男のきもちわるさは、普通は結構きもいか

普通男というのは、一途にはうまれていない。
子孫を獲得する生臭さをもっている。
ことさらな陶冶を、しないと、そこそこには下心を、持っており。

男のロマンとは、裸を意味して居ない場合は、逆に少ないと作業仮説は、持っていい。
そっちへ、準備は、していい。

野卑なところ全くないと今度元気も、ない。

高橋ヒロムくらいには、露骨なものを持って居る。

普通それくらいきもかろうとゆるす。
そんな所に酷なのを不粋と見る。

おまえのきもいときも、許してもらえないよ、こういう面からもそれは、確実といえる。
庇える限りはそれくらいはゆるしたいと想って居る。

そういったおもいやり、真心を、完全に裏切る場合に厳しい。
ここは、裏切り者をゆるせない真情を、実際には少ないといえない。本当は多い。

保守的なおとこというのは、この程度に扱いにくい。程度は、知れてるし、ヒステリーになるのも、分からない。

それにはそれの妙さは、あるから。

挫折を知らないとかそういう風になると、おそらくはよくはない。

しんをとおすと、藤森クンみたいな人も、産まれ。

そういう人の常識としては、RIKUとJIHYOとDANELIYAは、彼女ねみたいにおもっているし、実力の伴って来たころに、実現するとおもっている。

つまり、こういう場合に、少年らしさから荒めな旅をさせる必要性自体は、生まれてくる。

生ず。

性への興味は、うけとめない場合は、おおい。
これは、AVをみつつ主張出来る。

ここは、公平にきもいとは言える。

さあと突き放しても解決には成らないから、、そうはっきりさせなきゃという部分は、世間とおりあいは、つかなくても風俗に通おうとか、それを決められたらいいほうに這入り、要するに認められたいのに同時にそれをやろうとする。

世間と完全に違っても、清濁ふくむ真実をつかもうとか、それは、男自体としては、方向性を逸していない。

つまり、それを出来ないというときに、そういうきもみになる。

そういうきもみは、なかなか腐臭をはなつ。

地金というより、根本的な不信感は、速めに持つのかも、しれない。

女親と違う性別ということは、そういう条件をつくる。
結局こういう時に、母性や父性の面影を求める事は、不時着に終わる。ここは、言い切ってイイ。他人に或る人の代わりは、出来ない。
(当然…)

精神分析の外縁は、そういうところに役立つとは想う。
わたしは、フロイトの後進よりかはフロイト自身に評価は、与えている。

ここは、群れない、判断を、した時に、さらに、評価出来たかも知れない。

(*夏目漱石のひとなつっこさくらいには、外部への依頼心に邪魔された)

女性は、いい諦めの早さを持つのは、普通巧く行かないことに対して寛容さを持ってるからと想える。

幻想は、実際機能を持って居る。

わたしそのものは、絶望したことも有るから、吉本隆明もりかいは、出来る。
ここを、そう人は、当事者意識を言われると嫌うという本性を、幾分持っている。
少年らしさを肯定されると、そっちへそっちへそっちへ、と、ニュアンスは多様性を持っても、楽を、とる。

そういう時に理解も出来ない、吉本隆明という虚像は、生まれる。

あの人は、説明はしたし、へんなところも、表現は、した。


3種類の幻想のうち、性にまつわる物は、ふたりなら解決は出来たと無用な幻影を創る。

これも幻想には区別される。

話題の事柄上、スリーから社会なところ、これは、単なる幻想として二者のいわゆる聖書的な始原の崇高なまやかしを見てしまう事に近い。かなり。

敢えてふたりという含みを持たない。
こういう場合は、客観視等に成功して無いから、家庭から全て実現したという幻想は、なんにも実現、しない。

逃避行か青少年の心中か、こう来たら実は、おもいつめてる意外に真剣度自体疑われる。

中年にいたってこういう、問題を、続けている人も、いる。きもさを考慮して、考えこみたい。

相互援助そのものは、大切と、思います。有償のことをする余裕を持って、無償の活動を敢えてする系のスタイルを、とってます。 プライスレスに、人生を再始動したい人には情報を提供出来るかなとおもいます。OK??? 企画倒れは充分警戒したいし、格闘技なら階級低め、組織ならNPOは、穴場。