぼちゃコロッケ、枝豆、納豆ごはん、目玉焼きなど。元々ひどい偏食なので普段からそんなものなのだが、工夫して野菜を混ぜ込んだおかずなどを作ってやれないことに後ろめたくなるたび、「ほんの一ヶ月食生活が適当でも死にはしない」と自分に言い聞かせて落ち込まないようにした。娘本人だって別に食生活に不満を持っているわけではないんだから。
  相変わらず夫は娘の入浴、寝支度、皿洗いを担当していた。とはいえ仕事でも膨大なタスクを抱えていたので、わたしと娘が寝てからは毎日のように深夜2時、3時まで仕事をしているらしかった。もちろん休日も。申し訳ないという気持ちがないわけではなかったが、あまり謝らないようにした。なぜならわたしもまた限界ギリギリの生活をしているからだ。そしてそれはお腹に2人の赤ちゃんがいるから引き起こされた状況であり、その妊娠もまた2人で決めたことだった。1人目の時はいちいち申し訳ないとかもっとやらなきゃとかヘコんでいた覚えがあるけれど、今はそんなふうには思わない。もちろん当たり前だとも思っていない。たくさんの感謝はしているし、それは毎日伝えていた。
  夫もそれをわかっているのか、ギリギリの生活に文句を言うことはなかった。むしろ苦境に立たされると常に彼がそうであるように、いつも明るかった。おなかすいたー! と帰宅し、フットワーク軽く冗談を言いながら夕食の支度をし、娘と話しながら食卓に着く。夫が帰宅するとぱあっと家が明るくなり、ちょっとした冗談にくすくす笑っていると、その間はつわりをちょっと忘れられた。冷凍食品続きでも「ラーメンとカレー最高」と自分で野菜をトッピングしてもりもり食べている。けれど普段わたしが用意する食事は基本的に「炭水化物控えめ、タンパク質多め、野菜たっぷり」なので、真逆の生活になった夫はもりもりとふくよかになっていったけれど……。

  わたしはというと、食べる量が激減し、そのうちにお米が一切食べられなくなり(見ると胃がぐったりとしぼんでいくように食欲がなくなる)、肉魚も受け付けなくなった。お昼は麺類ならどうにか口に入れられたので野菜や卵を加えて食べ、夜は吐き気でえづいてぐったりしながらトマトを刻んで入れた納豆とクラッカー数枚をねじこんだり、りんご半分とサラダだけだったり、という生活になって、体重が少しずつ減っていった。前回のつわりでは確かに食欲は減ったし「何を食べてもおいしくない」「空腹になると吐き気がして、食後は胃もたれして吐き気がする」という辛さはあったが、とりあえず無理矢理でも食べられてはいたので体重が減ることはなかった。明らかに以前より重いつわりだ。妊娠ごとに異なるというからその差なのか、それとも3年半近くの加齢による影響なのかはわからない。前回は1度も吐かず、おえおえとえづくだけで乗り切ったけれど、今回は数回吐き戻しもあった。8週から11週まで、週に1度のペースで吐いた。吐き続けるつわりの人に比べればもちろん全然マシだったんだと思うけれど、吐かずとも毎晩何度もトイレに駆け込み、涙目でえづき続けるのもけっこう辛かった。吐き気って本当にダイレクトに精神をえぐっていく。

