見出し画像

排斥と拡大 -Closerと初音ミク-

「諦めが産んだ異物 The Chainsmokersについて」というnoteを拝読した。非常に示唆に富んだnoteであり、色々と考えさせるところがあった。

(ご本人のnoteはこちらから)
https://note.com/embed/notes/nee3f24acf1db

まずこのnoteは、The Chainsmokersのアルバムが酷評されていることを紹介し、その理由について迫っている。

海外の様々な批評・レビューを集計するサイト、Metacriticでは今年最低点となる42点を記録しており、ユーザースコアに至っては10点満点中1.2点という有様だ。ここまで低いユーザースコアはちょっと見たことがない。あらゆる批評家と音楽好きが総出でこのアルバムを批判している感じだ。

著者の指摘:なぜThe Chainsmokersのアルバムが不人気なのか

筆者は一般的にEDMを「大規模な会場で鳴らすことを前提としたダンスミュージック」であるとし、「だからこそ歌モノの場合、その歌詞は力強くスケールの大きいもの(もしくはただ盛り上げるだけ)になる事が多い」と指摘している。

なるほど確かに例として挙げられた''Wake me up''や''Titanium''など、人気のEDM曲は現状への不満とそれを支えるビート感で成り立っているような印象を受ける。著者の指摘の通り、「大規模な会場を鳴らす」ために作られた曲であるといっても過言ではないだろう。

それに反してThe ChainsmokersのCloserについて下のような指摘をしている。

今までは自分を鼓舞するような、あるいは世界観の一部となるような楽曲が多かったシーンにおいて、彼らは恋愛ドラマのような世界観と内省性を持ち込んだ。それは楽曲展開においても同様で、トラップ全盛の現行シーンに対して、スローかつメロディアスなドロップを持ち込むことで、徹底的に楽曲の世界観を作り込んでいる。

また、''Paris''や''Something just like this''の現実離れした描写を例にとり、「このアルバムを一人で、あるいは親しい人と聴いている間は、ファンタジーの世界にどっぷりと浸ることが出来るはずだ」としている。ただ、それは人々がEDMに求めることなのであろうか。これに対し 著者は「一切フロアのことを考えていない」との指摘をしている。

私はこの方のnoteを拝読している中で、思い出す楽曲があった。初音ミクの「メルト」である。

評価が二分した「メルト」

ボーカロイドの先駆的存在として広く知られている初音ミクの楽曲「メルト」。これが発表されたとき、その評価は二分したという話を聞いたことがある。

そもそも初音ミクは超人間性をもったキャラクターを多くの人がプロデュースするという点において、女性ボーカリストやアイドルとは一線を画していた。「初音ミクの消失」に見られる、人間では到底不可能だと思われるような速い歌い回し、あるいは彼女の広い音域、世界観…。

例えば「初音ミクの消失」では

ボクは生まれ そして気づく
所詮 ヒトの真似事だと
知ってなおも歌い続く
永遠(トワ)の命 「VOCALOID」
たとえそれが 既存曲を
なぞるオモチャならば
それもいいと決意
ネギをかじり 空を見上げ涙(シル)をこぼす
だけどそれも無くし気づく
人格すら歌に頼り
不安定な基盤の元
帰る動画(トコ)は既に廃墟
皆に忘れ去られた時
心らしきものが消えて
暴走の果てに見える
終わる世界... 「VOCALOID」

このような歌詞を冒頭に歌わせている。この歌詞をとんでもない早口で人間に歌わせようとする人がどこの世界にいたものだろうか。なるほどボーカロイドだからできる世界観である。

当時の「P」たちは初音ミクに「彼らだけの音楽」を重ねていたのだろう。

一方で「メルト」はいかがだろう。

朝、目が覚めて真っ先に思い浮かぶ君のこと
思い切って前髪を切った
「どうしたの?」と聞かれたくて
(中略)
メルト溶けてしまいそう
好きだなんて絶対に言えない
たけどメルト目も合わせられない
恋に恋なんてしないわ わたし

この歌詞を見て、初音ミクの歌である必然性はないことに気が付く。むしろ乃木坂46などのアイドルグループや、miwaなどの可愛らしいボーカリストが歌っていた方が自然であるとすら感じさせる。

当該楽曲に低い評価をした人々は、メルトの持つPOP性を「彼らの音楽」に持ち込ませたくなかったのではなかろうか。

排斥と拡大

The ChainsmokersがEDMシーンで酷評されたのは、メルトがボーカロイドシーンで酷評されたのと同じ構図である。つまり、もともとの土壌を作り上げてきた/享受してきた人が、違う土壌の音楽性に対して反発を覚えたために彼らの楽曲は評価を得られなかったのではないか、と私は想像する。

しかしそれは一方で、彼らの愛するEDMやボーカロイドに対して疎外感を感じていた人をその領域に取り込むことに繋がる可能性を感じさせる。今までポップスに親しんできた人にとって、Closerやメルトは敷居がそれほど高くない。これは新たな層に対して はたらきかけることのできるチャンスでもある。

現代において、排斥と拡大は常に起こっている。「ひとり」に対して否定的なニュアンスを持っていた人たちも、最近では「一人○○」を楽しんでいるではないか。かつて理解が得られなかったオタク文化は、クールジャパンの名のもとに広く理解されているではないか。

新たな風を排斥することなく、拡大であると捉えた方が幸せではあるまいか。少なくとも私はそうありたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?