カント哲学

やれやれとか言いながらでも大人をしっかりやる大人はさすがなもんで、立派である。そうでもいいから大人になるということは、普通に素晴しいこと。背景から説明しよう。理系を選んじゃったのに文系になりたかった人は、わりーけどここ弱点あるよな。カントというのは、イメージに言われるような最初の適当なところを勢いで打開したひとじゃない。それは哲学史の限定したところで通用するのではないか。限界があったから中興の祖が必要だった、ってそれも違う。もう済んでるんじゃないのというのも違って。
カントは、理性から自然に分かる事をわりに重視した。
生活スタイルがけっこうそうだった。
それは自分への命令を守れるかという、動物的段階を超えてるかとも関わってくる。
司法的基準の決定等でもこういうところは重要で、ドイツとアメリカの司法は常識が、違うらしい。
ドイツとアメリカを素朴に比べると、ドイツが少しイイかなと思う。日本は、米国風に、しちゃった、と。
立場によるんだろう。私は、素朴な感覚が正しいと思う。それを考えると憲法が頻繁な頻度で変わっちゃ困るであろうという点だってわかりゃするし。
その気まぐれじゃない感じはドイツが上で大人かなと思う。
ちょっとデータに出ないところで優劣かも知れない。対等かも知れないし、優劣という可能性も十分高い。
中国との比較にも日本は、もうちょっと危機感は、あったほうがいいかも知れない。
実際的な準備ではなく人格を陶冶させるのが、圧迫感につながって、効果を下げてはいないだろうか。
カントはこういうところを規模じゃなくて深めた人さ。

あるべきじゃないことをあらかじめ考えておく能力はドイツにぶがあるかもなって感じて。
行動で解決しない事があって、理想的な解決はしないとしてみて、それでも考えようという、意欲の面だと、思う。

手前で充分考えておかないとその場は、独断が入るよと。

そういう側面はもっと進んでる国、少なくないと想われる。

理念は現実に追随した時、一番効果は、弱い。
民主主義はその問題点として結果的には異常に少数派を自然な状態では委ねたら採用しないという形で抑圧する。
その場当たりに三権分立的な分散をきかせる意味合いは、アメリカと、日本は、補っていく状況にある。
直接民主制は格差はない一方、ラグが否定的に削減されているので、同様。風潮からの影響を受けない確固たる人間など無常にもそう多くない。今さえでは今しか水に流せていない惰性の現実に追随するも同じ。それは良識と称して不定形なだけで、人のみを信じようとし、人を見失っている。

相互援助そのものは、大切と、思います。有償のことをする余裕を持って、無償の活動を敢えてする系のスタイルを、とってます。 プライスレスに、人生を再始動したい人には情報を提供出来るかなとおもいます。OK??? 企画倒れは充分警戒したいし、格闘技なら階級低め、組織ならNPOは、穴場。