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「とにかく仕組み化」の是非を東大理三の友達に聞いてみた

 以前の記事で「とにかく仕組み化」をすると仕事がただの苦役になり、どんどん非人間的になるのではないかという懸念を書いた。このことを友人にも共有したくなり、東大理三出身の大親友A君にも聞いてみたところ、面白い感想が返ってきた。

 A君曰く、「仕組み化はホワイト企業化の論理じゃね?」とのことだ。医者の過労の原因は担当医制度であり、担当患者の容態が急変したら主治医の代わりはいない。したがって、中々休みが取れないというのだ。最近は病院にも働き方改革の波が押し寄せ、患者をシェアするなど「仕組み化」し、休みが取りやすくなっているようだ。

 確かに、この手のビジネスお説教は激務労働を美化する傾向にあるが、実際は「仕組み化」が高度になるとホワイト化するようにも思える。ルールにしたがって適性に評価が下されるので、上司に媚を売るために無意味な残業が行われることはない。職場のお局に気を使って無駄な仕事が増えることもない。

 最近は静かな退職がトレンドになっているが、これはホワイト化と対をなすものになっているのかもしれないと思った。コンプラ等が厳しくなり、仕組み化が高度になる。すると仕事の属人性が少なくなり、社員はますます歯車としての性質が強まる。こうなると社員は仕事がつまらなくなるし、心の底では無責任にもなる。こうして全体の勤労意欲がジワジワと減退し、静かな退職に向かうというものだ。

 昭和のモーレツ社員は現代の若者からすると狂人に見えるが、彼らにとっての仕事は今よりも精神的に実りあるものだったのかもしれない。私の祖父いわく、仕事が辛いと感じたことは多いが、つまらないと感じたことはないそうだ。今とはきっと業務の内容が違っていたのだろう。営業とは文字通り営業する部門であり、内部調整の文書を朝から晩まで作成している部門ではない。こうした違いが現代の勤労意欲の低下を生んでいる可能性がある。

 もっとも医師と会社員は労働市場の構造が異なるだろう。医師は政治的に供給がコントロールされているため、いつでも需要過多だ。これに対して会社員は何の資格もなく、いくらでも替わりがいる供給過多の状態にある。医師は替えが効かないからこそ頑張るが、会社員は替えがきくからこそ頑張っている。

 日本企業の正社員の場合は解雇が規制されているため、供給過多でも賃金をピンハネしたり、クビを切ったりということが困難になっている。実は一番美味しいのは伝統的な日本企業の社内ニートなのだ。

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