4万円

机の上で猫が丸まっているのを眺めながら、私はコーヒーを胃に流し込んだ。鉛筆削りのハラワタが砂の上にこぼれて、すぐにウミネコたちがどこからともなく飛んできてそれを啄み始めた。砂混じりのその木屑たちは、死んだふりをしてじっとしているのだが、黄色い嘴にその身を捕らえられた瞬間、うねうねと身じろぎし、何とかそこから抜け出そうとするのだ。あまり洒落た表現ではないが、率直に言ってそれは焼きたてのお好み焼きの上で踊る鰹節そのものだった。猫も同じことを思ったようで、のっそりと立ち上がると、その鰹節を食べ始めた。しかしそれでは満ち足りず、今度は周りにいたウミネコたちへと牙を剥いた。1匹2匹と丸呑みにしたところで、猫は苦しみ出した。その肥太った前腕で自らの喉を掻きむしり始める。すると、腕を覆っていた美しく柔らかな体毛が見る見るうちに抜け落ちていった。そして、10数秒もすると、そこには中年男性の肘から先があった。右の腕には銀の腕時計までついている。こいつは宇宙よりも正確に時を刻むんだ。と猫は言った。口の中でウミネコが飛んでいる。よく見れば、そこには海があって、一面にダイヤモンドがぷかぷか浮いていた。そこにしがみついた私は、なんとか砂浜へと帰ろうと足をばたつかせるが、いつの間にやら木の棒と化していた両脚は全くもって推進力を生み出さず、私はオイオイと泣きながらくるぶしのあたりから生えてきた人参を齧るしかなかった。齧る。齧る。齧る。齧り続ける。そうこうしているうちに日も暮れかかり、太陽はその身を海へと沈めようと悪戦苦闘していた。どうやら彼は少し太りすぎたらしく、着ていた開襟のシャツも随分と窮屈そうになっていた。私が彼に4万円を渡すと、彼はそれで駐車料金を払った。ついでにガス代と電気代、市民税と保険料まで払った。しかし何故だか金は全く減ることがなく、むしろ草花が庭を覆っていった。彼は、白い椅子に座りながら(それは中々に洒脱な代物だったが、同時に誰の目から見ても明らかに安物だった。釘の処理が甘くて、あちこちから小さく先端が飛び出ている。子どもには座らせられないな、と私は思った)ぐるぐると鉛筆削りのハンドルを回していた。彼は言った。「君、ウチで働いて見ないかい?この庭の手入れをしてくれる人間を探していたんだ。なに、そう大変な仕事じゃない。ウチのまだ3歳の家内にだってやれているんだから。今のところ、だけどね。これから海亀の季節だ、家内も出産を手伝って貰わなくちゃならない。こーんなでっかい大鍋にね、卵とレタスを入れて焼くんだ。油もなしで。だから絶対に底が焦げ付いてしまうんだけれど、それがまた美味いんだな、これが。君、猿の睾丸を食べたことは?ないか。うん、でもアレとよく似た味なんだ。美味いんだよ、それが。いや、いやいい、こんな話はどうでもいいんだ。それでどうだい、働く気はないか?毎日一本、もちろん根本から、雑草を抜いてくれれば良いんだ。一本だけだ、それ以上はいけない、だからよく数えるんだよ?まあともかく、その雑草を油に浸して、私の寝室の前で丸呑みにしてくれれば、それで1日の業務はおしまい、君は家に帰ってビールを飲むなりテレビを見るなりして良い。そのまま眠ったって良いんだ、もちろん風呂にも入らずね。雑草を飲み込むときには直接喉に流し込むように気をつけて。舌や歯にはなるべく当たらないように。もちろん仮に接触してしまったとしても、きちんと保険は降りるし、必要とあらば補填も行おう。君の母親の代わりと言っては何だが、ネギも用意した。とても長い、良いネギだよこれは。さあ、どうだい?やる気になってくれたかな?」
私は丁重に断って、席を立ち、教会の扉を開けて夏の日差しが辛辣な外へと出た。太陽はなおも話し続けていたが、無視して扉を閉めると、声はぱったりと聞こえなくなった。音が扉に遮断されたからなのか、彼が話すことをやめたからなのか、わからない。しかし興味がなかったので、扉をもう一度開けてみることはせずに、私はベージュ色の石畳の上を歩いていった。


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