  つわりの辛さは、長期間続くことだ。そして終わりが見えない。前回はこのくらいだったから、と経験から想定していても、うっかり「つわり いつ終わる」とか検索してしまい「1人目は安定期で終わったけれど、2人目は産むまで続きました」という情報を目にしたりして、このままずっと続いたらどうしよう……と恐れたりする。意味のない不安なのだが。
  病院に行った夜に倒れてから、1週間が経ち、2週間が経ち、来週こそ楽になるはず……と思いながら3週間が経った。4週間目に突入したある休日、つわり開始以来初めて夫と険悪になった。
  ある日、急に夫の友人が遠方から遊びに来ることになった。夫は親友がわざわざ遠くから来てくれるし、せっかくだから一緒に宿でゆっくり飲んで泊まって来たいんだけどいいかな、と事前に相談してくれた。おっとが外泊するのは不安だったけれど、わたしのつわりもピークを少し超えていたし、それまで睡眠時間を削って頑張ってくれていたので息抜きしてほしい気持ちもあって、行ってらっしゃいと送り出した。その夜はどうにか娘に晩御飯を食べさせ食器を洗ったが、お風呂だけはどうしても入れず、娘の身体を拭くだけにして一緒に寝た。翌日の朝には少し元気を取り戻していたので、娘とシャワーを浴びてから家に迎えに来た夫や友人と合流し、みんなで昼食を食べに行き、帰る友人を見送った。
  夫と友人は前日夜中の3時まで飲んでいたらしく、その日の夕食後に夫は力尽きて居間でそのまま寝てしまった。娘とたっぷり昼寝もしてたけど……まあ疲れが溜まってただろうから仕方ないよね。昼に出かけたから自分ではお風呂に入れられそうにない。小一時間したら起こそう、と思った。
  いつも通り晩ご飯はほとんど食べられないまま、吐き気を堪えつつおもちゃで遊ぶ娘の相手をしていた。そのうちに娘がうんちをした。でも夫は起きないし、お風呂まではまだ時間があるからこのまま放置してはおけない。においで催す吐き気をこらえながらどうにかおむつを替えた。ぜいぜい肩で息をして背中を丸めながら、這うようにしておむつを洗面所のゴミ箱まで捨てに行く。そうやって1時間が経った。夫は起きない。
  夫の身体をゆすりながら、「いつまで寝てるの? そろそろお風呂に入れてほしい」と言った。疲労と吐き気で口調がきつくなった。夫はしかめ面で目覚める。「なんで怒るの、これだけやってるのに」。それから娘に乱暴に「お風呂に入るぞ」と呼びかける。「疲れてるんだったらお風呂に入れなくてもいいんだけど、さっきうんちしたからお尻は洗ってあげないと……」と言うと夫がかぶせるように「ええ? また放置しておむつ替えてないの?」と苛立った口調で言うので、反射的に頭に血がのぼって怒鳴った。「替えたよ! 吐き気ひどかったけど、替えたし娘の相手もしてた!」
  娘は「ママおこらないで」と泣き出した。夫はしばらく黙っていたが、
「やってもらう前提なのおかしいでしょ。怒らないでよ」とふてくされたように言い残し、泣く娘を連れて夫はお風呂に向かう。
  身体を引きずるようにして、たたんでいない洗濯物の山から娘のパジャマを掘り起こし、おむつと一緒に置いておく。それから手すりにすがりつくようにして階段を上り2階の寝室の暖房を入れて(冬は冷蔵庫のように冷え込んでしまうので、寝かしつけの30分前には暖房をいれておかなければならない)、娘の布団やスリーパーを整えた。それだけのことなのに、老婆のように背中を丸めてのろのろ歩いて息を切らし、階段を降りている途中でえづき、トイレに駆け込んでおえおえとまたえづいた。苦しいけれど吐き戻しはなかった。これはいつまで続くんだろう、と思った。もう1ヶ月が経つのに。いい加減うんざりだ。身体が辛くてもいつかは終わる、せめて気持ちだけは明るく、夫にその方面では負担をかけないようにしないと。そう思っていたのに。
  湯上りには、夫も娘も機嫌は直っていた。いつもの通りにこにことバスタオルをかぶって出てきた娘にどうにか保湿剤を塗り、肌着とおむつを着せてからあとはぐったりと倒れ込んでいた。夫が娘を膝に乗せてドライヤーで髪を乾かし、歯磨きをしてやる。わたしも吐き気で震えつつパジャマに着替え、全身つやつやときれいになった娘と寝るばかりになった。
「さっきは嫌な言い方してごめん」かすれた声で夫に話しかける。
「いや、別にいいし、謝る必要もないでしょ」と夫。
  わたしは感情的な諍いが起きた時は謝りあいたいのだけれど、夫は「お互いに謝る必要のない案件」として処理したがる。どちらがいいのかわからない。
  でもわたしは何かが限界だった。
  ごめんね、ごめん……と呟くとぼろぼろ涙が出てきた。夫が少し困った顔をして、どうしたの、おいで、と手を広げる。それで胸にすがりつくようにしてわあわあ泣いた。娘がかたわらできょとんとしている。ママ疲れてるんだって。と夫が説明した。
「仕事が忙しいのにたくさん家事とかしてもらってるから、せめて弱音吐いたりしないようにと思ってがんばってたんだけど、毎日どこにも行けないし、なにもできないし、吐き気もすごいし、食べられないし、辛くなってきて」
  そんなようなことを泣きながら途切れ途切れに喋る。
「別に弱音吐いてもいいよ。それより怒られる方が嫌だから」というようなことを夫は言っていた。泣きすぎてあんまり覚えていない。
  そうか、弱音は吐いてもいいのか……。確かにイライラしたところで何も変わらない。思えば夫も「仕事が忙しくてさすがに疲れてきたなぁ」とかちょっとした弱音はこぼしていたけれど、わたしに当たることはなかったな。わたしも、その弱音は「そりゃ疲れてるんだから当然言いたくなるよね」と自分が責められているとは捉えずに処理することができた。
「わかった、そうする」
  そう言って顔を上げると、夫のパジャマの胸元はわたしの涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。
「もうこんなだから、これも拭いちゃっていい?」まだ残る鼻水を指差すと、別にいいよと返答が来たのでぐりぐりと拭きあげた。てっきりそのあと着替えると思っていたんだけど、「こんなんなんの問題もないでしょ」と夫は着替えることもなくそのままであった。

