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セイウンスカイ……好きだ……ルサンチマンに呑まれないの心も顔もイケメンすぎる

今日は「ウマ娘」に登場するセイウンスカイについて魅力を語りたいと思います。主に触れるのはアプリ版のセイウンスカイ。この記事にはネタバレを含みます。

セイウンスカイの何が好きなのか

競馬に詳しくない私がわかる範囲で調べたり当時のレース動画を見る限りでは、どうやら彼女の元ネタ馬「セイウンスカイ」が活躍した1998年には、三強と呼ばれる「スペシャルウィーク」「キングヘイロー」「セイウンスカイ」に加えてさらに「エルコンドルパサー」「グラスワンダー」という血統よし、伸びしろよしな馬がたくさんいた年代だったようです。

そんな中でセイウンスカイはどうだったかというと、軽く調べた限りでは最初は注目されておらず、走らせてみたら走った「恐れ入った(菊花賞の実況から)」という感じのようですね。

アプリ版のセイウンスカイのキャラストーリーでも、その辺にまつわるセリフがいっぱいあります。

セイウンスカイは、トレセン学園というエリート集団の学校に所属しているくらいの才能はどうやら自覚しつつも、スペシャルウィークなどと比べたときに体が持ってる最大ポテンシャル……つまり才能ってやつの差を強く自覚しています。

どう頑張っても自分はその領域にいけない場所というのがわかるのでしょうね。それを策でどうにかしようというキャラクターなのですが、なんかこれめっちゃわかるんですよね。

どんな分野においても天才っています。

今はあまり対外的な評価や指標に対して差がなくても、指標にならない部分で感じる絶対のセンスみたいなものを持ってる奴とか、スポーツの分野だと単純な体のデカさとか。

そういうヤツを前にして、普通は「自分なんて……」で終わっちゃうんですよね。私が色んな分野でそうでした。ぐぅ情けない。

ですがセイウンスカイは同時に自分の実力も信じているというか確信しているんです。

「才能&努力 vs アイデア」の図で語られがちなセイウンスカイのストーリーですが、私はセイウンスカイの自己と周囲と大衆と状況の分析能力の高さが最大の武器だと思うのです。

その分析能力が、彼女自身の力をセイウンスカイ本人に過小評価させなかったのでしょうね。普通、努力もするし才能もあるみたいなヤツが比較対象にいたら過小評価して闇堕ちしちゃいますよね。

それをしないセイウンスカイってかっけぇ~くぅ~という記事です。

自分と他人に向け続ける冷酷な評価

改めて、彼女は自分と他人を正確に評価しているのだと思います。

それを日頃からやっているからこそ、セイウンスカイが宝塚記念の前に「つまんない」と言って悩んだシーンがあるのかなとも思うんです。セイウンスカイにとって、あれはこのまま戦った場合の結末がおおむね見えたんだと思います。観察と観測と分析がすごいんでしょうね。そしてそれをきちんと脳内でではありますが、区分化したり項目化できているからこそ、策を追加して目標を達成できるんです。

でもそれは彼女自身はあまり言語化できていない可能性もあります。

なぜ言語化がうまくできていないかというと、体系化してやろうとしてやっている分析ではなく、たまたまそういう才能があって聡かったことによる分析癖だからだと思うんですよね。簡単に言うなら客観的というわけではない。ランダムに発生する彼女自身のエネルギーの発散ともいえるかもしれません。

まぁ主観によるもので、だけどまるで客観的に見えるような冷酷な視点を持っているのです。そこから湧いてくる小さなルサンチマンも彼女自身が観測できていて、ルサンチマンを手放すことが自然にやれるスペシャルウィークや、きちんと手放したキングヘイローを見て「自分の心は純粋じゃない」のようなセリフも吐くわけですね。

さて、冷酷な評価というのは作中でセイウンスカイ自身が言うようにある程度の賢さや聡さが必要になってきます。自分を少し離れたところから評価しようとする(再三になるが、必ずしも客観的というわけではない)のって、精神的に負担がかかるのです。

