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事件の墓地

小林秀雄は死者を愛していた。動かないからこそ。一定した承認をしてやれる。「生きる人間には難しい」それは、死者を愛させた。
自我や自己愛は強いようには思える。
わるい種類かは判らない。
悲しみより中国の無常観を愛す場合に、価値観として、その収まり方はありえはするのかも。
自問自答の長さには、閉口する。
考えたろう。
言いたかったろう。
書簡としても言いたかったろう。
意見も一杯あった。
エロスもあるいは、強いと言えたかも、知れない。
生きるには困らなかったろう。苦悩もなく、あれたかも知れない。学問として正式に研究するから。
当事者意識なんか、あっても、かれには邪魔をしたかも知れない。

坂口安吾とも微妙な距離感は、ついには、埋まらない。
その諧謔にもユーモアにも衒学にもウィットにも、成らない隙間風。かなしみの光景。

ちいさな事件は、日常に埋もれて行く。

そして、かりに、想い出したんなら、幸せとの落差を通告する。
そうして愛されないネガと退路。
進歩には要らなかった、それを証拠の様につきつけられては蒼醒めるしか無い。
それを言い出したら、破壊の呪文を幼児は唱えた時にも小宇宙はナチュラルにアニメへと葬られたかも知れない。
ないものは、そういった、察知はされない。
過去在っても。
そうして、過去の甦りを百年の孤独は、フラストレーションの意外な大きさの様に突然に知らせて来る。

失う目をつけられるような稀少さ。そのホントの輝き。
命は再燃する。

相互援助そのものは、大切と、思います。有償のことをする余裕を持って、無償の活動を敢えてする系のスタイルを、とってます。 プライスレスに、人生を再始動したい人には情報を提供出来るかなとおもいます。OK??? 企画倒れは充分警戒したいし、格闘技なら階級低め、組織ならNPOは、穴場。