教皇フランシスコ/早野依子訳『コロナの世界を生きる』(PHP研究所、2021年)を読んで。

 教皇フランシスコの文章は回勅、使徒的勧告、講話集が主なものである。どれも全信徒に宛てられたものであるが、回勅はカトリック教会の公式な立場を表明するものと見なされている。教皇フランシスコに関してはその回勅においてさえ私たち一人ひとりの叫びを聞きイエスの呼びかけを伝えようとする律動を湛えている。それらの文章ではもちろん、教皇は自らの思想を語ることはない。しかし教会が向かっていくべき方向を明確に見定め、一人ひとりの苦しみを汲み取る文章は教皇フランシスコならではと言えよう。本書『コロナの世界を生きる』は教皇自らの名で出版した数少ない著書の一つである。自らを語ることの少ない教皇がコロナ禍という新たな危機を通して何を考えているのかが語られる稀有な一冊である。
 中でも印象的なのは、私たち一人ひとりにとってコロナ禍が何であるかを見定める手がかりとして、教皇自身が我が身に降りかかった苦悩の時を振り返っていることである。危機の中で出会った37巻に及ぶ歴代教皇史は図らずも自らのその後を準備するものであったのであり、若いころから親しんでいたロマーノ・グアルディーニの思想は単に研究の対象としてではなく、その霊的深みから苦難の時に自らを支える導きであったことが率直に語られている。私たち一人ひとりが置かれた状況の中で最善を尽くすことが求められるのは自明であろう。しかしその最善をどのように見出せばよいのか考えあぐねてしまうかもしれない。教皇にとって、身動きの取れない状況下でグアルディーニの識別が大きな支えとなったというのである。
 教皇フランシスコの文章に触れる人は、たとえそれが回勅であっても私たち一人ひとりの苦しみを汲み取り、省察に基づいた言葉であることを感じるであろう。本書においてその理由の一つが示されている。それは「聞く」ということである。自らが語ろうとするのではなく「聞く」ことを通して深く理解し、適切な道筋を見出すことの大切さを本書において説いているのだが、教皇自身が日々実践しているからこそ教皇の書く文章は読む人の心を揺さぶるのであろう。本書においては教皇がどのような意識で数々の回勅や使徒的勧告を発されていたのかが率直に語られ、その意味で余人をもってしては書き得ない教皇文書入門ともなっている。教皇フランシスコは対立の中にさえ聖霊の働きを見出し、私たちが進むべき方向を問いかけている。私たちの今を見定め、確かに歩むための道しるべとなる一冊と言えよう。

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