古典ギリシア語学習について

 筆者が古典ギリシア語を読みたいと思ったのは新約聖書を原語で読みたいと思ったからである。しかし大学で授業を受け始めたらプラトンもアリストテレスも原語で読みたいなと思ったものの、専門的には進まなかったという経緯がある。学習者としての経験を踏まえて、体験談も交えつつギリシア語学習の参考になりそうなことを書き記していきたいと思う。

 最初に古典ギリシア語の手ほどきを受けたのは大学の授業でである。みっちりやりたいと思っていたので哲学科で開講されていた一年間の授業を受けた。その時に使用したのは田中美知太郎・松平千秋『ギリシア語入門』である。とにかく一週間で数課の問題を解かせ、授業の初めに黒板に本文と回答を板書するという何とも恐ろしい授業であった。何度も休もうと思ったのは今となっては懐かしい思い出である。
 古典ギリシア語学習者を襲う最初の関門は文字に慣れることである。アクセントが大事だということが口酸っぱく説かれるのに田中松平の教科書は気息記号すら判読が難しくハードルをより一層高くしている(後述する他の教科書は比較的見やすいです)。まずはこのハードルを乗り越えるために植田かおり氏の『古典ギリシア語のしくみ』を勧めたい。この本は文字に慣れることと文法的な骨組みを理解させることの両方が可能だからである。
 ただ田中松平の教科書は模範解答もついておらず、独習者にとってはハードルが高い。しかし授業で繰り返し参照されていた巻末の格の用法は秀逸で、この部分はコピーして丸覚えしてしまうとよい箇所である。独習者が最初に用いる教科書としてはお勧めできないのであるが、一世代前の研究者の方々が愛用していただけあって簡潔ではあるが大抵のことは書いてある。そして既修者にとっては案外読みやすい例文も魅力的かもしれない(授業の時は文字に四苦八苦して内容が入ってこなかったのだが、今では名言集的な例文であることに気が付かされる)。

 独習者にとって古典ギリシア語を学ぼうとする読者がまず手に入れたらよいと思うのはやはり堀川宏氏の『しっかり学ぶ初級古典ギリシャ語』であろう。いくつかの文法書を読み比べると堀川氏の本書は田中松平に書かれている内容を含みつつ、より詳しく読者に伝わりやすい仕方で説明してくれる本である。本書には初学者には嬉しい模範解答がついているのであるが、古典的な文法書とは構成がだいぶ異なっており、実際に解き進めようとすると進度の速さの違いに戸惑う読者はいるかもしれない。それから文法事項が目次を頼りに探すしか手掛かりがないのがちょっと残念ではある。しかし本書は語りかけるような調子で叙述が進んでいくので独習者にはうってつけの本であり、既修者にとっても通読をお勧めしたい内容である。

 現在学び直しで用いている教科書は水谷智洋『古典ギリシア語初歩』である。幸いこの教科書を用いている授業に参加しているのであるが、本書を授業で用いるところが多いのも頷ける教科書ではある。本書は模範解答が付いていないため独習者向けではないのだが、まず何よりも巻末に付された変化表が素晴らしい。20ページほどの巻末の動詞の変化表は古典ギリシア語文法の全体を網羅している。動詞の相別に時制で整理された変化表はコピーして持ち歩くのに非常に便利である。もちろん荷物に余裕のある方はこの本自体を持ち歩いてもさほどの重さではないであろうし、ハードカバーなので傷みにくいのも粋な心配りではある。学習する中で重要と思われる個所や覚えていないなという変化表をピックアップしてコピーして持ち歩くのをお勧めしたい。
 内容は田中松平を簡略化したようなものなのでそれほど詳しい説明ではない。覚えるべき文法事項を厳選した内容が凝縮されており、巻末の文法索引を手掛かりに隅々まで読みこなすことを求めているのであろう。練習問題の注でしか説明されない事項が多々あるのは玉に瑕ではある。本書の特徴はその進度にあり、本書にはいくつかの山場が設けられている。比較的早くにμι動詞が出てきて、分詞と接続法の二つの峠がある。従来の古典的な教科書では変化表を参照せよとだけ書かれて説明だけ載せられることが多いのだが、その課ごとに可能な変化表を十全に提示してくれている。学習者に全体の見通しを与えつつも、どの段階を学んでいるのかを気づかせてくれる構成になっているのである。

 それから学習者にとって便利な表と説明が収録されている文法書として大貫隆『新約聖書ギリシア語入門』はお勧めである。以前ノートにも書いた内容に加えて、§439の条件文の一覧はコピーして手元において置くのがお勧めである。模範解答もついており、水谷と同様にその課ごとに変化表が詳しく載せられつつ、巻末にはきれいな一覧が掲載されている。ただ構成はμι動詞で終わるので、学習者にとっては難しくなったところでお終いという感が否めない。ルカ福音書は分詞を多用しており、与える(ディドーミ δίδωμι)や立つ(ヒステーミ ἵστημι)は頻出単語でもあり、本書のみでの学習では難しいことが分かるという段階にとどまってしまうかもしれない。とはいえ、いろいろな意味でおいしいとこ取りな本書は手元に置いておきたい一冊ではある。

長々と書き記しましたが、最後にそれぞれの文法書のコピー推奨リストを挙げておきます。
田中松平「格の用法」§626~§638(168~171頁)
水谷の巻末の変化表一覧(名詞151~171頁、動詞172~195頁)
大貫「条件文一覧」§439(129頁)

以下、言及した書籍のリンクを貼ります。

田中松平の新装版は判が大きくなりました(その分携帯性は劣りますが、気息記号は前より見やすくなりました)。

古典ギリシア語学習は長い道のりです。古典ギリシア語に興味を持った方が早い段階で躓きの種を取り除くことができるようにと書いてみました。健闘を祈ります。私も学び続けます。

以前に書いた関連記事も載せておきます。


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