  つわりのあいだ、体調不良の次に辛かったのは、夫婦の時間がなくなってしまうことだ。わたしは娘と一緒に早めに寝てしまうし、夫は育児と家事と仕事でとにかく忙しいしで、ゆっくりと普通の話をする余裕もない。食事の時間であっても、わたしが床にうずくまって枝豆を一粒ずつ口に放り込みどうにか咀嚼している間、夫はなかなか食の進まない娘のお世話(これがかなり手間がかかり、また忍耐を要求される)をしながらご飯を食べるので、本当にほとんど話すことができないのだ。
  そうするとどうしても感情面でのすれ違いが起きる。これだけやってるのに、これだけ我慢しているのに、という不満が、お互い表現しないまでもちりちりと心に積もっていく。それが寂しかった。でも寂しいなんて言うと「心のケアまで僕がやるの? できないよ」と言われるのは目に見えている。
  妊娠12週目に入ったある日、実際に「寂しい」と口にした。そしてやっぱり言われた。「メンタルのケアまでは僕の仕事じゃない。自分でなんとかして。今は他のことで忙しすぎて、リクエストされても余裕があるときしかやってあげられない」と。以前のわたしならここで泣いて、「わたしのこと愛してくれてないんだ」とか言っていたと思う。でも今回は違った。
  感情のシェアをする時間が欲しいんだ、と伝えた。寝る前の3分、いや1分でもいい。仕事の手を止めて隣に座って、今日はこんな体調だったよ、お腹の赤ちゃんは今こんな風に成長してるらしいよ。今日はこういう家事をしてくれてありがとう。そういう話がしたい。辛い気持ちを押し付けたいわけじゃない。わかちあってくれるだけでいい。感謝もちゃんと言いたい。お互いにとって必要な時間だと思う。
  具体的で負担の少ないやり方を提示したのがよかったのか、夫はその提案を受け入れてくれた。ほっとした。そしてそれは実際にお互いにとってよいことだったと思う。わたしが話をした後で、夫もその日の仕事がどれだけタフで手間のかかるものだったかを話してくれるようになった(年度末にかかっていたこともあり、彼の仕事も本当に大詰めで、文字通り死ぬほど忙しかったのだ)。そうするとわたしも労りの言葉をかけることができる。
  長引くつわりの間に少しずつねじれて積もった生活の緊張が、ほろほろと緩んでいく手応えがあった。夫は忙しくなると常に脳内仕事モードになりそういうちょっとしたやり取りを省略しようとする傾向があるのだが、少なくとも私たちの間では、それはあまり省略してしまわない方がいいらしい。一緒に暮らすことのやわらかな喜びが徐々に戻ってきた。何もできない自分がこの上なく非生産的なお荷物にしか思えない日々が続き、どんより重かった心もくつろいだ。
  実際にはお腹の中で、この世で最も創造的と言ってもいいくらいのことが起きているんだけど、なにせ目には見えないこともあって、生活の中ではつい忘れてしまうのだ。

 

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