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煩悩

『土地志向のひと』と、外部への『出発志向の人』っていうのは、いつの時代にしたって、どこだって、どこでーも明瞭な区分があるらしい
そういうのは正直なきもちに正直にもどった時に、ちょっとした人の違いが存在するのだろう
あってかまわない、そういうちがいは
スプートニクの恋人を書いた人と地のはて至上の時っていう作品を書いたひとが居て、そういう方向性がナチュラルに逆だった
邂逅という言葉がある
タナトスとの邂逅って言ったとしたら、自分を喪失してまでも叶えたいなにかと出会ったということだ
ユングやタナトスは教科書では誤解的な扱いをされやすい
悪気というよりも、調査で新事実が発覚するのをおそれがち
定説以外を自分がとなえたくない
そういうことの代償として出てきてしまう現象だ
ユング本人の責任としては異常性を人間味として徹底した段階まで理解を示すという態度をとってうちだせば、誤解は、避けられただろう
が想定するのがそこはむずかしかった
やはりおちどではない
タナトスというのは生の逆としての概念と伝えられた時ネガティブイメージが、ある
陰陽の陰が特別に良くないだろうか
よく考えた時に、対等で公平ではないだろうか?
ここの部分は重要だ
異常からユニークをめざすような人生があってもいい
それが何か普通におとった感じがしても印象の側面に過ぎない
そういうことっていうのは教材(テキスト)から伝えづらいのは十分、理解できる
ただしそっちをディスる必要はたぶんないはずで、わるい未来と良い未来をてんびんにかけさせて、選べるのは片方に決まっている
そういう構成はなんか、考えさせられる
考えさせられざるをえない
争いの写真などのってる事がある
それを見るとげんなりして確かに平和しか選べない
もしくは、生きようとしてるのをすばらしいと、大声で全員に言わせてから命をすてた人の話をすればしちゃえば、とても不健全な自業自得の様に響いてしまうだろう
正しい方は決まってるのに気づけない人が居るだけなんだよ
はやくはやく
どうしてもそうなってしまっている
数学者は参考書をすすめたのは人と違う考えを持つためだった
経験って言ってもあらゆる苦労を全てしてから、しゃべりはじめられない点がある
上に行けばうえに行くほどそこに中毒するようだと、ポケモンを辞めてモテまくりだから偉いんですよねわたしは、という違和感がある
かかえきれない違和感が
どれだけ素晴らしい経験だったのかは、知るよしもない
わかちあえない
その次にデュエルモンスターズに目覚めてるらへんを見てもそれは、うなずける
勝てなければ異性におぼれ、異性におぼれることができないならデュエルマスターズにくらがえする
だがそこでもみたされずアイマスをみようという話にもなってくる
アイドルマスター
うえきった瞳はアイマスを、求めている
仲間になりたそうにこっちを見ている
それをおそろしくないと言えるだろうか
デュエルマスターズでもみたされない心は、パチンコスロットにワンピースのナミが入荷されたと聞いたとたん(リアクション)駆けつけ、ロビンのときも同じ反応をするばかりであり、ホストの動画をくいいるようにむさぼり見る
キャバクラに通えない時やるきを失ったら人のせい
飲み屋のママさんにはグチを当然聴いてもらえると思っている(?)
ギャルには、鼻の下を伸ばし、イケメンにはころっと、やられる
考えといっては、ない
小学生のころの表彰状はいまにいたっても天才たる証である
恋愛に失敗してもあるのは、色欲のみで、活路をみいだせずとも競馬が待っている
そうしていいアイディアは浮かばない
そんな姿に付ける言葉があるとするなら
「なれのはてもやりきればそうではない」
さあしかし、名言をはさんでくる
言わせてくれない
恋愛と活路というテーマのことなる両者の話は、おいといて、テキトーな話をしたいあまり適当教典を買い求めると凝視してしもねたがないか、貪欲その物の眼差しをし、少しすけべな興味もあったようだ
そして、話が進まなかった時誰よりも
自分が
満足している

相互援助そのものは、大切と、思います。有償のことをする余裕を持って、無償の活動を敢えてする系のスタイルを、とってます。 プライスレスに、人生を再始動したい人には情報を提供出来るかなとおもいます。OK??? 企画倒れは充分警戒したいし、格闘技なら階級低め、組織ならNPOは、穴場。