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レールから外れた人生を肯定するべきか

 しばしばこういうことを言う人がいる。
「優秀な人間は頭が硬いから、レールから外れることを恐れる」といったことだ。ここで言うレールは大企業に入って出世競争をして、といったことだろう。大体の論者は優秀な人がレールの上の人生に乗って量産型エリートとしてつまらない人生を送ることを憂いているのだろう。

 しかし、本当にレールから外れた人生が良いかというと、そうでもないと考えている。筆者の見解では、レールに外れないのなら、それに越したことはないと考えている。レールから外れる人間は別に恵まれている訳では無いし、そもそもレールの上の人間よりも優秀かも微妙である。今回はレールから外れる人生のデメリットを考えていこうと思う。

1.収入が不安定で低い

 まずこれが挙げられる。レールに乗った人生の場合、安定した収入が毎年のように得られる。日本社会の仕組みを考えると、レールに乗った人生の人間は社会保障としても対処しやすい。日本の社会保険制度は大企業の正社員を守るためにあると言っても過言ではないと思う。

 一方でレールから外れた人生はどうか。まず失敗すれば到底レールの上の人間には追いつけない。レールから外れた人生は収入が不安定なので、トータルの生涯賃金では劣るケースがほとんどだ。レールから外れた人生の場合、若い頃に一発当てて、死ぬまで逃げ切るような形になるだろう。これが可能になるには相当当てないと不可能だ。しかも、事前に大金を稼いで逃げ切るケースは相応のリスクがある。金を浪費してしまったり、詐欺やインフレで資産が消し飛んだりとなる。これに比べたら終身雇用で毎月収入が得られるレールの上の人生の方がよほど快適である。

 例えば大学野球部の強豪がプロ野球選手になったケースと、総合商社に行ったケースを考えてみよう。前者は若い頃の年収は高いが、一部の上位層を除いて2000万や3000万が関の山である。引退後は総合商社に行った同級生に劣後するし、50代60代になると生涯賃金でも抜き去られているだろう。福利厚生の差も馬鹿にならない。その上野球選手は若い頃の資産でFIREしている状態なので、詐欺やインフレに気をつけないといけないし、精神衛生上も良くない。総合商社に進んだ同級生が働き盛りで出生競争に邁進しているのに、、老人のような状態になってしまうのだ。

 要するに、若い頃に一発当てて1億2億を稼いでも、人生トータルだと会社員には追いつけないし、資産を失うリスクも遥かに大きい。ブログでもバズを狙うよりも安定したアクセスの方がPV数は増えるという。レールの上の人生の方が安定性ばかりか生涯年収も高いのだ。

2.家庭経営が難しい

 レールから外れた人生でも、まだ独身で若いうちなら楽しいだろう。問題は結婚したり、子供ができたりするケースだ。この場合、収入は安定しているに越したことがない。30過ぎると人生はつまらないと言うが、逆にこの年代は変化が起きない方が良いのである。

 本人は確かにレールから外れた人生で幸福感を感じたり、自己実現できたりするかもしれない。しかし、本人の自己実現は妻子にとってどうでもいい話だし、むしろ家庭への関心がおろそかになるかもしれない。内容によっては婚期を逃すかもしれない。例えばお笑い芸人をやっていて、40近くなって収入が得られるようになっても、その時には同級生の多くは結婚して子供がいるだろうし、女性の場合は妊娠が難しくなるかもしれない。

 職業上の自己実現のためならレールから外れた人生でも問題ないかもしれない。しかし、人生は職業だけで回っているわけではない。家族の方がむしろ大切という考え方もある。明らかにレールの上の人生の方が家庭経営にとっては有利だし、最初からそのように設計されているのだ。

3.持ち崩しやすい

 寿命の長い職業には共通点がある。それは「健康診断」を受けていることだ。管理された人間は管理されない人間よりも遥かにパフォーマンスが良い。人間の自由意志とは脆いもので、自由にして良いと言われると、多くの人間は持ち崩してしまうのである。

 レールから外れた人生は比較対象になる同級生や注意してくれる上司がいない。そちらの方がやりやすいという人間もいるかもしれないが、やはりトータルでは管理体制がしっかりしていた方が良好な人生であることが多いだろう。

 社会のレールから外れてしまうとアル中になってしまったり、社会性が乏しくなってしまうなど、自由意志が故のリスクが伴ってくる。人間の多くは自由意志を使いこなせないし、ある程度判断の枠が存在していた方が有用だ。例えるならば、レールから外れた人生は宅浪のようなもので、多くの人間は怠惰な方向に走ったり、気づかない間に社会とのズレが拡大していったりして、パフォーマンスが下がってしまうのである。

4.社会的信用がない

 人間の社会的な地位はなにも年収や資産だけで決まる訳では無い。それとは別に社会的な信用は大切だ。同じ年収1500万でも銀行員と暴力団関係者では全く社会的な威信は異なるだろう(後者の方がかっこいいと思う人もいるだろうが)。やはりしっかりしている組織に属しており、管理統制を受けていて、安定して収入があるという事実は大切である。個人事業主の知人と銀行員の知人、どちらが逮捕されたり騙してくるリスクが大きいかと言えば、前者である。

