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Jリーグがやってきた!

1993年

Jリーグが開幕した年。私は東京でミュージシャンになりたいと、月イチでライブハウスで演奏をし、セブンイレブンで深夜のアルバイトをして生計を立てていた。浦和レッズが弱くて、コンビニの棚にあったJリーグオリジナル10のチームマスコットが個別にプリントされた使い捨てライターはレッズがいつも余っていた。

2000年

ミュージシャンへの夢破れ、私は月刊誌をまるごと編集する編プロで雑誌編集者になっていた。スポーツ好きの同僚や知人が増え、二部リーグのJ2も前年から設立された。スポーツ観戦バカにとっては秘境巡りの感覚でJ2の試合も観に行くようになった。

2006年

愛媛今治にUターンして1年ちょい。ついに愛媛にもJクラブが誕生した、愛媛FC。ズーパーがヒーローだった。砥部はちょっと遠く松山のクラブというイメージは否めなかったが嬉しかった。開幕戦地方紙の愛媛新聞がオレンジ1色の特装版で届いたときは、Jを身近に感じることができた。

2020年

故郷でありこれから死ぬまで生活するであろう今治に、Jリーグのクラブが誕生した。Jリーグじゃなくても、おらがまちのチームがある喜びは地域リーグやJFLでも堪能できた。でも、Jリーグという誰にもわかりやすい指数があることにより、今治の街がダイナミックに動き出す。

おじいちゃん、おばあちゃんからちびっこまで。FC今治があることによって、成長することによって生活が変わる。今はまだ5,000人収容のスタジアムを満杯にできないぐらいの熱量だけど、その熱の輪に入った人は勝敗に一喜一憂し、FC今治がなければできなかったつながりを持ち、共通の話題で一体感を生み、こどもたちは楽しさと質の高いサッカーを教育してもらえる場ができている。

Jリーグが設立されたときに唱えられた地域密着。設立された当初は親会社なくしてプロスポーツリーグなんて無理じゃない? とか思っていた。でも27年経った今、その理念が少しわかった気がする。

カテゴリーを上げて大きなクラブになることはあくまで手段のひとつである。その背景にクラブが地域にあることで、豊かなくらしの一助となることが文化の創生であり、Jリーグの理念なんだと思う。

ようこそJリーグ!

来週7月4日無観客だけど今治にJがやってくる。

新たな航海へ私も船を漕ぐ。


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