河原理子『フランクル『夜と霧』への旅』(朝日文庫、2017年)を読んで。

 フランクルの『夜と霧』はみすず書房を代表するベストセラーである。時にベストセラーともなれば「ちょっといい話」の類の受け取られ方をしてしまうことも見受けられる。しかしベストセラーとして多くの人が手に取る以前にまずこの本は「深く」受け留められていたのである。日本におけるフランクルにまつわる出来事を丹念に追っていった本書はそのことを明らかにしている。
 奇しくも東日本大震災と時を同じくして書き継がれていった本書は、改めてどうして今フランクルの『夜と霧』が読まれるのかを明らかにしている。アウシュヴィッツを生き残った人として受け止められがちなフランクルは、強制収容所の生還者である前に、一人の医師であり、生きることの意味を説き続けた哲学者であった。本書はフランクルの他の著作を突き合わせながら解説していく本とは一線を画し、ただひたすら著者が見出した様々な『夜と霧』との出会いを追跡していくものである。そのジャーナリスティックな筆致を通して確かめられる事実の一つひとつは、ともすればフランクルにすでに親しんでいる読者にとって新たな発見をもたらすものであろう。そういったものとして日本における受容を決定づけた訳者の霜山徳爾のドキュメント、あるいは著者が強制収容所で確かめるプーヘンヴァルトの歌をめぐる事実の一つひとつが挙げられよう。そしてエリーがフランクルを語る箇所はフランクル自身が語る「日常の形而上学」を如実に浮かび上がらせる。フランクル自身は自らを語らない、そしてフランクルを実際に知る人々も自らを語らない。そうしたフランクルに近しい人々を訪ねて書き記された本書は自らを語らない人々の声を集め、フランクルの生きた姿を記録した特異なドキュメントである。
 著者は、フランクルが語ることを「理解する」のは難しいことではないが、それを「受け留める」のが難しいのであると書いている。しかしそのフランクルの言葉がどのように人々の心を揺さぶったのかを確かめる本書は一見平易に語りかける特異な思想家の深みをありありと感じさせてくれるものである。苦悩に貫かれながらも実存を賭すように日々を生きたフランクル。その人自らがその思想の証であることを示す一言がエリーによって語られている。「彼は、自分の治療を受ける人に誠意を尽くして、すべてを与えました。私はいろんな医者を知っているけれど、それは普通のことではありません。医者は本来どうあるべきか、その姿を映しているように、私には思えたのです。」

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