セイウンスカイが抱くルサンチマンと、自然解消、もしくはルサンチマンではなかったという話

さてルサンチマンといえばニーチェ。

ルサンチマンとは、弱者が強者に敵わないときに抱く「嫉妬」などからこじらせて「強者が悪いんだ!」となってしまう心の状態のことです。

ニーチェは、強者を悪として弱者であることを肯定する行為を痛烈に批判します。過剰な禁欲の肯定をルサンチマンからくる現実否定だ、と言うわけですね。
(もっとちゃんと語るならキリスト教の否定が彼がやりたかったことだと思うのですがその辺は脱線なので割愛。原文やニーチェ入門、100de名著のニーチェなどを読んでください。私がきちんと理解できている保証はない)

セイウンスカイは、なんとなくシニア級の夏前から自分の中の「嫉妬」や「絶望」「無力感」などを言語化しはじめ、自分が弱いと悩んでしまいます。

普通の人だったら、ここから無理やり自分を正当化するために強いモノを批判したり、弱いことを善としてしまったりするわけです。これがまあニーチェの批判の主たる要素でもありました。

でもセイウンスカイは持前の分析力の高さと、もともとの優しさというかのんびりさでルサンチマンをなんと自然解消していきます。いや、それどころかもしかしたらセイウンスカイにとって才能への嫉妬がルサンチマンですらなかった可能性があるのです。

高い分析力による、ただ淡々とした見立て・計画だった可能性があるわけです。まるでビジネスマンがするロードマップ作製作業のようなことをしただけなのかもしれません。その結果、撤退という判断が妥当だと思っただけ、なのです。

セイウンスカイは天皇賞(春)~宝塚記念で雰囲気が変わります。それまではけっこうノリノリで色んな策を考えて番狂わせを楽しんでいたのですが、天皇賞(春)から本物の才能たちを正しく認め、同じく悩むキングヘイローに対してある種達観したような価値観も示しつつも、自分も限界を見てしまいます。

ただ、限界を見ても絶望することがなかったのです。

もちろんもうレースしたくないというのはウマ娘にとって絶望かもしれませんが、他のウマ娘と比べても多少不機嫌さを感じるだけで正しく自分を見つめられていたんだと思います。

この姿、スポーツをしていた中学生とかが高校を機にそのスポーツを辞めるときと重なるんですよね。ただ、セイウンスカイは私のようなやめちゃったキッズと違って正しく自分の力を評価する力も持っているんです。

卑下しないんですよね、真の天才ではない自分を。

このとき、彼女は自分と素養たっぷりな天才たちとの差がどういうところかも、言語化はできないにしろ正確にわかっていたんじゃないかと思うんです。

だからこそ、考慮不足だったトレーナーという能力の足し忘れに気づいたとき、すぐに立ち直れたんだと思うんですよね。彼女は確信できたのです。この状況に対してトレーナーの分を加算したら、成長後のスペシャルウィークの能力値に届くという見立てが、驚くほど正確に立ったのだと思います。

ここがセイウンスカイの一番の魅力だと思うんですよ。

めっちゃすごいことです。

セイウンスカイって計画的な性格はしていないのに分析力が高くて、例えば怪我に対する予定の見積もりも、恐ろしく呑み込み早く、その上対応が的確なんですよね。それって優れた分析ができて、脳内でサッと引いたロードマップが正確な証拠だと思うんですよ。

セリフから察するに、運なんかじゃないと思いますし、無謀や単なる勇気でもなかったのでしょう。

セイウンスカイにとっては、分析からくる予定調和だったのです。

かっけぇ。

そういう能力を持っているからこそ、努力もする天才を友達に持っても絶望することなく、自分のやり方で邪道を極めることができて、進み続けられたのだと思います。

かっけぇ。

しかもひょうひょうとしてるからイケメンですよね。

こりゃ恋しちゃうって。ワイもトレセン学園に入ってセイウンスカイのファンガールになりたい人生だった。

好きだ……セイウンスカイ……

生きるためになるべく頑張ります