 実のところ、職業選択の上で社会的信用というのは大きな影響力を持つ。同じ給料でもビッグモーターで働くよりはメガバンクで働いたほうがステータスは高いだろう。レールから外れた人生の人間はある種の危険人物のように見られる時もあるし、普通の一市民として暮らすならレールの上の人生の方が有利である。

5.レールの上の人間の方が優秀

 社会的に目立っている人間はレールの上から外れた人間が多い。したがって、一見成功者といえばレールから外れた人間を想定してしまうことがある。しかし、実際どうなのか。高学歴エリートの動向を見ても、優秀な人ほどレールを外れない。レールから外れた人間は全員ではないにせよ、能力的に不足していたり、何か問題を抱えていることが多い。

 奇妙なことだが、この国の成功者は会社に入れなかった人間によって構成されているのである。レールから外れた人間が社会的に目立っているのも、そうしなければ生き残れないからという側面もある。好きで有名人をやっているわけではないかもしれない。更に言うと、場合によっては有名人は嫌われるし、社会的な信用も低い。

林修のケース

 レールから外れた成功者の例として、林修が挙げられるだろう。この人は東大法学部を卒業後に長銀に進むが、半年で離職して3000万の借金を作り、予備校講師となった。現在はお茶の間のスターである。

 確かに年収や知名度では林修は圧倒しているかもしれない。しかし、半年で離職した人間よりもどう考えてもそのまま勤務を続けた人間の方が優秀だろう。また、林修はその後に3000万の借金を作っている。どう見ても健全な人間の振る舞いではない。レールから外れた人間がいかにハイリスクな行為に手を染めてしまうかが良く分かる。林修は50歳を過ぎてから子供を作った。レールから外れた人生の場合、家庭経営において致命的に不利なのだ。林修はそれでも妻子がいて良かったが、このまま独身だった場合、人生で大切なものの一部が欠落してしまうことになる。

 林修のケースを見ても、あまり魅力的な人生とは言い難い。レールの上の人が充実した人生を送る20代30代に地獄のような思いをしているのだ。偶然大当たりしたから命拾いしたようなもので、本来だったら劣等感に打ちひしがれて孤独な人生を歩むことになっただろう。レールの上の人生の方が遥かに快適で安定していたはずだ。

レールから外れた人生を肯定すべきか

 最近は特にレールから外れた人生を肯定する動きがあるのだが、筆者は懐疑的である。今まで挙げたように、レールから外れた人生は多大なるデメリットが存在するからだ。有名人はある種の生存バイアスであり、普通の人間が真似して良い存在ではない。むしろこの手の集団はレールに乗る能力がなかった残余の存在であり、格上の集団とは言い難いだろう。

 レールから外れた人生を肯定する風潮の一つは自己実現を良しとする流れがあるのだろう。お陰で日本人の若者の目線は自由な職業的成功に向くようになった。しかし、こうしたブームには家庭という要素が抜け落ちている。適齢期に結婚し、子供を複数設けるなら、職業上の自己実現よりも一刻も早く安定した仕事について婚活するべきだ。レールの上の仕事はつまらないかもしれないが、その代わりに家族から幸福を得ることができる。

 レールから外れた人生を肯定する土壌の原因は少子化と関連しているのだろう。お陰で結婚して子供を育てることよりも、職業上の自己実現の方にエネルギーが割かれている。その代償は独身中高年の激増という形で帰ってくるだろう。夢を諦めて就職し、地道に働いている人間の方が仕事はもちろん、家庭という観点でも明らかに社会に貢献しているのではないか。

 筆者はレールの上の人生を歩むなら、それに越したことはないと考えている。やっぱり新卒で大企業に入り、定年までしがみつくのが一番なのだ。安易に起業に手を出したり、目先の給料で外資系に就職するのは考えものである。40代50代になった時に、レールの上の人間の方が家族に恵まれている可能性が高く、年収も社会的地位も上であることがほとんどだ。

 東大VS医学部論争も、後者が安定したレールの上の人生に乗れるのに対し、前者はそのようなものが存在せず、半ばレールから外れるようなものだからだ。東大に入って待っているものは、医学部よりも格下のレールか、レールから外れた数少ない成功か、その背後に蠢く無数の亡霊たちである。

 レールの上の人生を肯定するような言説の多くは倦怠感を感じたレールの上の「勝ち組」が放っている。ある種のサラリーマンジョークのようなものだ。レールから外れても誰も責任は取ってくれない。自己責任と言う名の無間地獄に落ちていくことになる。

 こう考えると、人生で最も大切なのは学歴や職業的成功ではなく、家族だと思う。やはり安定してつまらない仕事に就き、家庭で幸せを得るのがベストなのだ。「つまらない仕事」についている人物の大半はそうした人生を送っているのである。社会が称賛すべき成功者像は大谷翔平やひろゆきではなく、フォークリフトで年収400万を稼ぎながら、懸命に家族を養っている、平凡な労働者の姿ではないかと思う。

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