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適正価格とスマイル0円

経済学というのは役に立たない場合もある。そのさいも、学習する価値は、在る。
わたしの中学時代を一応語っておく。
ヘンにミステリアスに思われても自分なりには、普通の事しか経験していない。
隠す意図はなんにも、無かった。
わたしは思春期には乗ろうとおもった。
そこは特徴と言っちゃ特徴に成ってるかも。
中一は、中二をよく、こう、軽蔑はする。
思春期なんか来るのと。
自分の首をしめやすい。
そういった所の克服は早熟には成っていた。

さあ本題に入ろう。


中庸とは何か。
具体的なこの場合の中庸とはなにか。

分析的人間関係は絶版に近い。
絶版というのは、学生からみて、、親世代にも理解者居ないという具合にりかいしてもイイ。

カウンセラーのなか、現実的側面として、しっかり料金の最適値を考えた作者。おとなを想わせる。
フロイトに理解を示せたし、わたし自身もそうな一方、あまりに子供らしくお金も考えたいという人は、いる。
片方の視点に専念しないと矛盾は、起こすと思う。
気質自体、分裂より神経質に努力しなかったらちかいと思うフロイトに。彼は。

マックもユニクロもわるい所は、ある。やると、決めた事は偽善の様なとこはない。そこは、優れて居る。

カウンセラーにも適正価格の迷いは、、在る。
さあわかっていなかったらもう1度よみなおそう。

本格的な話。
ちなみにさ、仏教の数少ない問題として確定しているのは、あいては自分の鏡なのか本当、本当にという、部分。

こういう話を考えていったら(作業仮説的に当事者意識を相手に持つきっかけになる場合、ある。それは、みとめる)投射の害は、現実に知られる。

周知。される。
いくらに認めるかというはなしは、世界中面倒臭くない所は無い。
(面倒くさい)

すこし単純に常識を意識しましょうねとは流石の、カウンセラー論の人も言った。これは、、前提として。全ての指針とは、出来ない。


ワタシの答えとしては、ふっかけられたら承諾しない。これは、高く払うから「相応に、馬車馬をやれ」も、そう。
高いからと得に第一なっていない。
道徳の問題もある。
そして、また、緊張感を完全に失うのは、心の場合もマイナスに成る。

これは、考慮する。

0円も一応考えてみたらしいことについては、賛成は、しない。
(全然)
出来高の少額には賛成可能。

NPOから少し営利化ということ自体は、あっていいと想う。
基本のスタンスは、こう、考えた。

相互援助そのものは、大切と、思います。有償のことをする余裕を持って、無償の活動を敢えてする系のスタイルを、とってます。 プライスレスに、人生を再始動したい人には情報を提供出来るかなとおもいます。OK??? 企画倒れは充分警戒したいし、格闘技なら階級低め、組織ならNPOは、穴場。